【新潮社】
『球形の季節』

恩田陸著 



 ピアスをつけようと耳たぶに穴をあけたら、そこから白い糸がスルスルと出てきた女の子がいる、という噂を、あなたはどこかで聞いたことがないだろうか。あるいは、「ムラサキの鏡」という言葉を二十歳までに忘れなければ死ぬ、というジンクスは? ミミズバーガーやフライドクロウ、はたまた「ドラえもん」最終回の噂など、およそ現代の私たちが生活している街のいたるところで、このようなよもやま話は次々と生まれては消えていく――話そのものにはまったく信憑性がないにもかかわらず、おもに十代の若い世代を中心にして爆発的に広がっていくデマ・ジンクス・噂話のたぐいを、総称して「都市伝説」と言う。古くには「口裂け女」なる妖怪まで生み出してしまった都市伝説は、平和で退屈な日常生活の中にぽっかりと空いた落とし穴のようなものだ。いつかきっと、何かが起こる、この永遠につづくルーチンワークのような日常をブチ壊すような何かに期待する人々の、心の隙間から都市伝説は生を受け、そしてガン細胞のごとく増殖していく。

 本書『球形の季節』の舞台となるのは、谷津という、東北地方にある小さな町である。ゆるやかに流れる紅川に三方を囲まれ、すぐ近くに如月山を臨み、まるでずっと以前からその場所に根ざしているかのように、同じような軒並みがつらなる、どこにでもありそうな、のどかな地方の町――もちろん、このような町にも人々の生活は確かに営まれており、そんな人々の間でも、つかのま話題になる噂やジンクスのたぐいは必ずひとつやふたつはあるものだ。地面にまいた金平糖を好きな人が最初に踏むと両想いになれる。如月山の頂上にあるケヤキのうろの中に願い事を吹きこんだテープを入れておくと、「正しい願い」だけが叶えられる――その中でも、谷津にある四つの高校にそれぞれ分会を持つ「谷津地理歴史文化研究会」が調査の対象としたのは、つい最近、伝染病のように谷津の高校のなかで広まったひとつの噂だった。
「五月十七日、エンドウさんがUFOにさらわれる」という、何か予言めいたものを感じさせるその噂の発生地点はどこなのか、そして何が原形であり、人づてに伝わるにつれてどのように変化していったのか。几帳面な性格の浅沼弘範を中心にして、いつものんびりとしている坂井みのり、異常なほど勘の鋭い一ノ瀬裕美、その彼女の公認のボーイフレンドである関谷仁、内気だが品の良さを感じさせる菅井啓一郎といったメンバーが、自分たちの通う高校の生徒たちを対象にアンケート調査を開始する。それだけであれば、どこの高校生でも一度は思いつきそうな、しかしちょっとだけ興味深い、自主的な追跡調査として、彼らの高校生活の思い出の一ページを飾るだけのことであっただろう――そう、問題の五月十七日に、遠藤志穂という女子高生が本当に行方不明になってしまう、そのときまでは。

 噂というのは当然のことながら、大勢の人々の間で信じられ、言い交わされるようにならなければ噂にはならない。大勢の人間の口から、呪文のように紡ぎ出される噂――最初は何の信憑性もなかったはずの噂も、みんなが次々と同じことを口にするにつれて、徐々に力をつけ、真実味を帯びて、ある日、虚構の世界からピョンと現実の世界へと跳んで、現実そのものに大きな影響を与えることがある。そういう意味では、言葉に魂が宿るという言霊思想は今もなお生きつづけていると言える。

 雲のように忽然と姿を消した遠藤志穂の手がかりがつかめるかもしれない、という望みとともに、「地歴研」のメンバーによる噂の追跡調査はつづけられる。しかしその一方で、今まで巧妙に隠されていた暗いものが徐々に噴出するかのように、谷津のあちこちで不思議なことが起こりはじめる。裕美が感じた何かが焦げるような異臭、仁がまのあたりにしたもうひとつの荒涼とした世界、しだいに増えてくる、石を積み上げる女たち――そして、再び広がりはじめる新しい噂……。

 自分たちはいったい何者で、どこからやって来てどこへ行こうとしているのか――確かなものなど何もない、信じるに足るものなどどこにも存在しないこの世の中で、ごく普通に生活しているとき、ふとそんな思いに心を奪われることがある。何もかもを投げ出して、ここではないどこかへ行けたらどんなに素晴らしいだろう。たとえ、再び元の世界に戻って来れなくても、少なくとも今よりは退屈しないのではないか――そんな、ある少年の強い想いが、都市伝説という、言葉のもつ呪詛的要素と結びついたとき、昔から人が失踪することの多かった谷津という町の真の姿が実体となって人々を自らのなかに呑み込んでいくことになる。

 自分の願いや運命を、自分でかなえられる子供、自分で拓いていける子供なんて今の時代にどの位いるのだろうか。彼らは決めてほしいのだ。大きな力でかなえてほしいのだ。

 私たちはけっして特別な人間ではないし、地球を救う選ばれし者でも救世主でもない。ただみんなと同じように生まれ、同じように育ち、そして同じように死んでいく、普通の人間でしかありえないのだ。だが、その事実はけっして恥ずべきものではないはずだ。(1999.11.26)

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