【新潮社】
『ガイアの季節』

有沢創司著 



 たとえば、あなたが今こうして見ているインターネットのブラウザ画面。その画面を映しているモニターも、インターネットにつなげるためのパソコンも、そしてデータを置いてあるサーバも、電気がなければただの箱でしかない。そしてその電気の約三割が、原子力発電でまかなわれているという。その安全性はともかく(もし本当に原子力発電が安全なら、東京のど真ん中に建てればいい、という意見もある)、夢の次世代エネルギーが見つからないかぎり、日本の電気は原子力にたよらざるを得ない、というのが実情らしい。
 だが、それはもちろん日本の実情であって、オーストラリアの先住民族アボリジニにとっては、日本の電気がどうなろうと知ったことではない。

 本書『ガイアの季節』の舞台となるオーストラリア、そしてその地下に眠る、莫大な量のウラン――オーストラリア政府が放出したウラン鉱山の権益を巡って、日本、ドイツ、イギリス、そしてオーストラリアの各電力会社は激しい火花を散らしていた。中央電力の燃料部に勤める門奈芳樹は、病気で倒れた中辺に代わって、将来の安定した電力供給と日本の国家戦略にかかわるこの一大プロジェクトを成功させるべく、オーストラリアへと向かう。
 しかし、現地で中辺を見舞った門奈は、彼がすでに死の淵に瀕していることを知る。「チッペンデイルへ行け」――ウラン交渉に関する日独英の三国合意文書を取り交わしたその足で、中辺が残した言葉どおりチッペンデイルへ向かう門奈。だが、そこはウラン鉱山の所有権を主張する先住民族アボリジニの町であり、門奈の運命を決定づける女性との出会いと、合意文書の紛失という事態が待ち構えていたのである……。

 本書では日本、ドイツ、イギリス、オーストラリアの各電力会社のほかに、アボリジニの団体や、反核環境団体、またある国の諜報機関などといったさまざまな組織が登場するが、この物語が好ましいのは、どこか特定の組織を一方的に悪者にしたり、また一方的に肩入れしたりすることなく、どの組織に対してもその表と裏を等しく書き出そうとしている点にあるだろう。巨大企業である日本の電力会社だからといって、そこで働く人がみんな悪い人間であるわけではないし、反核環境団体だからといって、そこに参加しているみんなが良い人であるわけでもない。また、マイノリティーのアボリジニにしても、みんながみんな民間伝承(ドリーミング)でのタブーだからウラン発掘に反対しているわけではなく、企業と同じようにウラン売買の利益を得ようと考えている者だっている。企業には企業の、環境団体には環境団体の、アボリジニにはアボリジニの思惑がそれぞれあって、それらが複雑に入り混じって物語は進行する。そんな思惑が飛び交うなか、日本の電力会社の人間である門奈と、アボリジニのマグー族の精神的支柱であるアケミは出会い、徐々に魅かれ合い、そして恋に落ちていく。

 かつて、マグー族のために力を尽くしたアケミの父、それゆえにマグー族の心の支えとならざるを得なかったアケミ――その役割の重荷から解放されたいと望んでいることを知った門奈は、彼女とマグー族を切り離し、日本に連れ帰るために立ちまわることを決意する。はたして、複雑な利害関係が交錯するウラン交渉で勝利するのはどこなのか? そして現代版『ロミオとジュリエット』とも言える、門奈とアケミの恋の行方は?

 環境問題、エネルギー問題、差別問題、そして民族間や国家間での問題――本書にはさまざまな問題が集約されており、それぞれ思う所もあるのだが、けっきょくのところ、著者はひとつの壮大な恋愛小説が書きたかったのではないか、と私は思うのだ。そう、恋愛小説――同じ日本人の両親から生まれながら、まったく違う民族として育てられた男と女の、美しくも哀しい恋物語……。(1999.04.29)

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