【産業編集センター】
『鴨川ホルモー』

万城目学著 



 恋は盲目、というのは世間でよく言われることであるし、じっさいに私にも身に覚えのあることなのだが、なぜ恋をすると、それまであたり前のようにわかっていた道理が見えなくなって、普段ならけっしてやらないようなだいそれたことをしでかしてしまうのだろうか、と今でも不思議に思う。そういう意味で、恋という感情を病気と同列のものとして最初に扱った人に、私は大いに敬意を表したいところだが、たんなる自己満足や利害関係といった要素を越えて、自分以外の人のことに夢中になってしまう、というのは、考えてみればやろうと思ってもなかなかできるものではない。もちろん、人間というのは自分本位に生きるものであるし、主観によって周囲の世界を再構成する以上、自身のどのような行為もけっきょくのところ自分の何らかの欲望に帰結するのかもしれないが、たとえそれが異常な心の作用であったとしても、誰かのことを好きになったり、あるいは嫌いになったりするというのは、この世界に自分以外の、自分とは異なった個性、自分が認識するのとは別の世界をかかえた他者がいることを意識することであり、それは想像力をもつ人間だけの特権でもある。

 自意識が強い人であればあるほど、自分以外の他者の存在を意識するものだし、場合によってはお互いの認識する世界の違いから何らかの摩擦が生じることもあるわけだが、そうした他者がとらえる世界に積極的にかかわっていこうとする行為は、それなりに余計なエネルギーを必要とする。誰だって、自身の世界に安住するのが楽なはずなのだ。そういうふうに考えたとき、人が人を愛するという感情は、たしかに愚かしいものかもしれないが、逆にそうした愚かしい感情があるからこそ、人はここまで多様な発展を遂げていったのではないだろうか。

 本書『鴨川ホルモー』という、なんとも珍妙な、そしてどこか間の抜けたタイトルは、京都において長きにわたり、秘密裏に繰り広げられてきた一種の競技の名前である。食べ物のホルモンのことではなく、「ホルモー」。敵味方それぞれ十人ずつが、鬼や式神を兵隊のように使役してバトルを行なうという、いかにも京都的な雰囲気をもつこの謎の競技を中心に物語が展開していく本書は、登場人物たちがそれまで知らなかったもうひとつの世界の存在に大きくかかわってしまう、という意味はファンタジー的な要素の強い作品であることはたしかだが、本書の大きな特長のひとつとして、そうしたファンタジー的な別世界とはべつに、登場人物たちの関係性によって浮き彫りにされてくる、自分の主観とは異なる世界を見ている他者の存在を、いわばもうひとつの別世界として対比させているという点である。

 本書において一人称の語り手となっている安部は、二浪の末に京都産業大学への入学をはたした新入生。すでに二十一歳となっていた彼にとって、サークル活動はたいして興味のもてないものであり、新歓コンパへの出席も、あくまでタダ飯が食えるからという理由でしかなかったのだが、そんな彼が「京大青竜会」というサークルにかかわるようになったのは、その新歓コンパで知り合った早良京子に一目惚れしてしまったからに他ならない。

 葵祭でのアルバイトのさいに、何のためらいもなく自分や同じ大学の同期である高村を京大出身だと判断したこと、活動内容は登山やキャンプといった当たり障りのないものであるにもかかわらず、パンフレットの内容にそうした具体的なことがまるで書かれていないこと――いや、そもそも「京大青竜会」などという、暴力団のような名前自体、変と言われれば変なのだが、何しろ恋のまっただなかにいる安部にとって、そうした違和感はじつにささいなことでしかない。そんなこんなで安部は、他の九人の新入部員ともども、いつのまにかこの奇怪な「ホルモー」の競技者として、他の大学に同じように存在する競技者たちと戦わなければならない羽目に陥ることになる。

 今となって俺は断言できる。もしも「ホルモー」にて相対することになった敵味方二十人が、敗者に容赦なく訪れる、あのおそろしい瞬間を、以前に一度でも目にしていたのなら、決して「ホルモー」の世界になど足を踏み入れなかっただろう、と。

 不特定多数の人間を巻き込んでなんらかのゲームを実行する、というシチュエーションは、けっして珍しいものではない。それこそスティーヴン・キングの『死のロングウォーク』や、山田悠介の『リアル鬼ごっこ』、あるいは高見広春の『バトル・ロワイアル』など、人道など無視した過酷なゲームをあつかった小説はいくらでも例があるのだが、本書における「ホルモー」という競技は、鬼や式神といった人ならざるものを行使するとはいえ、上述のゲームのように自身の生死をかけるたぐいのものではなく、言ってみれば伝統行事のような位置づけだと思って差支えがない。

 本書の前半部分は、おもにその謎の「ホルモー」がどのような競技で、それがじっさいに行なわれるためにどのような準備や手続きが必要であるか、その過程を描くことに費やされており、上述の作品と比べると、その必然性や命にかかわるという逼迫感がとぼしいぶん、どうしても冗長さが否めないところがある。だが、それでもなお本書が面白いのは、本書の焦点が「ホルモー」という競技だけでなく、「京大青竜会」に集まった安部をはじめとする人たちの、恋愛感情を中心とする人間関係にも焦点をあてており、その関係性が「ホルモー」という競技を大きく変質させてしまうところにある。

 人間どうしが戦ったり競ったりするのには、それぞれ理由が必要である。愛する人に認めてもらいたい、憎いあんちくしょうをギャフンといわせてやりたい、やるからには勝ちたい――あるいは、自己鍛錬といった哲学的目的もあるかもしれないが、とくに団体戦の場合、なによりチーム同士の連帯感が重要となってくるのは言うまでもない。安部たちの恋愛感情は、それまでとくに戦う理由のなかった彼らに、しかるべき戦う理由を付与するためのものとして機能している。そしてそんな人間の感情は、それまでしかるべき形式にのっとることで、とくに何の危険性もない競技として成立していた「ホルモー」の、どこか得体の知れない世界を浮き彫りにすることになる。だが、それは自分以外の他者という名の「世界」についても同じことなのだ。

 自分の周囲にいる人たちが、はたして自分をどのように捉えているのか――その複雑な心理状態は、まさに「ホルモー」の世界と同じくらい、いや、それよりもはるかに深遠な謎だといえよう。そういう意味で、「ホルモー」はまさしく競技であり、本書はまさしく大学生の青春を描いた人間ドラマだと言うことができる。そんな深遠な世界を垣間見ることになった安部たちの、ちょっと奇妙な青春をぜひとも楽しんでもらいたい。(2007.02.19)

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