【光文社】
『和菓子のアン』

坂木司著 



 私は自分でも甘党なほうだとは思っているが、とくにグルメと言えるほど味にうるさいというわけではない。高級チョコレートの銘柄もたいして覚えていないし、ドーナッツひとつとっても、たまにコンビニの本体価格100円のものが食べられれば満足という、きわめて安上がりな舌の持ち主だ。だが、ごくたまに本当においしいお菓子やデザートを口にしたときの、あの幸福な感覚は、いったい何なのだろうと思うことはある。

 人にかぎらず、すべての動物は食べなければ生きていけない。食欲というのは、生命維持をうながすための欲求であり、飲食という行為は言ってみればエネルギーの補充と同義である。遺伝子を次の世代に残すための戦略としての本能的欲求――だが、同時に私たち人間は、ただ食べるという行為ひとつとっても、そこにさまざまな思いや感情、あるいは特別な意味を付加し、食欲を満たすことをより楽しもうとする。嫌なことやつらいことがあって、心がふさいだり落ち込んだりしたときに、うまいものを食べて腹を満たすと、なぜか心まで満たされて、それまで悩んでいたことがどうでもよくなったりすることがあるのは、けっして私だけではないはずだ。

 何の特技もない私が唯一得意と言えるのは、食べること。それに私のこの体型は、食べ物を売る立場になったとき、多分プラスに働くんじゃないだろうか。

(『和菓子のアン』より)

 本書『和菓子のアン』に登場する梅本杏子は高校を卒業したものの、進学も就職も「ピンとこない」という理由で選ばなかった結果、晴れてフリーターとなってしまった十八歳だ。なりたい自分がわからない、好きなことも見つからない、才能も身長も彼氏もないのに、贅肉だけはやたらとあるという彼女をして、上述の引用のように思わせたのは、都心近くの駅前にあるデパートの地下食品売り場。表題作をふくむ五つの作品を収めた連作短編集である本書は、そんな彼女がアルバイト先として働くことになった「和菓子舗・みつ屋」東京百貨店を舞台とする、いわゆる「日常の謎」ミステリーという分類であるが、じつのところミステリーとしての要素――ある謎が発生し、探偵役がその謎を明らかにするという構造が本書のメインというわけではない。むしろミステリーとしての要素が、物語全体においてどのような役割をはたしているのか、という点こそがこの作品の大きな特長となっている。

 五つある短編のうち、最初のふたつにあたる「和菓子のアン」と「一年に一度のデート」は、杏子をふくむ主要な登場人物を紹介し、その性格を印象づけるという位置づけとなっている。そしてその人物紹介において、本書ではかならず二段構えの構造を利用している。すなわち、アルバイトとしては新人である杏子の最初の印象と、その後しだいにあきらかになるもうひとつの顔、という構造だ。いかにも落ち着いた大人の女性という印象なのに、じつはギャンブル好きで株の投資にハマっているという店長の椿はるかや、いっけんすると細身のハンサムな青年でありながら、じつはそこらへんの女子よりよっぽど乙女チックな和菓子職人の立花早太郎、今でこそごく普通の大学生だが、じつは元ヤンキーという経歴の持ち主である桜井さんなど、見た目や第一印象とのギャップを強調する手法がとられており、それによってキャラクターの個性を際立たせている。

 そしてこの二つの短編における探偵役が椿はるかであるのも、彼女が和菓子の知識が豊富であるだけでなく、お客への鋭い観察眼の持ち主であるということを印象づけるためのものだ。そしてそれゆえに、この二作品における謎は、はるかが和菓子を買いに来たお客に対して必要以上の気遣いをした結果として提示される。これは言い換えるなら、もし椿はるか以外の人物であったなら、おそらく「謎」という形で現出することさえなかったということでもある。じっさい、以降の短編ではおもに杏子に対して「謎」のほうからアプローチしてくるという展開が主体となっており、それと同時にはるかのほうも探偵役ではなく、あくまで杏子に助言をするという役割に徹するようになっていく。

「洋菓子と和菓子の違いを思い出したから、言っておくわ。それは、とても単純なこと。この国の歴史よ。この国の気候や湿度に合わせ、この国で採れる物を使い、この国の人びとの冠婚葬祭を彩る、それが和菓子の役目」

(『甘露家』より)

 じつにさまざまな和菓子が登場し、そのひとつひとつがもっている銘柄の由来やその製法の歴史といったものが謎解きに深く絡んでいたりと、とかく美味しそうなミステリーではあるのだが、とくに明確な探偵役がきまっているわけではなく、提示される「日常の謎」をきっかけに、和菓子がもっている深い歴史とその意味を味わう、というのが本書のメインと言うことができる。そしてそんなふうに考えたときに、本書の舞台が和菓子屋という店舗でなく、デパートのテナントであるというのは、非常に象徴的だ。

 デパートといえば、今でこそ苦境に立たされてはいるが、かつてはまさに「百貨店」の名にふさわしい、そこにいけば何でも揃う小売店の王様だった。家族が揃って休日に遊びに行く場所としてのデパート――そこにあるのは、今はもう失われつつある日本の姿であり、懐かしさでもある。そしてそれと似たような雰囲気を、和菓子ももっていることに読者は気づく。けっして安くはない、だがそれだけの価値のあるものを売り物にしている、という意味で、デパートと和菓子はよく似た要素をもっている。

 だが同時に、それらがただ高級品を扱うだけのものでないことにも、本書は触れている。とくに杏子が早番から遅番へとシフトが代わる「甘露家」では、大福や最中、団子といった身近で安い和菓子が夕方になると売れていくという事象を見せるし、デパ地下ではタイムセールがウリのひとつとなっていたりする。そしてそれに呼応するように、大勢の人たちが訪れる。そこにはそれぞれの人生があり、それぞれの「物語」がある。本書におけるミステリーとしての謎は、そうした「物語」を掬うためのものでもある。

 日本の歴史とともに歩み、人々の人生に色を添えてきた和菓子――ただおいしいだけではない、そんな和菓子の魅力をぜひとも味わってもらいたい。(2015.02.16)

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