【文藝春秋】
『監督』

海老沢泰久著 



 私はいわゆる第二次ベビーブームに生まれた世代の人間であるが、私の子どもの頃は、おそらく同世代の男性の大半がそうであったろうと想像するとおり、野球やソフトボールといった球技がけっこう盛んな時代でもあったことを覚えている。どのくらい盛んだったかといえば、住んでいた町内の区ごとにソフトボールのチームが編成され、トーナメント大会が毎年おこなえるほどの隆盛を誇っていた。もっとも私の少年時代は、ちょうど後に空前のゲームブームを引き起こすファミコンが台頭していた時代でもあって、野球が好きでなくてもそれほどのことはなかったのだが、なかにはそれこそ野球がうまくなければ遊び仲間にも入れてもらえない、という苦い経験をされたかたも、けっこう多いのではないだろうか。

 ところで、私はけっして野球が好きなほうではない。プロ野球観戦も、つい最近東京ドームに観に行ったのがはじめてで、それもビンゴゲームでペアチケットが当たるという行幸がなければ、おそらく一度も行くことはなかっただろうとさえ思っている。小学校のころに、大会出場のためにほとんど無理やりソフトボールの練習をさせられたことも、あるいは尾を引いているのかもしれない。私はあまりにいろいろ考えなければならない団体スポーツというものがそもそも苦手らしく、だからこそ陸上や水泳といった単純なスポーツを好むところがあったのだが、それなりに成長して多少は物事が見えてくるようになるにつれて、およそあらゆるスポーツにおいて、単純なものなど何ひとつないということを知るようになった。たとえば私は中学生のころは陸上部で、1,500mや3,000mといった距離を走る選手でもあったが、マラソンなどとくらべてはるかに短い距離のなかにおいてさえ、どこでスパートをかけるか、ペース配分はどうするのか、あるいはスタートから最初のコーナーにおいて、どの位置にポジションを置くのか、といった心理的駆け引きがあるのを知ったのは、じつはつい最近のことだったりする。

 日本のプロ野球といえば、最近でこそ有名スター選手の大リーグ流出によって以前ほどの勢いがないと言われているが、それ以前にも、たとえば長嶋茂雄がジャイアンツの監督だった頃に顕著だった、まるで金にモノをいわせるかのような大物選手の補強のやり方に、そしてそれゆえにセ・リーグがほとんどジャイアンツのためのリーグとなっていくのにある種の反感を覚えた方はいないだろうか。今回紹介する本書『監督』は、毎年最下位に甘んじている、あまりにも不甲斐ないプロ野球チームであるエンゼルズの監督を要請された広岡達朗が、さまざまな障害を乗り越えてチームの体質を根本から変えていき、ついにはペナントレースで優勝を狙えるまでの「勝てるチーム」へと成長させていく過程を描いた作品であるが、本書を読み終えたときに、私は同じ「勝てるチーム」でも、たとえばジャイアンツのようなチームが好きになれない理由を、そして私がけっして好きなわけではない野球というスポーツの本当の面白さが、まさに私が苦手としていた頭脳戦とチームプレイにこそあったことを、あらためて認識させられることになった。

 個々の選手がそれぞれ好きなようにプレイをするがゆえに、チームはバラバラ、コーチは監督の言うことをきかないばかりか、自分がこれまで築いてきた地位を守ろうと画策し、万年最下位という現状にすっかりだらけてしまっている<ドンケツ・エンゼルズ>を、はたしてどのようにして強いチームへと生まれ変わらせていくか――本書の読みどころが、まさに過去のどの監督にも成しえなかった「奇跡」を実現された広岡達朗の、その手腕にあることは間違いなく、そういう意味ではロバート・アスプリンの『銀河おさわがせ中隊』といった作品と似たところがあるのだが、本書の場合に顕著なのは、広岡という主人公にかつてジャイアンツの選手であり、しかし当時の監督との確執がもとで最後には球団をクビになったという過去を背負わせることで、ことジャイアンツというチームに勝つことへの執念ともいうべきこだわりをもつキャラクターに仕立て上げたという点である。

 エンゼルズというチームは、けっしてジャイアンツのように凄腕の選手ばかりが集まったチームではなく、選手たちもほとんどが傑出した何かをもっているわけではない。それでもなおジャイアンツを押しのけてペナントレースを優勝するためには、選手全員がそれぞれ力を合わせ、取れるときに確実に点をとり、強固な守りで相手に点を入れさせないチームにしていくしかない。それゆえに平岡はエラーやミスをした選手への罰金や、個人プレーを廃し、監督の指示を確実にこなしていけるような練習に力を入れていく。それは最初こそ選手やコーチから「自由な野球がさせてもらえない」という不満の声をあげさせたが、それでチームが徐々に試合で勝つようになり、そのことで選手たちも少しずつ、プロで野球をしている以上、チームが勝つことこそがもっとも重要であり、それこそが野球というものであることを実感していくようになる。

 ただたんにボールをかっ飛ばすだけでなく、どこに打ちこめば一点でも点を入れやすいか、ただアウトをとるだけでなく、いかに有効にアウトを三つとるか、一塁にいるときに、ただ漠然と二塁を目指すのではなく、次の打者をヒットにしやすくするために何ができるのか――本書を読んでいくと、あらためて野球というスポーツがいかに頭を使うものであり、そして何よりチームプレイによって大きく左右されるものであるかということがよくわかってくる。同時に気がついたのは、こうした野球の性質は、企業という組織とよく似ているということだ。いかに傑出した個人がいても、上司との関係や職場内の雰囲気がよくなければなかなかその才能を生かしていくことができない企業という場は、基本的に社員がそれぞれの役目を確実にはたすことで「利益を上げる」というひとつの目標へと向かうためのものであり、それは「試合に勝つ」という目標のために、選手全員がそれぞれの場面でそれぞれにふさわしい役目を確実にはたす姿と、必然的に重なってくるものでもある。

 なかなか自身の弱点を克服できない選手たち、ペナントレースにはつきものの故障、長くつづくスランプ、そして八百長疑惑など、次々とやってくる野球ならではの問題をはねのけ、ちょっとしたことでたちまちのうちにガタガタに崩壊してしまう選手たちのモチベーションを持続させ、チームを優勝へと導く――けっして必要以上にドラマチックになることもなく、あくまで全体を見渡す立場にある監督としての冷静さを失うことのない平岡の態度は、そのままあくまで客観性を重視しようとする文体にもよく現われている。だが、本書を読んだ方であれば、その冷静な態度の奥に、何十年も野球というスポーツにかかわりつづけてきたひとりの男としての意地とプライドをかけて、どんなプレッシャーにも負けまいと誰よりも熱く燃えている、その後姿が見えてくるはずである。(2005.06.30)

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