【幻冬舎】
『13』

古川日出男著 



 本書を読み終えて、私は考える。響一にとって、またローミにとって、「13」とは何だったのだろう、と。

 元をただせば、それは軍人などが持つたんなる認識票でしかなかった(もっとも、その認識票「13」のもともとの所有者にとっては、自分に幸運をまねく「不吉な幸運の数字」だと考えていたようだが)。それがローミの手に渡ることによって、ローミは自分のうちに神格化された別人格「13」を生み出すことになり、さらにめぐりめぐって響一の手に渡ることによって、響一は自分の生涯の仕事ともいうべき「神性の視覚化」を実現しようと決意することになる。そして、私は考える。ふたりの人間の運命を大きく変えてしまうことになる「13」とは、いったい何だったのか、と。
 先天的に左目だけ色弱をわずらっていた響一は、そのため常人のように、物体を形と色の組み合わせで捉えるのではなく、色の配置、強弱、濃淡といった、色彩の側面からのみ捉えるという、独自の世界認識を行なっていた。それは響一に、天才的とも言える色彩感覚を獲得させるに至るのだが、より多くの色を発見し、またより多くの色を生み出すことを望む響一にとって、日本という国はあまりに窮屈過ぎた。
 その頃、従兄であり、ザイール共和国の霊長類センターに勤務する関口が、ムンドゥの森の狩猟採集民ジョ族の少年ウライネをつれてくる。素朴で屈託のないウライネは、学校では努めて平均的な生徒を装っていた響一にとって、はじめてとも言える親友となった。そして、ウライネが話すザイールのムンドゥの森、極彩色に溢れる熱帯雨林の森の色彩に、響一の心は揺れ動く。  響一は中学卒業と同時に、一年間という約束で、ザイールに、ウライネの待つムンデゥの森へ行くことを決意する。いまだ目にしていない色を見るために、そして、自分にしか見えない色彩の世界を表現する方法を見つけるために。
 そして響一は、焼畑農耕民ワツァ族の娘ローミと出会うことになる。奇妙な偶然が重なって、ザイールの農耕民とキリスト教会から「黒い聖母(マリア)」として祭り上げられることになったローミと。

 宗教、そして、それぞれの宗教が語る救済――しかし、現在世界的な問題と化している貧困や飢餓、また民族紛争といったものに、人々の精神的な支えとなるはずの宗教は無力であるばかりか、異なる宗教間の対立がより多くの悲劇を生んでしまっている。そんな世の中にあって、ローミと響一が歩むことになる運命は、あまりにも象徴的だ。ローミ(というより、彼女の中に生まれた擬似人格の「13」)が、キリスト教という既存の宗教の中で自ら「黒い聖母」となり、新たな救世主を産み落とすことによって人々の救済を果たそうとするのに対して、響一はそれまで弾圧されてきた、シャーマニズムやアニミズムに代表される未開の原始宗教のエネルギーに触れ、その核となるファナティックな幻視体験を映像化することで、人間の意識を、ひいては世界を変えようとする。

「世界が変わるよ」確信を籠めて響一は語った。「世界は境界をなくす、このディスクに収められたデータは秘蹟だ、秘蹟の触媒、現実に裂け目を作るものだ、無意識の深い層に世界は下降する、人間は、人類と言ってもいい、これは譬喩だけど神の胎内に回帰する」
(中略)
「……俺たちは、もう一度、この世界で、無意識の森となった世界で、すべての生命とともに生きるんだ、動物と植物とを問わないすべての生命と一緒に、本物の秩序を取り戻す、それは霊の秩序だ」そして熱を帯びた声で付け加えた。「あらゆる生命の霊とともに、俺たちは、世界を生き直す」

 純粋に物語の筋を追っても面白い作品である。また、あくまで主観を廃した文章表現と、それゆえに実現できた斬新な物語構成も秀逸だと言える。そして何より、響一の、ピグミーチンパンジーの、また未開の原住民の目をとおして、本書は読者に対して常に提示してくれる、「我々が見ている世界だけがすべてではないのだ」と。

 結局のところ、「13」とは何だったのかという問いに、私は納得できるような答えを見つけることはできなかった。あえて言葉にするなら、「地球の意志」といったものになるのだろうか。だが、それがどんなものであれ響一はおそらく、「13」の意志を乗り越えるだろう。そして、あくまで自分がしていることの正しさを信じて、神の映像化に挑戦しつづけることだろう。「あらゆる生命の霊とともに」世界を生き直す日は、そう遠い未来のことではないのかもしれない。(1998..12.24)

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