【新潮社】
『影武者徳川家康』

隆慶一郎著 

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 かつてこの国においても、天下統一という途方もない野望を現実のものとするため、猛者どもが群雄割拠し、戦乱の嵐が吹き荒れた時代があった。腕に覚えがあれば、そして運が味方してくれれば、槍一本でのしあがることが可能だった下剋上の時代――日本史の教科書に出てくる「戦国時代」とは、応仁の乱によって室町幕府が弱体化してから、織田信長によって天下統一の基礎が固められるまでの時代を指すが、実質的に世の中が安定し、多くの人々が合戦によって苦しめられる時代に終止符が打たれたのは、関が原の戦いを制し、その後じつに300年以上ものあいだ、磐石の体制を保ちつづけることになる江戸時代の土台を築いた、徳川家康の功績によるところが大きい。

 ところで、徳川家康が最終的に天下の覇者となることができたのはなぜなのか、とくに、なお各地に残る有力大名たちを抑え、実質的に戦国の動乱を平定することができたのはなぜなのか、という問いに目を向けたとき、常に戦いで敵の領土を奪う機会をうかがい、ときに自分の子どもの才能にまで警戒し、殺すこともためらわない、またそれほど用心深くおのれを律していなければならない戦国武将という器が、平和とはまったくもって対極の要素を備えたものであることに気づくことになる。朝廷から下される「征夷大将軍」という位が、戦闘集団である武士の長として政治と軍事を手中にする称号であることからもわかるように、戦国武将とは基本的に合戦のなかで生きる者であり、いくさがなければもはや武将ではない、とさえ言ってもいい。そして、徳川家康もまた戦国武将であり、苛烈な戦国時代を生き抜いてきた猛者のひとりであることに疑いの余地はない。

 家康と、他の武将とのあいだに、いったいどのような違いがあったのか――そのあたりの検証についてはいくつもの研究書が出ているが、本書『影武者徳川家康』のなかでは、じつに興味深く、また奇想天外な一説が採用されている。それは、関ヶ原の戦いの直前に本物の家康は暗殺されており、その後、影武者が家康に成り代わって天下を平定した、というものである。

 ゆえに、物語はいきなり急転直下の展開を迎える。「天下分け目の戦い」と言われる関ヶ原を目前に暗殺されてしまった家康――だが家康の死が公になれば、徳川陣営は確実に合戦に負ける。家康の影武者として長く傍で仕えていた世良二郎三郎は、とっさに自身が家康になりすまして全軍を指揮し、石田三成率いる西軍を見事打ち破った。だが、問題はここからだった。天下を平定し、徳川家の地位を磐石のものとするためには、まだまだ家康の威光が必要だったからである……。

 関ヶ原の戦いによって、表舞台では合戦のない平和な時代が到来するが、その裏では緊迫した場面が連続する。なにしろ偽者を、あの家康に仕立て上げようというのだ。並の影武者であれば、そして彼ひとりの力では、成立するはずもない大博打だろう。本書の大きな特長は、影武者である世良二郎三郎という人物に、まぎれもない主人公としての魅力的な人格と歴史、才覚を与え、彼を傀儡として裏で操ろうとする秀忠をはじめとする、徳川家の思惑と対立させる、という構図を生み出した点にある。

 全国を漂泊し、自分の上に他人を認めない自由人「道々の者」として育ち、野武士として11年も一向一揆を戦い抜き、そしてかつては織田信長を撃ったことさえある真の「いくさ人」、世良二郎三郎の魅力は、まさにその自由人であるという資質によるものだ。それが奇妙なめぐり合わせによって、武士たちの頂点に立ってしまう。戦国武将としては対極の思想をもつ二郎三郎は、いっぽうで家康の兵法や思考法まで身につけた完璧な影武者でありながら、いっぽうで家康ではけっしてなし得ない大事業のため、薄氷を踏むような思いで動き出すことになる。

 世の中から戦乱をなくし、庶民の自由と繁栄を約束する「公界」を築くこと――それが当初、自身が少しでも長く生き延びるために見出した方策から、徐々に自由人としての夢へと昇華していき、そのためにかつての敵味方を超えて、三成の武将だった島左近や、彼が放ち、家康暗殺を成し遂げた忍者である甲斐の六郎、さらに箱根を根城とする風魔一族といった者たちと、強い絆で結ばれていく様子は、読んでいて非常に清々しいものさえ感じる。

 確かに二郎三郎のやり方は、軽率といえば果てしなく軽率である。だが、どんな人間でも対等の立場で扱うという二郎三郎の魅力は、充分認めなければならない。――(中略)――要するに素直なのだが、六十まで素直なままでいられる男は数少ない。ある意味で非凡な男と云えた。

 要は将軍という至高の地位を、なんの躊いもなく、古草履でも捨てるように捨てることが出来るかどうかということである。二郎三郎にはそれが出来た。今もって野武士の身軽さをもっているからだ。

 圧倒的な力をもつ徳川家、とくに、一刻も早く影武者を殺して自身が征夷大将軍として天下の覇者となるという野望に燃える秀忠と、彼が飼う裏柳生の面々との息詰まる暗躍や心理戦、一歩間違えれば再び天下を戦乱の渦に叩きこんでしまう危うい駆け引きに、ほとんど孤立無援の状態だった二郎三郎が一歩も引くことなく渡り歩き、逆に秀忠を窮地に陥れてしまう。まさに胸のすくような、という言葉がふさわしい展開で、息つく暇もないほどである。しかも二郎三郎は、独自の軍団を手に入れ、実質的な力を手に入れたのちも、秀忠を暗殺するという、封建領主的な考えにけっして与することがない。あくまで自由人としての立場を貫こうとする二郎三郎の姿は、ここまで来るとまさにヒーローである。物語としてこれほど興奮する展開は、そうそうあるものではあるまい。

 そしてさらに言うなら、著者である隆慶一郎は、このエンターテイメント的な展開をたんなる物語としてとらえているのではなく、けっして表舞台に出てくることのないもうひとつの歴史として再構築する、という強い信念をもって描いているのがよくわかる。膨大な資料を引用して正史の流れに疑問符を打ち、歴史の裏側を生きた名もない者たちの存在を、まぎれもない血のかよった人間として明らかにしようとするその信念こそが、本書を第一級の傑作として完成させた最大の要因なのである。

 自分の利益のためだけではない、より大きな志のため、そして自分を自分たらしめる強い信念のために、戦国武将たちとはまったく違った意味で、文字どおり命をかけて戦った者たちの、その熱い想いのすべてが、この壮大な物語のなかにはたしかに息づいている。(2003.03.14)

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