【幻冬社】
『凍りついた香り』

小川洋子著 

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 人はどこまでいっても、自分の過去から逃れられないものなのだろうか、とときどき思うことがある。その人がそれまでに歩んできた小さな歴史――それは確かにその人を評価するための重要な要素のひとつなのかもしれないが、本当に大切なのは、過去に何をしたかではなく、現在はどうなのか、そして未来に何を成そうとしているのか、ということである。
 けっして定めることのできない未来、そしてけっして変えることのできない過去――わかっているからこそ、人は過ぎ去った時間にとらわれることなく、常にこれからの時間に目を向けて生きていきたいと望む。たとえ他人が、自分の過去だけを見て自分という人間を評価しても、自分だけはこれからの未来を生きていくのだ、と。だが、誰よりも過去というものに縛られてしまっているのは、他ならぬ自分自身である、というのもまた、ひとつの事実ではないだろうか。

 本書『凍りついた香り』に書かれているのは、過ぎ去った過去をたどる物語である。篠塚弘之、涼子の恋人だった男、調香師の卵であり、涼子のために"記憶の泉"という香水をつくってくれた青年、計算や分類が得意で、常に正しい答えを導き出すことができる恋人――そして、何の前触れもなく自殺してしまった、過去の人……。だが、なぜ弘之が自殺したのか、その手がかりを求めて彼の弟である彰と出会い、弘之にまつわる昔話を聞いているうちに、涼子は自分が弘之の過去についてほとんど何も知らない、という事実に気づく。そして弘之が、仕事先の香水工房や涼子自身に対して偽りの過去を話していた、ということも。

 弘之が本当はどんな人間だったのか――彼が生きているのなら、その過去がどんなものであろうと、あるいは関係なかったのかもしれない。手をのばせば届く、ちゃんと触れることができる、そのぬくもりを感じることができる、その現実さえあれば、涼子にとっては充分だったのだから。だが、弘之の存在が過去のものとなってしまった以上、涼子に残されているのは弘之の過去だけである。そして、弘之の過去を知らない、ということは、弘之のことを知らない、ということと同じことになってしまうのだ。

 涼子の記憶のなかで、弘之が語る。「香りはいつだって、過去の中だけにあるものなんだ」と。本書には、そのタイトルからも想像できるように、さまざまな香りに関する記述が出てくる。色彩や季節感、人間の感情などにまつわる表現が豊かなのが日本語の特長のひとつなのだが、香りや匂いに関する表現は、意外と多くない。その香りを題材としてとり扱ったのは非常に興味深いところではあるが、なにより著者の一貫したテーマとも言える「記憶」を香りと結びつけたのは、まさに小川洋子だからこそ、と言ってもいいだろう。

 スケートリンクで曲芸滑りを見せる弘之、数学に関する天才的能力を駆使して、さまざまなコンテストで優勝してきた弘之、そして涼子には乗り物アレルギーと言っておきながら、一度だけ海外にまで行ったことのある弘之――自分の知らない弘之の姿を知るうちに涼子は、かつて弘之がヨーロッパ数学コンテストの日本代表として訪れたプラハに行こうと決意する。弘之が、その香りとともに自分の過去を封じこめたプラハの街――その街角に残っているはずの弘之の過去を探すために。

 弘之はいつだって正しい答えを出すことができた。「えっと……」と私が口ごもるだけで、すぐさま脇から正確な数字を提示してくれた。決して押しつけがましくなく、自慢げな様子はかけらもなく、むしろ申し訳なさそうでさえあった。――(中略)――ゆるぎのない数字の響きは私を安堵させた。間違いなく自分のそばに、彼がいるのだと感じることができた。

 人間であるかぎり、どんな天才であっても一度や二度は必ず間違いを犯すことはあるはずである。だが、彼は過去において、神の気まぐれによって起こる間違いさえコントロールしようとした。正しい答えを出すこと、それは同時に、人が求めているものを察知し、望む答えを導くことでもある。もしかしたら、弘之は常に人が望むものを答えていくあまり、自分自身が何者であるのかを見失っていたのではないだろうか。輝かしい過去の記録、まばゆいトロフィーの数々――だが、弘之にとってそれらは、あらかじめ用意されていた答えを導き出した結果でしかないのだ。

 過去はけっして変えることはできない。逆に言えば、どれだけ嘘をついても、どんな人間であっても、過去はけっして損なわれることはない、ということでもある。すべての人間に最終的に待ち受けている「死」という運命は避けられないものではあるが、その人がたしかに生きていたのだという過去の記憶はまぎれもない真実なのである。その真実がはたして良いことなのか悪いことなのか――それはおそらく、自分のありのままの過去を受け入れることができるかどうかで決まってくるのだろう。(1999.12.05)

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