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『いつも旅のなか』

角田光代著 



 私はどちらかというと海外の翻訳ものより、日本の作家の作品を好んで読む傾向がある。理由はいくつか思いつくが、なにより自分が生まれ育った、もっともなじみのある国の言葉で考えられ、そして書かれた作品であることへの安心感、というのがもっとも大きな要素だろうと勝手に考えている。だが、そんな日本の作家のなかにも、ときに日本以外の外国と強く結びついていて、それがその作家の作風にも大なり小なりの影響をおよぼしているケースがあったりする。たとえば、須賀敦子とイタリア、梨木香歩とイギリスといったつながりがそうであるが、とくにエッセイなどを読んだときが顕著で、日本のことよりも、むしろイタリアやイギリスでの出来事が、まるで自分の国の日常を語るかのような感じで書かれていたりするのだ。

 日本人であるにもかかわらず、その人のなかに日本以外の国の要素を強く感じとる、というのは、これまで一度として海外旅行に出かけたことのない私にとっては、なかなか奇妙で、そして面白い感覚である。こうした感覚はなにも作家にかぎらず、身のまわりの友人に関してもいえることであるが、不思議なことにどれだけ多くの海外旅行をしてきた方でも、かならずしも外国の印象をまとえるわけではなかったりする。そしてその違いは、おそらく生活基盤がしっかりと日本に根づいているか、そうでないかの違いによるところが大きいと私は見ている。海外の雰囲気を感じさせる日本人は、なんとなくではあるが、いつ日本を離れていっても不思議ではないような印象をもっているものなのだ。

 今回紹介する本書『いつも旅のなか』は、作家である角田光代の旅行記であるが、本書を読み終えて思ったのは、著者もまた日本以外の国々の雰囲気を強く感じさせる方のひとりである、ということである。だが、では著者はどんな国の雰囲気を身にまとっているのかと考えてみると、じつはそれがはっきりとしてこない。少なくとも日本ではない、ということだけはわかるのだが、では著者がもっとも好きだと断言しているタイかといえば、かならずしもそうとは言い切れないところがあるのだ。

 本書のことを旅行記、と書いたが、それはけっして観光旅行といった程度のものではない。観光旅行というのは、言ってみれば旅行者にとっての非日常であるのだが、モロッコにはじまってロシア、ギリシャ、オーストラリア、ベトナムやモンゴル、中国、アイルランドなど、それこそ無節操なまでにさまざまな国を旅している著者にとって、それは旅行というよりも、むしろ「旅」というひとつの日常なのだ。それゆえに、著者が描き出す旅先の国や町のなかで、著者は観光地やグルメといったものよりも、まずはその場の人々の生活と結びつこうとしているのがよくわかる。

 その町に流れる時間軸に、すっと入りこめるときがある。どんな町でもだいたい、滞在三日か四日目でそういうときがやってくる。そこでくりかえしおこなわれている日常が、肌で理解でき、自分がそこにくみこまれているのだと理解する瞬間。

 旅行記を読んでいて面白いと感じるのは、たとえばガイドブックなどを読めばわかるようなことではなく、そこで書き手がどんな体験をし、どんなところに強烈な印象を受けたのかを追体験できるときである。そこにはもちろん、それまで知らなかったさまざまな風習や文化の違いを知ることの面白さもあるのだが、言ってみれば、その旅行記を書く人物のキャラクター性によるところがけっこう大きかったりする。だが、こと本書に関しては、たしかにあるはずの著者というキャラクター性がずいぶんと希薄なのである。これはけっして悪い意味で個性がない、ということではなく、むしろ著者の人間性が強く打ち出されている部分もたしかにあるのだが、それは決まって旅に出る前や後だったりするのがほとんどで、いったん著者が旅先の国や町のなかに入り込むと、その手で書かれる国や町の様子が、まるで著者の手を離れて独自の色合いを帯びていくような感じがするのである――まるで、著者がその国に何年も在住しているかのような、そんな無個性さ。

 著者は間違いなく旅行好きであるが、たいていひとりで旅行に行っているのに、いつまで経っても旅に慣れることがない。たいていの場合、全体の旅行期間だけを決めて、あとは向こうへ行ってほとんど行き当たりばったりの、気ままな旅をつづけるというパターンである。そして現地にいくと、たいてい誰かと親しくなり、その人にいろいろと案内してもらう――それはふだんの私たちが、少しでも旅行を楽しむために綿密な日程を立てて行動するそれとは対極に位置するものだ。そしてこのような旅行をつづけてきた著者だからこそ、行く先々の場所で容易に自身を溶け込ますことができるのだろう。

 思えば、私はリアルと遠く隔てられて育った。道に放置された動物の死骸を見たことはなく、口にする豚肉が血を流すことも知らず――(中略)――真綿でくるまれたような世界しか見てこなかったと、二十三歳の私は強く思ったのだった。

 著者が日本以外のどんな国の気配をおびているのか、という上述の疑問に答えるとすれば、それはおそらく「無国籍」という気配だ。著者は日本もふくめて、どの国にもまだしっかりと根づいてはいない。そしてよくよく考えてみれば、このような著者の居場所のさだまらないような印象は、以前に読んだ『まどろむ夜のUFO』のなかにもたしかに感じたものである。そう考えたとき、本書のタイトルである「いつも旅のなか」という表現は、まさに著者のことを言い表しているのだと実感する。

 無国籍であるということは、同時にどこへ行ってもそこに溶け込んで生活していくことができるということである。そして、著者自身は「経験豊富になるわけでもない」と書いているが、少なくともこの世界にはいろいろな国があり、さまざまな価値観をもつ人々が暮らしているということを、肌で感じることができる人でもある。本書を読んで感じることのできる無個性さは、逆をいえばどんな価値観であっても、最終的には静かに受け入れてしまう真のおおらかさだ。そんな人が世界をどんな目で見つめているのか、ぜひともたしかめてもらいたい。(2005.06.24)

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