【角川書店】
『正義のセ』

阿川佐和子著 



 法律というのは社会的秩序を維持するためにできたものであるが、そもそもそうした規定の成立原理を追っていったときに見えてくるのは、法律はある種の妥協の産物であるという事実である。私たちは社会のなかで、さまざまな法律を守ることを求められているし、また法律に背くようなことをすれば、その法律にしたがって罰せられることになる。人や国のうえに法があることで、ある特定の支配階級や特権的身分によって人間として保障されるべき権利が踏みにじられることを防ぐ、というのが法治国家の本来あるべき姿であり、そこには多少の不便や不自由さを代償にしてでも、個人的権利を守るためにはそのほうが都合がいいという不特定多数の思いがある。よくよく考えてみればあたり前のことであって、もし法律が無意味な社会があったとしたら、自身の権利や財産を守るためには圧倒的な力が個々に必要ということになる。それははなはだ効率の悪いやり方であるうえに、けっきょくはもっとも強い力を得た者がすべての富を取得するという結果になってしまう。

 もし、この世に完璧な法律というものがあったとしたら、弁護士や検事、裁判官といった法曹関係の職業は軒並み無用の長物となるだろう。あらゆるケースにしたがって、きわめてシステマティックに被疑者の量刑が判断され、しかもその判決がきわめて妥当であるとすべての人間を納得させるような法律――だが、法律がほかならぬ人間のよってつくられたものであるかぎり、完璧な法律などというものは幻想でしかない。そんなふうに考えたときに、法律にかかわる人間に真の意味で求められるのは、彼らの人間としての不完全さにこそあるのではないか、ということになる。本書『正義のセ』の根幹にあるテーマは、まさにその一点に集約されている。

「検事とか警察の仕事ってさ。悪い人を捕まえて罰を与える役割もあるんだろうけどさ。悪い人を更生させて社会に戻すって任務もあるんじゃないの?」

 本書に登場する竹村凛々子は、昔から正義感が強く、理不尽な事柄に対して黙っていることのできない性格の持ち主。当時小学校の担任に「検事にでもなればいい」と言われたことに一念発起、司法試験をパスして本当の検事になってしまった女性であるが、担任教師のその言葉は、あきらかに当時の彼女の融通の利かない性格をなかばからかうようなニュアンスを含むものだった。凛々子もそのニュアンスを意識していながら、それでもなおあえて検事の道を選んだようなところがあるのだが、そんなところからも、彼女の頑固さが相当なものであることが見てとれる。

 とにかく日本国民のため、立派な検事になると息巻く新米女性検事の奮闘を描くもので、本書ではおもに二件の案件――ひとつは被害者が死亡した交通事故の案件、もうひとつは暴力団がらみの傷害事件の案件をクローズアップしているが、本書を読み終えてわかるのは、まず本書がこの後もさらに続くであろう「検事凛々子シリーズ」ともいうべきものの、ほんの序盤にすぎないという点、そしてそれゆえに、彼女の検事としての優秀さというよりは、良くも悪くもその未熟な面が押し出されているという点である。そして、ここでいうところの「未熟さ」とは、言うまでもなく凛々子のクソがつくほどの真面目さ、それこそ同期の知人たちに「ユウズウキカンチン」と揶揄されるほどの生真面目さである。

 たとえば、「廊下トンビ」なる行為がある。検事たちの専門用語のひとつで、判断に迷ったときなどに、他の取調室で暇そうにしている先輩の検事に相談することを指すのだが、凛々子はこれができない。そこには、検事の仕事というものはあくまで個人の力で闘い抜くことであるという彼女の信念があるからで、こういう融通の利かなさが本書における凛々子の個性となっているところがある。やっかいなことに、この彼女の性格は、たんなるプライドの高さや負けん気の強さということもさることながら、何より検事という仕事に対する必要以上の気負いが裏目に出ているものであり、正しさという点ではけっして間違いではないがゆえに、意識して変えていくことが困難な部分でもある。

 世のなかには理想と現実というものがあり、理想ばかり論じていたり、正しさという点にこだわりすぎたりすると、かえって効率がよくなかったり、良い結果が得られなかったりすることがある。最終的に検事としての仕事をこなすという意味では、上述の「廊下トンビ」は有効であるし、これを教えた者も、未熟な新人であっても検事として間違いのない仕事をしてもらう必要のあるからこそのアドバイスだとわかる。本当の意味で良い仕事をするために、まじめ一点張りの凛々子がどのように変化していくか――それは裏返せば、彼女が検事としてどのように成長していくかということでもあるのだが、今後もつづくであろう本シリーズのテーマ性を、まずははっきりさせるという意図が本書にはあるし、そのつかみは成功していると言うことができる。

 あくまで検事としての凛々子の奮闘を描く本書であるが、物語はむしろ、検事としてではない彼女の姿を描くことにもページを費やしているところがある。豆腐屋の娘としての凛々子、その家業を継いだ温子の姉としての凛々子、恋人になった男とつきあっている凛々子、気に入らない男となぜかつきあわされている凛々子――言うまでもないことであるが、そこにいるのは、ひとりの女性検事というよりは、むしろひとりの女性、ひとりの人間としての凛々子である。彼女は泣きもすれば笑いもするし、こと家族に対しては、取り調べの練習台になってもらったりと、素直に協力をお願いすることができたりする。

 法に従って罪を犯した人間を罰するのが検事の仕事ではあるが、ただ法に従えばいいというのであれば、コンピュータにでもまかせればいいということになる。思うに、検事というのは不完全な人間が同じ人間を裁くという大きな矛盾をどう受け止めるべきなのか、という問題と常に向き合わなければならないわけだが、凛々子がひとりの人間として生活し、またひとりの人間として事件の扱いに迷い、悩む姿のなかに、そのヒントが隠されているはずだという本書を意図を感じることができる。

 検事としてはまだまだ経験の浅い凛々子――それゆえに、仕事の面でうまくいかなかったり、思わぬ失態を演じてしまったりするが、そうした経験の数々が彼女をどんなふうに成長させていくことになるのか、また「正義」という胡散臭い概念について、彼女がどんな独自の解釈を得ることになるのか、今後の展開が楽しみな作品である。(2013.04.07)

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