【講談社】
『人格転移の殺人』

西澤保彦著 



 私がまだ可愛らしい小学生だった頃、小学校は家から通える距離にあり、私は近所の子どもたち同様、家から歩いて通学するのが常だったが、その行き来のさいに、よく他愛のない遊びをしながら登校したり下校したりしていたのを覚えている。たとえば、道端に落ちていた石ころをうまくコントロールしながら蹴飛ばしていく。歩道にのびる影の部分だけを歩きつづける。あるいは、水の流れる側溝に葉っぱを落とし、それを追跡していく。あの頃はとくに何も感じなかったが、今にして思うと、ただ「歩く」という日常行為のなかにさまざまな変化やルールを持ちこむことによって、いかに非日常をつくり出して楽しもうとしていたかがよく見えてくる。

 ミステリーによくあるシチュエーションのひとつとして、不特定多数の登場人物をある隔絶された空間に集め、そこで殺人事件を展開させる、というものがある。隔絶された空間とは、あるときは周囲を海に囲まれた孤島だったり、唯一の道を何らかの事故で遮断された山小屋だったりといろいろなバリエーションがあるが、私たちが常日頃から退屈だと思いながらもなじんできた「日常」という場から切り離された空間である、という点だけは共通している。殺人事件という、大部分の人たちにとっては「非日常」である出来事が、同じく「非日常」の場で起こったとき、ミステリーの読者はその非日常性ゆえに、殺人という生々しい現実を、あくまで「謎解き」という一種のゲームの要素としてとらえることが可能になる。そして、ゲームとは常に日常から乖離したものであり、だからこそ私たちはその展開にリアルな現実を感じることなく、心ゆくまで「謎解き」と「犯人探し」というゲームを楽しむことができるのである。

 非日常的なルールと、非日常的な空間――ミステリーを「謎解き」というゲーム性でとらえたとき、このふたつの要素はうまく使えば読者の心を惹きつける大きな力となるが、本書『人格転移の殺人』は、まさにこのふたつの要素を前輪と後輪のようにうまく配置して、ミステリーの非日常的なゲーム性を非常に魅力的なものとして前面に押し出していくことに成功した作品だと言うことができる。

 そのタイトルからも推察されるように、本書のなかには「人格転移」――つまり、自分の人格が他人の身体のなかへ次々と入れ替わっていく、という「非日常的なルール」が適用されている。世紀末も近い年末のカリフォルニア州、かつては婚約者でもあった美由紀を日本から追いかけてきたあげく、冷たくあしらわれてしまった苫江利夫は、失意のままとあるショッピンクモールのハンバーガーショップに立ち寄った。チキンバーガーとアイスティーしかないその店は、その内部におよそ不釣合いなシェルターを抱えていた。ふだんはほとんど人も入らないその店に珍しく次々と入ってくる、年齢も人種もバラバラな客たち――だが、突如として襲った大地震によって、店の客たちは一時的にそのシェルターのなかへ逃げ込まざるをえない状況に陥ってしまうのだが……。

 じつはシェルターだと思われていたものが、アメリカが独自に研究をつづけてきたものの、どうしても今の科学技術では解明不可能だとして閉鎖された、「人格転移」を引き起こす不思議な部屋であり、それゆえにその部屋に避難した6人がそろって人格転移をおこしてしまい、最高国家機密としてとある場所に隔離されてしまう、というのが本書のいわば導入部分であるが、そんなややこしい状況下において、さらに連続殺人という「非日常」が発生してしまう。ここでひとつ重要なのは、日常から切り離された空間に集められた登場人物たちのなかで殺人事件という「非日常」がおこる、というシチュエーションは、これまでのミステリーのなかではさんざん使われてきた古いものであるにもかかわらず、そこに「人格転移」という非日常的なルールがくわえられるだけで、とたんにこれまでにない「謎解き」の面白さが立ち現われてくる、という点である。

 いっけん奇想天外に思われるSF的要素を取り上げておいて、そのなかに厳密なルールを盛り込むことによって、かえって作品内に仕掛けられたトリックとその謎解きを論理的なものとして読者に納得させる、という形の本格ミステリーは、以前に紹介した『七回死んだ男』も同様であるが、それ以上に驚くべきなのは、ミステリーとしての徹底したロジックもさもさることながら、物語全体に仕掛けられた伏線とその解消にいっさいの手抜きを行なわない、という点である。本書をもう一度読み返してみると、最後にあきらかにされるすべての謎が、それ以前に提示された伏線によって結びつけられているという事実に気がつくのだが、そのうちに、本書の冒頭における過去の実験から、「人格転移」させられた人物構成や性格までもが、すべて緻密な計算のうえで設定されたものであることに気づかされて戦慄を覚えてしまう。この凄さは、まさに本書を読んでもらう以外に伝えようがないのだが、それでなくとも、六人の人格が次々と入れ替わっていき、誰の人格が誰の身体に入っているのかをまとめるだけでも、相当に頭を使う作品であることだけは間違いない。だが、それがけっして面倒にならないだけの、読者を惹きつけるものもたしかにもっているのだ。

 何をもってある人間の人格を区別するのか、といった哲学的なテーマから、男女の恋愛や人間であるがゆえの醜い心といった人間ドラマの要素までもきちんと押さえ、さらに本格ミステリーとしても充分すぎるほどのクオリティーを保ちながらも、ひとつの物語としてもきれいにまとまっている、という非常に贅沢な本書は、もちろん殺人事件がおこるミステリーであるがゆえに多くの人が死んでしまうものの、そんな彼らをけっして端役で終わらせることのない芸の細やかさも垣間見ることができる。いっけん救いのなさそうな「人格転移」に陥った登場人物たちに、著者がいったいどのようなラストを用意しているのか、ぜひとも本書を読んでたしかめてみてほしい。(2005.04.18)

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