【双葉社】
『消えずの行灯』
−本所七不思議捕物帖−

誉田龍一著 
第28回小説推理新人賞受賞作 



「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない」というのは、SF作家アーサー・C・クラークが定義した三法則のひとつだと言われているが、仮に今の私たちがあたり前のように享受している科学技術の産物にしても、はるか原始時代の水準からすれば、まるで魔法であるかのように映ったとしても、なんら不思議ではない。遠く離れた人と会話をしたり、夜を昼に変えたり、映像をそのまま記録して再生したり、ときには空を飛ぶ乗り物や、宇宙に行くための船さえ作ることを可能にしてくれた科学技術は、私たちの生活に多くの恩恵をもたらしてくれたが、たとえば電話や電灯といった文明の利器が発明されるには、そこに応用されるための科学的発見が必要だったわけであり、それはひとつの必然として、そうした科学的発見がなされる以前において、私たちの常識は常識ではなかった、ということになる。その場その時間に居合わせなければ、そこで何が起こったのかを知るすべはないし、遠く離れた人と連絡をとるにしても、今日では考えられないほどの手間と労力が必要となる。そういう意味において、私たちの常識というものは、けっして不動のものではなく、時代によって、価値観によって変化していくものでもある。

 時代時代の節目において、多くの歴史的発見や発明がもたらされる一方で、不可思議な事件や奇怪な現象が数多く報告されるというのは、それまで常識ではなかったものが人々のあいだに浸透していく過程において、多かれ少なかれ生じることである。今回紹介する本書『消えずの行灯』において、キーとなる要素のひとつとしてまず挙げられるのは、その時代背景だ。なぜなら、表題作をふくむ七つの作品を収めた連作短編集である本書の舞台として、ペリー率いる「黒船」来航時の江戸という時代の変動期を選んだのは、そうした過程においてもたらされた数々の西洋の科学技術が、鎖国中の日本人にとっては、まったくもって説明のつかない怪奇として映るというギャップを利用することで成立するミステリーだからである。

 夜、誰もいないところに、行灯の明かりだけがついていて、その明かりが消えると祟られる、夜中に突然天井を突き破ってくる巨大な血だらけの足、釣り人に対して「置いてけ」とささやきかける恐ろしい声、かつて、片方の手足を切断されて殺された女の怨みで、茎の片側にしか葉がつかなくなった芦――「本所七不思議捕物帖」というサブタイトルからもわかるように、いずれの短編においても、江戸本所に古くから伝わる七不思議が事件に絡んでくる。探偵役である釜次郎と、ワトスン役を担う潤之助は、ともに武家の次男坊で、今は本所の塾で蘭学を学ぶ身であり、従来の四書五行や漢詩を中心とする学問よりも、蘭学などの西洋の知識こそがこれからの時代に必要だという部分では同じ思いをもっている。とくに釜次郎については、それまであたり前のこととして、ただ受け入れてきた事柄に対して、「なぜそうなのか」という疑問をもつことを止められないという性格の持ち主であり、そうした性格ゆえに、本所七不思議に絡む殺人事件についても、その謎を解き明かそうと首を突っ込むという展開へとつながっていくことになる。

 例えばこの麦湯。夏場になると、このとおりみながこぞって飲む。暑い時もこれでしのげると言う――(中略)――そこで学問なのさ。その話は本当か、ただの迷信か。もし本当なら、どんな所以でそうなのか。麦の中の何が良いのか、そういうことを追究したくなる。

(『送り提灯』より)

「消えずの行灯」や「足洗い屋敷」といった、江戸っ子にはとかく祟りや呪いといった言葉で片付けてられてしまいがちな異様な出来事について、蘭学をはじめとする知識の光をあてることでその謎を解明する、というのが本書の趣旨であることはたしかだが、その以上に重要なのは、そうした科学技術がもたらす光と闇について、陰惨な殺人事件とその解明という形で表現しようとしている点だ。それを端的に示しているのが、釜次郎の人情味溢れる性格という一面である。彼は新しいもの、不思議な事柄についてことさら興味をもちながらも、なお人として本当に大切なことは何なのか、ということについても、けっして足を踏み外すようなことがない。誰も知らないような新しい知識は、ときにそれを手にした人に特殊な感情、言ってみれば、自分が特別な人間だという優越感を引き起こしてしまいがちであるが、釜次郎たちの推理の過程は、その両極端をあらためて読者に示してみせるところがある。

 そして、そんな釜次郎を支えるかのように、同じ武士の潤之助をはじめ、噺家の卵で言葉巧みな次郎吉や、剣の達人である今井、さらには同心の磯貝や、潤之助の兄の嫁であり、兄の死後は正式に仁杉家の養子として受け入れられた千代といった個性の強いキャラクターが集まってくる。小説推理新人賞受賞作にもなっている表題作の『消えずの行灯』などは、それぞれのキャラクターが物語のなかで、それぞれの個性を生かした役割をはたしていくという連携が見事であるが、それ以降の作品についても、とくに義理人情という点では千代がことさら牽引役となり、ときには釜次郎を驚かすほどの行動力で物語を動かしていくことが多い。こうした登場人物たちの魅力は、全編をつうじて登場する者たちばかりでなく、その短編独自の脇役についても、私たちもよく知る幕末の有名人が思わぬところで顔を出したり、その正体を現わしたりすることもあり、思わずニヤリとさせられてしまうこと請け合いである。

 黒船来航によって、それまで外に対して閉ざされていた国が開かれようとしている時代――それは、言うなれば締め切られていた扉が開いていくようなものである。その向こうに何があるのかはわからない。そして、それが自分たちにもたらすものも。そうした混乱と先行きの不安が渦巻くなか、時代の変化によってもたらされるものを恐れることなく見据え、闇のなかに蠢いていた迷信や古臭い言い伝えの本当の姿を見極めようとする釜次郎の推理は、たしかにその時代だからこそ成立するものであるかもしれない。だが、そこに秘められた思い――物事の真実を追究していくという思いは、時代に関係なく私たちの心を打つものがある。幕末を舞台にした本書であるが、その底に流れているものは、私たちの生きる現代にもたしかにつながっている、という確信がある。(2009.02.08)

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