【河出書房新社】
『かめくん』

北野勇作著 



 たとえば、この書評を書いている私は「八方美人男」というハンドルネームを用いており、インターネット上においてはもっぱらこの名前が個人名になっているところがあるが、当然のことながらリアルな現実においては親からもらった姓名がちゃんとあり、それが私を識別する記号として日々の生活を成り立たせている。このリアルな姓名とネット上のハンドルネームは、本来であれば異なる世界においてのみ通用するものであり、どちらかの名前がもういっぽうの世界に入り込むようなことはないのだが、ただひとつの例外として、ネット上で知りあった人たちとオフラインで――リアルな現実で会うような場合にかぎって、「八方美人男」の名前が現実世界で用いられるという事態が発生する。もっとも、リアルに声を発する場において「八方美人男」という読みは少々長すぎるものがあるため、たいていは「八方さん」と呼ばれることになるのだが、同じひとりの人間であるにもかかわらず、本来の姓名とネット上のハンドルネームの境目にいるような気がして、いつも不思議な気分になるものだ。

 あくまで仮想世界のものだと思っていたものが、リアルな現実として想起されるというのは、けっして珍しいことではない。これはある知人が話していたことだが、「メイド姿をした女子」というのも、いつの間にか仮想から現実のものとなったひとつの例らしい。たしかに最近はメイド喫茶なるものがいろいろなところで見られるようになっているし、そうしたメイド姿を街中で見かけても、それほど違和感を覚えないほど日常の風景のものとして受け入れられているが、少し前であれば、それこそ漫画やアニメのなかにしか存在しない格好だったはずである。

 さて、今回紹介する本書『かめくん』であるが、そのタイトルにもなっているストレートで、しかしどこか親しみのある「かめくん」という呼び名が、じつはこの作品の主題として大きな意味をもつことに、まずは言及しなければならない。

 かめくんは自分がほんもののカメではないことを知っている。
 ほんものではないが、ほんもののカメに姿が似ているから、ヒトはかめくんたちのような存在をカメと呼んでいるだけなのだ。だから、カメではなく、レプリカメと呼ばれたりもする。

 本書には「レプリカメ」と呼ばれるカメ型ヒューマノイドが登場する。もともとは木星で勃発した戦争に投入するため、人間の兵士の代わりとして開発されたもので、必然的にそうした戦争のために必要な機能はひととおり備えている兵器という位置づけになるのだろうが、そんなレプリカメたちがいつのまにか人間社会のなかにも順応し、そこに存在することが市民権を得ているような世界が舞台となっている。

 そんなレプリカメの一体である「かめくん」が繰り広げる、日常のようでどこか非日常的な日々を描くことが本書の趣旨ということになるのだが、もともと人間が「木星戦争」のために開発した兵器という側面は、その外見もふくめて「かめくん」のなかに見出すことはほとんどできない。そしてそのことを裏づけるかのように、周囲の人たちは彼を「かめ」とは呼ぶが、「レプリカメ」と呼ぶ者はいない。これは、「レプリカメ」という呼称がおもに戦争の兵器という印象と結びついているからだと推測できるが、しかしその戦争の内容をよく知らない多くの人間の目には、カメ型ヒューマノイドはそんな本来の目的とはまったく異なる何かとして認識されていることを意味している。

 私たち読者にとってはワンダーな状況が、物語のなかでは日常として展開していくというシチュエーションは、SFやファンタジーがもつ最大の特長ではあるが、本書に登場するカメ型ヒューマノイド「かめくん」は、アパートでひとり暮らしをしていたり、フォークリフトを運転したり、図書館で本を借りて読んだり、あまつさえリンゴやキャベツを食べたりトイレに行ったりさえする。その光景は、彼を兵器である「レプリカメ」としてとらえるなら相当にシュールなものがあるのだが、「かめくん」という呼び名で言い表されると、シュールながらもどこか微笑ましいものが感じられる。そこに見られるのは、「レプリカメ」とは異なる「何か」ということになる。

 では、その「何か」とは何か? それを表現するための物語が本書である。そして本書において「かめくん」は、自分が戦争のために作られた兵器であるという認識はあるようなのだが、はたして自分がかつてその戦争を経験したことがあるのか、という点においては、何もわかっていない。少なくとも彼が背負っている甲羅の形をした、自己増殖型の有機体メモリーのなかを覗くことができれば、すべてはあきらかになるのだろうが、不必要だと思われる記憶へのアクセス方法を、「かめくん」は知らない。

 兵器として作られたはずなのに、その目的をどのようにして果たすべきなのか、ということについては何もわからないまま、人々に混じって人間のような日常をつづけていく「かめくん」の存在は、どこかひどく不安定な印象をもたらすが、そもそも木星で今も中断されたり再開されたりしているらしき戦争そのものについても、じつは同じようなことが言える。いったい、なぜ木星で戦争が起こっているのか、人類の敵となっているのは何者で、その敵の目的は何なのか――その経過や戦果もふくめて、本書にはじつにあいまいな情報しか書かれていない。しかしながら、少なくとも本書のなかの世界においては、そうした情報の少なさ、曖昧さを受け入れながらも、人々はそれなりに生活をつづけていっている。その様子は、さながら兵器でありながら兵器らしいことをほとんど行なっていない「かめくん」のようでさえある。

 もっとも彼の場合、あらたな就職先でときどきザリガニのような巨大生物を相手に、カメ型巨大メカに乗り込んで戦ったりすることもあるのだが、その非日常的な出来事も、物語が進むにつれて次第に日常業務の一環へと収束していくことになる。

 そのような日常が、はたしてふつうのことだと言えるのか、それとも異常なことなのか――それはけっきょくのところ、本書の読み手に判断してもらうほかにない。なにしろ「かめくん」は「かめくん」であって、「かめくん」でしかないのだから。(2012.08.22)

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