【国土社】
『純にいちゃんの赤ちゃん』

うみのしほ著/牧野鈴子絵 



 純粋に誰かをいとおしく思う気持ちや、そこから発展して自分とともに長い人生を歩んでくれる人との結婚や、新しい家族を築いていこうという気持ち、やがて生まれてくるであろう子どもたちを家族の一員として、配偶者とはまた違った意味で愛していくという想いは、本来とても健全で、自分たちばかりでなくその周囲にいる人たちさえも幸せにしていく力をもつものである。それは、人によっては言われるまでもない、あたり前のことであるのかもしれないが、たとえばこの書評を書いている私というひとりの人間が、そうした人間としては当然であるはずのあたたかな感情について、どこか冷めた視点でかまえるような部分をもってしまっているという事実を思い知らされるにつけ、もしかしたら自分は、人として大切な何かが決定的に欠けてしまっているのではないか、という疑問に突き当たってしまうことになる。

 親が子どもを虐待したり、逆に子どもが親を傷つけてしまったり――そんな気の滅入る事件ばかりが流れているように思える新聞やニュースを目にするたびに、これを見ている人たちは、結婚して家族をもつことについて、けっして良い印象をもつことはないだろうという確信がある。本来とても素敵なことであるはずのことが、どこか歪んだ形で社会に定着していくように最近思うようになっているのは、はたして私だけだろうか。母親の葬式という、重苦しい場面からはじまる本書『純にいちゃんの赤ちゃん』であるが、後に残された優子をはじめとする家族たちが、それぞれの形でその死を深く悲しみ、胸を痛めているという事実は、つらいことではあると同時にひとつの救いでもある。なぜなら、彼らは人の死というもの、家族の喪失感を悲しいと素直に受け取るだけの心があるとわかるからである。

 本書は大きくふたつのパートに分けることができる。前半が母親の死を中心として物語が展開していくのに対し、後半では兄である純一の恋人が妊娠していることがあきらかになるという、ともするとふしだらな展開になりかねないものであるのだが、まだ高校生である純一と、その彼女である上原ちなみとの妊娠騒動は、前半の「静」とは対照的に「動」――物事がとにかく動き出していくという意味で対極を成すものである。そして、本書の前半と後半における対照形を考えたとき、母親の死という要素で彩られていた前半が「死」の雰囲気をまとっているとすれば、本書の後半は当然のことながら「生」に満ち溢れたものということになる。

 それゆえに、本書の妊娠騒動は、私たちが思っているほどドロドロしたものとはならないし、また家族の崩壊を決定的にするかのような修羅場へと突入することもない。もちろん、騒動が起こらないわけではないし、ふたりの仲にかんする下世話な噂が出てこないわけでもないのだが、そうした部分は慎重に流していこうとする意図が見えている。そこにあるのは、母親の死によってそれぞれバラバラになりかかっていた家族の心が少しずつほぐれ、そして妊娠騒動をきっかけにふたたびつながっていくという過程であり、また自分たちが常に他の誰かに支えられていることへの再認識でもある。

 ふだんはなかなか意識することのない、人と人とのつながり――本書における優子の家族が、商店街の一角で飲食店を営んでいるという設定も、そうしたつながりを効果的なものとするための要素のひとつとなっている。近所づきあいというのは、ともすると面倒くさいものであるのだが、たとえば優子たちの飲食店が、母親が病気になった家族のためにふだんはやらない出前を引き受けるというシーンに込められているのは、まぎれもなく人と人とのつながりの大切さであり、お互いに助け合って生きていこうとする人々の姿である。そしてそれは、そのまま優子の家族の姿へとつながるものでもある。

 本書の構造が前半と後半で対極をなす形で成り立っていると、上述した。本書の後半における「生」の中心にあるのは、まだ生まれていない胎児の命であり、前半は死んでしまった優子の母親が「死」の中心にいる。だが、胎児にしても死んだ母親にしても、いずれも目では見えないという部分でじつは共通するものをもっている。そして、目に見えず、それゆえにふだんなかなか気がつかないという意味では、人と人とのつながり、家族としての絆も同じものだと言える。物語のなかで、優子はときどき死んだはずの母親の声を耳にする。この「母親の声」が、リアルな現実で構成されている本書のなかでは唯一のファンタジーであり、それゆえにその部分だけ浮いているような印象があるのだが、目には見えない人と人とのつながりが本書全体の大きなテーマであると考えたとき、同じく目には見えないが、たしかな命として感じることのできる胎児の対として、「母親の声」がきちんと機能していることに気づく。

 ひとつの命が失われ、しかしまた新たな命によって、生と死という大きな隔たりを越えて想いがひとつにつながっていく――こうして、本書の前半と後半はひとつのテーマで強く結びつけられる。悲しさ、怒り、喜びといった人間の感情に翻弄されながらも、それでもなお新たな一歩を歩き出していく優子の家族の姿を見ていると、誰かをいとおしいという思いや、家庭をもち、家族に囲まれて生きていくことのあたたかさが、このうえなく大切なものだということをあらためて思い知らされることになる。

「兄ちゃんとちぃちゃんは、なにも悪いことなんか、してませんっ! 兄ちゃんとちぃちゃんは、すっごくいいふたりなんだ。ふたりいっしょでないと、ダメなんだよ!」

 人は最終的には、ひとりなのだと思っていた。それはある部分では真実だ。ひとりでなければならない場面も、長い人生の中にはあるのだろう。だが、人間ひとりの力でできることなどたかが知れているし、人生はいつも自分ひとりの力で何とかなるようなものばかりでもない。あるいは、私は自分以外の誰かに心を許したり、依存してしまうことに恐れをいだいていたのかもしれない。目には見えない、しかしこのうえなく大切な人と人とのつながり――本書を読み終えて、そうしたつながりがあたたかさとともに心に染みてくるのは、きっと本書のなかに、人としての素敵なつながりを感じさせるものがあるからに違いない。(2007.06.08)

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