【東京創元社】
『ジャンピング・ジェニイ』

アントニイ・バークリー著/狩野一郎訳 



 ミステリーにおける探偵の役どころは、作中で起きる事件の真相を解明することと相場は決まっている。それは、探偵という役どころに与えられた宿命のようなものであって、一度探偵を担うことになった登場人物が、その宿命から逃れることは容易ではない。ミステリーというジャンルが、そこに提示された謎を解決するということを前提に書かれている以上、探偵は自身の思いとは無関係に、事件を解決に導かざるを得ないのだ。

 そういう意味で、ミステリーにおける探偵とは一種の「装置」であって、そう考えると、探偵と呼ばれる人たちが、ともすると非人間的な要素を――あるいはどこか普通の人とは違ったところのある、奇人変人的要素を持ち合わせていたりするのも、ある程度納得がいく。人間というのはどうしても人情に左右される生き物であるが、事件を正しく解決に導くはずの探偵が情に流されては、解決する事件も解決しなくなってしまう。繰り返しになるが、探偵はけっして情に流されて、事件の真相を見誤ることが許されない「装置」なのだ。探偵役となる登場人物として、たとえば被害者との関係のまったくない第三者が選ばれやすいというのも、そのような理由による。

 以上が、私が「探偵」に対してもっている基本的イメージである。それゆえに、今回紹介する本書『ジャンピング・ジェニイ』を読み終えたときには、正直度肝を抜かれるような思いがした。なぜなら、本書に登場する探偵役のロジャー・シェリンガムは、「探偵」としてはたすべき役割をまったくもってはたしていないばかりか、むしろ殺人事件の犯人に肩入れするような行動をとっているからである。

「しかし、くそっ、あれは殺されて当然の女だぞ。殺人者をかばうのが許されない行為なのは、理屈の上ではわかってるさ。だがこの事件は例外だ。誰であれ、こんな善行を施した人物は守られてしかるべきだ。きみだって同じことをしただろう」

 小説家であると同時に、探偵としても有名なロジャーは、同じく小説家のロナルド・ストラットン主催のパーティーに招待されていた。招かれた客はめいめい有名な殺人者か、その犠牲者の扮装をするという、そのいささか悪趣味なパーティーのアイディアは、自身の楽しみのために探偵小説を書いているロナルドらしい趣向であり、なかでも屋上に置かれた絞首台には、等身大の藁人形がぶら下げられているという気の入れようだった。

 そのパーティーで、ロジャーは知り合いの誰からも快く思われていないらしいイーナという女性に興味を示すものの、いざ会ってみると、極端なまでの自己顕示欲の持ち主で、周囲の興味を惹くためならどんな嘘も平気でつくし、どんな傍迷惑な行為も辞さないというとんでもない女性だった。はては魂がどうのと話し出し、しきりに自殺をほのめかすような言動をとったりして、ロジャーもすっかりうんざりしてしまうのだが、パーティーもそろそろ終わりに近づいた頃になって、そのイーナが首吊り死体と化していることを知る。余興として屋上に設置した絞首台――その藁人形のひとつが、イーナの死体と入れ替わっていたのだ。

 主催者ロナルドの弟デイヴィッドの妻であり、知り合いの誰からも「イカれている」と評され、夫自身の大きな悩みの種にもなっていたイーナ――彼女が周りからどれだけ嫌われていたかは、彼女の自殺があきらかになったさいに、誰もそのことを悼むどころか、むしろ安堵しているふうであり、現場検証にやってくる警察が変な勘ぐりをしないかと心配しているようなところからも見て取れるのだが、イーナが吊るされていた屋上を調べていたロジャーは、彼女が自殺ではなく、誰かに殺されたことを示す決定的な証拠を発見する。

 ここまでは、ミステリーとしては王道的な流れであるし、本来であれば探偵役の人物が、この自殺に見せかけた殺人のトリックなり、真犯人なりを推理していく、という展開になっていくはずなのだが、なんとロジャーはその決定的な証拠を故意に隠蔽し、警察にはイーナの死を自殺として片づけさせてしまおうともくろむのだ。しかもそのことが原因で、同じくパーティーに出席していた友人のニコルから、殺人の主犯ではないかと疑われてしまい、ロジャーは警察への隠蔽工作に奔走しつつ、探偵のプライドにかけて真犯人が誰なのかを推理していくという、なんともややこしい事態を招いてしまう。

 およそこの一連の出来事を追っていっても探偵らしくないロジャーであるが、その後の推理の部分にしても、殺人の真相に迫るどころか、誰かを真犯人にするために無理やり理屈をこじつけているという部分が大きく、むしろニコルのロジャー犯人説のほうがよほど説得力があるという体たらくである。それというのも、本書はあらかじめ読者にはその犯人がわかっている状態で話が進んでいくため、余計にロジャーの推理のズレっぷりが際立つ結果となっているわけだが、被害者よりも犯人のほうに同情を寄せるような、妙に人間臭さのある探偵が、はたして真に「探偵」たりえるのか、という命題が本書にはある。そしてその答えとしては、あきらかに「ノー」だ。

 本書のなかでロジャーがやっているのは、純粋な事件の推理ではなく、むしろ事件をさらにややこしくするための引っかき回し役だと言うことができる。そしてそのことで、彼は自業自得ともいうべき窮地に立たされてしまう。それはそれで読みどころはあるし、またロジャーたちがこれからどうなってしまうのか、という面白さもあるのはたしかだが、より重要なのは、探偵が「探偵」としての役割をはたすことができなくとも、ミステリーはきちんと「ミステリー」として成立する、という点である。

 基本的に、探偵が興味をしめすのは、あくまで現場に残された不可解な謎そのものであって、犯人の倫理観といったものにはもとから興味がない、という設定が多い。しかるにロジャーの場合、このまったく逆の思考をもっている。それは言ってみれば、純粋な法よりも、自身が「正義」であると信じる道を突き進む、というものだ。今回の事件の場合、ロジャーは殺されたイーナよりも、その加害者である誰かに同情を寄せることになった。その「誰か」に対する当人の推理は的外れなものであるのだが、そんな彼の言動は、たとえば警察関係者にとってみれば迷惑以上の何ものでもないことになる。だが、だからこそこの「探偵」役の人物は、親しみやすさをともなうキャラクターとして生きてくる。そこには「探偵」という役目につきまとう非人間的な要素は、まったくない。そして本来、人間とはそういうものであるべきなのだ。

 おそらくロジャーは、自身が探偵としては不完全であることをじゅうぶんに承知している。それは彼が「探偵」として完全となることで、人間として大切なものを捨て去るくらいなら、むしろ不完全なままのほうがましだという考えをもっているがゆえのことだ。そしてそれは、不完全であることを承知したうえで、なお自身にできることを成そうとする決意の表われでもある。そんな人間味溢れるロジャーの「迷」探偵ぶりが、なんとも気になる作品である。(2010.01.29)

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