【河出書房新社】
『インストール』

綿矢りさ著 
第38回文藝賞受賞作 



 インターネットの大きな特徴のひとつとして、匿名性というのがある。これは、とくにメールやチャットといったコミュニケーション・ツールについてよく言われることであるが、相手を特定するための要素が名前という文字のみであるがために、たとえば本当は男であるにもかかわらず、女性の名前を使い、女性を装ってコミュニケーションをしていたとしても、相手は基本的にその真相を確かめるすべがないのだ。じっさい、インターネットの世界では、女になりすます男たちのことを表す「ネカマ」なる言葉が普及しつつあるし、それでなくともハンドルネームの使用は、ますます個人をリアルな世界から切り離す役割を担っている。

 これまでの自分とはまったく異なった、別の人格をもつ存在として生きることができる可能性を秘めた、仮想の世界――インターネットが今のように爆発的な広がりを見せることになった原因のひとつとして、映画「ユーガットメール」のような、匿名であるがゆえの気軽さ、自由さ、というものが挙げられたとしても、それは妥当なことだと言うことができるだろう。人は誰でも、今の自分を変えたい、変わりたいという願望を、心のどこかに抱えて生きているものなのだから。

 それゆえに、本書『インストール』において重要なのは、女子高生の野田朝子が学校にも行かずに人妻の風俗嬢を装い、エッチな会話をすることでひと儲けしてしまうという、ちょっとばかりセンセーショナルな要素ではなく、彼女がまさにチャットという、ネット世界でのコミュニケーションにのめりこんでいく、という点なのだ。なぜなら、女子高生であるという、おそらく日本だけでも何万と存在するはずの「ブランドもの」であること以外の何者にもなることができず、また他人に自慢できるだけの目標や夢を見つけることもできないでいる朝子にとって、チャットの世界はてっとり早く「自分以外の誰か」になることができる手段と直結していたからである。そして、ここでも問題となってくるのは、「自分以外の誰か」になること、というよりは、むしろ「てっとり早く」という点だ。

 朝子は受験勉強に疲れて登校拒否をはじめてしまった女の子だが、本書全体の雰囲気はけっして重苦しいものではない。それは、物語の語り手でもある朝子が意図的に物事を軽く考えようとしているからに他ならないのだが、そこには何かに真面目に取り組んだり、真剣に悩んだり、目標達成のために努力したりすることをくだらないと感じながらも、それ以上にくだらないことに縛られている自分自身から目をそむけようとするポーズがちらちらと見え隠れしている。本書の書き手はわずか17歳だそうだが、そんな書き手と同じ年齢の主人公が、まさに「てっとり早く」別人になることができる場としてチャットの世界に目をつけるあたりは、物事の流れが格段に速くなり、価値観もまためまぐるしく変わっていく現代を生きる若者らしいと言えるだろう。

 スピーディーに、スマートに、そしてカッコ良く――人は誰でも一度は、マンガや小説の主人公のような、器用で何でもできる人間になりたい、と憧れるものだ。コスプレなどはその典型的な例のひとつであるが、そこまでいかずとも、ごく普通の人間が、チャットという世界で人妻風俗嬢を立派に演じることができる、というのが、朝子にとって大きな驚きであったろうことは容易に想像できる。なにしろ彼女は、ちょっと前まではパソコンすらまともに操作することもできず、カッコ良く個性を主張するすべも知らない、不器用な女の子だったのだ。むしろ、彼女が壊れてしまったと思いこんでいたパソコンをあっさり直してしまい、携帯メールで自分の世界を広げ、両親にも秘密でチャット嬢の仕事を見つけてしまう小学生のかずよしのほうが、よほど器用でスマートであろう。

 だが、そのかずよしにしたところで、村上龍の『希望の国のエクソダス』に登場するようなスーパー中学生なわけではない。かつての子供がカブトムシやクワガタに興味を持ったように、性風俗に純粋な興味の目を向ける彼もまた、どこか不器用なところのある、普通の小学生となんら変わりないものとして描かれていることに、おそらく読者は気づくはずだ。

 チャットの世界にはあまり縁がないものの、私もまた「八方美人男」というハンドルネームを持つ、ネット世界の住人である。だが、この「八方美人男」と、リアルな世界で生きる、両親からもらった本名を持つ私とは、どちらもまぎれもない「私」という人物が元になっているにもかかわらず、はたしてまったくの別人だと言えるだろうか。ふたつ以上の人格を意識して使い分けるのは、じつは思った以上に難しいし、よほどのことがなければけっして長続きするものでもない。私自身はずいぶん鈍感なので、今でもよくネットで出会う人の性別を間違えてしまうことがあるのだが、鋭い人は性別はもちろんのこと、ネットの世界の背後にいるリアルな人間のことを、けっきょくは見抜いてしまうものだ。

 ネットという仮想世界に、リアルな人間の姿を求めてしまう、というのは、匿名性が大きな魅力として普及したインターネットのなかでは、異端児なのだろうか。いや、おそらくそうではない。どれだけ世の中が便利になり、時間と距離を越えて世界じゅうとつながることができるようになっても、人は最終的には生身の人間とのつながりを求める生き物ではないか、という想いが、画面に打たれたあたたかな言葉よりも、むしろ陰険でむきだしの悪意が溢れることの多い2ちゃんねるのような言葉をまのあたりにすることで、痛感することが多いのは、そこにまぎれもなく、自分とは違った考えを持つ他者の存在を濃密に感じるからかもしれない。

 映画『ユーガットメール』は、リアルな世界では親の敵のごとく嫌いあっていた男女が、お互いの素性を隠し、まったくの他人としてメールのやりとりをつづけてその仲を深めていく、というストーリーだったが、いつまでも仮想の世界にいつづけることは、ついにできなかった。あなたも、そして私もまた、いつかは自分と向き合わなければならない時がやってくる。本書がそのための後押しとなることを願ってやまない。(2002.01.08)

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