【河出書房新社】
『首飾り』

雨森零著 
第31回文藝賞受賞作 



 永遠、という言葉について、ふと思いをめぐらせる。永遠――永く、遠くあること。まだ幼い子どもだった頃、私たちは常に「今」という時間のなかでのみ生きてきた。大人になったら何になりたいか、といった宿題が学校から出され、自分が大きくなったときのことを漠然と想像してみることはあっても、それが自分自身の未来の姿に直接結びついてしまうことはなかった。それどころか一年先のこと、明日のことさえ考えるようなことはなかった。そういう意味で、子どもだった頃の私たちは、たしかに永遠を生きていたのだ。

 いったい、いつの頃から私たちは、永遠が永遠であることを信じられなくなってしまったのだろう。時の流れは無情にも、確実に私たちを子どもから大人へと変化させていく。どんなに望んでも、子どものままでいたいと願っても、私たちの体は否応なく第二次成長期を迎え、男あるいは女という性を身にまとってしまう。そのゆるやかな、しかし圧倒的な変化は、私たちの永遠を過去へと押し流し、同時に私たちに一歩、前へ進むことを強制する。大人になること――それは、永遠の喪失であり、私たちに対する、けっして同じところにとどまってはいられないのだという宣言でもある。

 そう、私たちはけっして子どものままではいられない。たとえ、そこがどんなに居心地のいい場所であっても。

 本書『首飾り』の舞台となるのは、虹沢と呼ばれる集落だ。「虹沢部落でも虹沢村でもなくただの虹沢」――近くの部落にあった製材所がつぶれて以来、人が出ていくだけの滅びかけた集落につれていかれた少年れいは、そこでふたりの子どもと出会う。自分勝手で野性的であり、しかしその瞳に、会う人すべてを惹きつけずにはおかない強い光をたたえた秋と、目に見えない部分でやわらかい優しさをもった、それに気づいた人をあたたかい気持ちにさせる淡い光を放つななと。
 それが虹沢に住む子どものすべてだった。知恵遅れと判断され、小学校に適応できずに退学せざるを得なくなり、たったひとりの世界に閉じこもっていたれいにとって、集落をとりまく豊かな自然と、あまりにも強烈な光を放つ秋の存在と、そしてたった三人の子どもだけで形成される純粋な、あまりにも純粋な世界は、あらゆる意味で彼に与えられた、生きていくためのエネルギーだった。れいは閉じこもっていた心の中から自分で立ちあがり、そして秋の後を走り始めたのだ。

 今の自分という人間を形成するのに大きな影響をおよぼした人物というのが、誰でも一人や二人はいるものだが、れいにとっては秋こそがまさにそれであった。強烈で、自分の心にひたすら素直で、それゆえに残酷でさえあった秋のようになりたいと、れいもまた驚くほど純粋に思い込んだ。そしてれいはななと違い、秋のやることを真似するだけの力を持っていた。だが、それは同時に、大きな悲劇のはじまりでもあった。秋とななとれい――いみじくも本書の中に「手を叩くには二つの手がいる。一つでは音にならない。でも三つだと多過ぎるのだ」とあるように、三人だけの世界というのは、どこかに危険を孕んだものとしてあったのだと言える。

 それでも三人が子どもだった頃は、うまくいっていた。三人の中のリーダー的存在で、常に行動の中心にいる秋と、よく秋に泣かされながらも、すぐに機嫌をなおしてついてきたななと、そしてひたすら秋のあとを追いかけながらも、秋のななに対する意地悪をそれとなくたしなめるれいと。だが、やがて三人は少しずつ成長しはじめる。三人だけの世界だった分校から本校へ、そしてさらに大きな舞台である中学校へと世界は広がり、三人の体もまた、今までとは違った何かに変化していく。そして、三人の子どもがもはや子どもではなく、二人の男と一人の女であることを自覚したとき、それまで微妙なバランスを保ってきた三人の関係も、そして、それぞれの心も、体の成長を止められないのと同じように、変化せざるを得なくなってしまったことを悟るのである。

 子どもから大人へと変化すること、成長するということが、なぜこれほどまでに切なく、哀しいのだろうか。それは、三人の子どもがまさに純粋な子どもであったからに他ならない。世界中の情報を、その質を問うこともなく垂れ流すテレビやラジオもなく、大人たちの自分勝手な思惑もなく、そして同世代のグループすらいなかった虹沢という世界が、まさに周囲に溢れる草木や水と同じように、きわめて自然なままの子どもたちを育てた。そして自然であればあるほど、純粋であればあるほど、それを打ち壊して大人になるという事実に痛みをともなうことになる。

 ななが変わりはじめ、秋もまた変わりはじめた。それまでだったらけっしてありえなかった事件が三人の間で起こり、三人の心はゆらゆらと不安定に揺れ動く。そして、そんなふたりの変化に戸惑いを覚えつつ、最後には自分もまた変わりつつあることにれいは気づく。そこには、絶対に変わらないと信じていたものが崩れ去るときの無情に溢れている。そして、その情景が悲痛であればあるほど、本書が描く世界は不思議なくらい美しい輝きを増すのである。

 僕は何処にも行きたくなかった。
 僕は少年のままでいたかった。
 秋、僕は大人になんかなりたくないよ、ずっとこのままでいたいんだよ。僕は何も変わっていない。秋も何も変わっていない。変わっていくのは時だけだ。

 私たちにも子どもだった時期があった。「今」だけを信じて「永遠」を生きることのできた頃が、確かにあったのだ。知らないうちに大人になって久しい今となっては、もはや思い出すことさえ困難な遠い過去の出来事なのかもしれないが、本書を読み返すたびに、そんな遠い過去の自分の姿が目の前によみがえってくるような、そんな痛みをともなうなつかしさを感じることができる。

 小さな世界の中で、少しずつ育ってしまった三人だけの悲劇――そのはてに、れいはいったい何を見ることになるのか、そして他ならぬ読者自身が大人になったときに何を手に入れ、何を失ったのか、本書を読んでもう一度思い出してほしいと願う。(2000.07.03)

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