【双葉社】
『影踏み鬼』

翔田寛著 
第22回小説推理新人賞受賞作 

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「魔が差す」という言葉がある。それまではどこまでも生真面目に生きてきた人が、ある日突然、まるで悪魔にでも魅入られたかのように悪い心をおこしてしまうことを表す言葉であるが、その彼が、たとえば殺人といった人の道を踏み外すような悪事をしでかしたとして、それが本当に「魔」などという非現実的で抽象的なものの仕業であると考える者は、おそらく誰もいないだろう。それまでコツコツとためてきたものをすべて投げうち、奈落のどん底まで堕ちていくことがわかっていながら、そのことさえどうでもよくなってしまうような、大きな感情のゆらぎ――さながら、振り子が一方の極みからもう一方の極みへと振り切れるかのように、人の心を揺り動かすのは、けっきょくのところ人と人の関係から生じるものなのだ。

 人の心を惑わす「魔」など存在しない。だが、人と人の心が直接向かい合うような関係は、ときに人を鬼へと変える。誰かをどうしようもなく愛してしまったり、あるいは逆に、どうしようもなく憎んでしまったり――そういう意味では、私たちは誰もが人間であると同時に鬼でもあり、私たちはそうした、自分の意思ではどうにも押さえられない、得体の知れないものを心のどこかに持ち合わせていることを知っている。知っていながら、そこに目を向けることを無意識のうちに避けている、と言ってもいいだろう。けっしてその底を見透かすことのできない、自身の内に巣食う暗い闇に目を向けるには、それなりの度胸と覚悟が必要であるからだ。

 本書『影踏み鬼』は、表題作を含む五つの短編を収めた作品集であるが、いずれの短編も江戸や明治といった昔の日本を舞台としており、ちょっとした落語や狂言を聞いているかのような、軽妙な話し言葉を巧みに使いこなすことによって、その当時の雰囲気をかもし出すことに成功している。そういう意味ではたしかに時代小説風の作品集であることは間違いないのだが、本書はそれ以上にミステリーとしての要素が強い作品集でもある。

 それぞれの作品のなかでまず語られるのは、とある事件に対する世間一般の認識、つまり、新聞などで公式に発表された事件のあらましである。たとえば『影踏み鬼』であれば、呉服店を営む松菱屋の主人の息子のかどわかし事件と、その結果としての松菱屋の凋落であり、『藁屋の怪』であれば、かつてはひとかどの小頭であったが、たてつづけにおこった不幸によってすっかりおちぶれてしまった藁屋家でおこった、凄惨な殺人事件の顛末であったりする。
 事件そのものはいかにも怪奇めいていたり、あるいはこまかい疑問点はあるものの、一応はつじつまのあう説明がなされたりしており、そういった演出もいかにも時代めいたものを感じさせるのだが、そこに何らかの形でその事件とかかわりをもった人物が、あるときは語り手として、あるときは探偵役として、あるときは真の主犯として、そしてあるときはその複数を担う人物として、読者の前に登場する。そのことによって、まがりなりにも決着がついていたはずのそれらの事件の、思いがけない事の真相があかされていく――本書の筋書きは、いずれもこのような段取りを踏まえたものとなっている。

 読者に事件の真相を語ってくれる登場人物たちは、どの短編においても例外なく、いわゆる普通の人たちがつかむべき幸せから見放され、落ちぶれるところまで落ちぶれた者たちである。親戚の反対を押し切って、人を殺めた前科をもつ男と結婚し、その男が死んだあとも再婚しようとしない『虫唾』の加代、歌舞伎役者だった坂東彦助の自殺の原因をつくったということで、芝居小屋での居場所をなくしつつある『奈落闇恋道行』の黒子をはじめ、本書で展開されるそれぞれの事件は、まるで呪いのようにそれに関わった者たちを不幸に陥れてしまう。まさに陰惨というしかない事件の奥に、いったい何があったのか――だが、たしかにミステリーとしての要素が強い本書ではあるが、物語があたかも薄皮を一枚一枚剥いでいくかのように、その事件の真相を少しずつあきらかにしていくうちに、読者はおそらく、自身がますますどす黒い闇のなかにはまり込んでいくかのような気分になっていくことだろう。どこまで行っても先の見えない深い闇の存在は、けっして謎が解かれる喜びや爽快感をもたらすことはない。なぜなら、その闇の奥で待ち構えているのは、私たちがけっして目にしたくはないもの、人間が心のどこかに住まわせているはずの鬼の姿に他ならないからだ。

 ほれ、歌舞伎芝居にも、「――顔に白粉丹花の唇、粧い飾りて菩薩の如く、互いに妬む顔もせず、打見には仲よき体、心の底に邪気執念――」と言うじゃねえか。まあ、たとえ話としても、人の心の裏表ほど、黒白逆さの世界はほかにないもんだよな。

(『影踏み鬼』より)

 日頃、さまざまな不条理や理不尽な出来事に振り回されながらも、それでも懸命に、まっすぐに生きていこうとするごく普通の人々の前に、ふとした瞬間に訪れる空隙――本書が語る凄惨な真相は、常に心悪しき、しかしそれゆえにある意味わかりやすい思考をする者がたくらんだよこしまな企みに、まんまとはめられた心弱き者の姿を描いているように見える。だが、そこで終わりであれば、私はけっしてその真相を「どす黒い闇」と呼び、怖いと思うようなことはないだろう。これらの短編集のすさまじいところは、そうしたよこしまな企みにはめられたように見えて、しかしその裏で、はめられた人間がその企みさえも踏み台にして、常人には理解できそうもない錯綜した想いを実現させようとする執念に他ならない。しかも、「理解できない」とは述べたものの、しかしその執念を成就させた人物が、私たちと同じまぎれもない人間であることも、充分承知しているのである。

 この世を生きていくのは、けっして楽なことではない。嫌なことやおおいに気分を害するようなことは、いくらでも湧いてくる。そうした出来事に対して、たとえうわべを取りつくろい、表面上は美しく振舞っていても、個人個人の心の内までが、同じように平静かでいられるというわけではないし、またそんなふうに自身の精神をたもちつづけられるほど、人間は強いわけではない。だが、もしかしたら自分のなかにもあるかもしれない、ドロドロとした感情をどこまでも凝視することが、私たちにとっては何より耐え難いものであるのかもしれない。「魔が差す」という言葉をもちい、認めたくない真実の姿を覆い隠していこうとするのが世間でいうところの「平常」であるとするなら、本書はまさに物事の真実という「異常」を躊躇なくさらけだすことに成功した作品集だと言うことができるだろう。(2005.03.27)

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