【文藝春秋】
『インシテミル』

米澤穂信著 



 私は今まで「クローズド・サークル」というミステリーの専門用語があることを知らなかったのだが、ある集団が人為的に、あるいは予期せぬ偶然から、外部から隔絶された場所に閉じ込められてしまうという状況は、本格ミステリーにおいてはもはや古典とも言うべき常套手段のひとつとして使われてきたものであり、そうしたパターンのミステリーなら、私もいくつか読んできた覚えがある。

 ところで、ミステリー好きの読者であれば言わずもがなのことではあるが、「絶海の孤島」や「吹雪に閉ざされた山荘」といった言葉で象徴されるクローズド・サークルが、なぜ本格ミステリーのなかでしばしば使われてきたかと言えば、それはミステリーがミステリーとしてきちんとした形で成立するための、ひとつの装置として有効だからに他ならない。読者が探偵役となり、作品内でおきた殺人事件の真犯人が誰であるか、そしてその殺害方法がどのようなものなのかを推理してもらうことを前提として書かれたミステリーにおいて、たとえば犯人が外部の人間であるというのは、ある種の禁じ手である。もちろん、リアルな世界での殺人事件であれば、外部犯の犯行というのも可能性のひとつとしてありえることではあるが、ことミステリーの世界において、登場人物以外の誰か――いきなり出てきた者が犯人である、という展開は、どうあっても読者に推理不可能であるからだ。ミステリー内の登場人物が一般社会から隔絶された場所に閉じ込められることで、私たち読者は犯人が外部犯であるという可能性をまずは排除することができ、犯人当てという娯楽を堪能できるようになるのだ。

 では、最後に、警告をいたします。
 この先では、不穏当かつ非倫理的な出来事が発生し得ます。
 それでも良いという方のみ、この先にお進みください。

 結城理久彦がアルバイト情報誌のなかに見つけた「モニター募集」のアルバイト、それは、何かの実験のために外部から隔絶された場所に入ってもらい、二十四時間体制で観察されつづけるということ、拘束期間である七日間をまるまる時給として換算するというものであって、それだけであればわりとよくあるモニター募集のアルバイトでしかなかったのだが、そのなかでただひとつ、時給の額だけが異様なものとして彼の目に映った。「時給、一一二〇百円」。まるで誤植のように混じった「百」のせいで、時給が十一万二千円というとんでもない額になってしまっているのだ。

 いったいこのモニター募集というのは、どのような内容なのか、そしてこの時給は間違いないものなのか――本書『インシテミル』という作品は、そんななんとも胡散臭いアルバイト情報によって集められた十二人のモニターが、「暗鬼館」と呼ばれる場所で過ごす七日間を描いたものであるのだが、物語が進み、理久彦たちが閉じこめられた「暗鬼館」の奇妙な構造や、各人に配られた「おもちゃ箱」のなかに入っている凶器、そして「ルールブック」に示されている「特別ボーナス」の内容などがあきらかになっていくにつれて、このアルバイトの募集主が、まさにミステリーでいうところのクローズド・サークルの状況を無理やりに作り出し、さらにその中の人たちが、必然的に殺人事件の被害者か加害者、あるいは探偵となって行動していくことを期待し、またそれを促すよう巧妙な策を施していることが見えてくる。

 本来の意味におけるクローズド・サークルというのは、あらかじめ犯人が存在したうえで、その目的である殺人を敢行するために外部から隔離された状態を作り出す、というものが大半であり、言うなれば犯人ありきではじめて成立するものだ。では本書の場合がどうかといえば、集められたのは「モニター募集」を見てやってきたアルバイターであって、表面上特定の誰かを殺害したいという意図があるわけではない。もし目的があるとすれば、それは破格のアルバイト代ということになるのだが、時給が十一万二千円である以上、モニターのひとり大迫雄大が語ったように、七日間何もせずに過ごしたとしてもその額は一千五百万という超高額なものとなる。

 にもかかわらず、三日目にモニターのひとりである西野岳が死体で発見される。

 犯人がいないとわかっている状況のなかで、それでも殺人事件が起きたときに、残りの人たちが極限状態のなかでどのような行動に走ることになるのか、というまさに実験的な――あるいは悪趣味な――興味や、また誰かを殺したり、その犯人を正しく指摘したりすることでボーナスが得られるという一種のゲーム感覚を強調している本書において、もし読者が「暗鬼館」のなかに閉じ込められた登場人物たちに感情移入するなら、読者が期待するものは、少なくともアルバイトの募集主の期待に沿うことではない。具体的にはクローズド・サークルを舞台とするミステリーのように、犯人がひとりずつ被害者を増やしていき、登場人物たちがかぎりなく疑心暗鬼になるというお約束な展開は、ミステリーの読者であればあまりにもお約束すぎて、むしろ不満が残るだろうと予想するのは、それほど難しいことではない。

 そう、本書の最大の特長は、クローズド・サークルの意図的な演出によって、本来ならば「誰が犯人なのか」という一点が強調されるはずの展開を、「なぜ殺人事件が起きたのか」という一点へと展開をシフトしているところである。より細かくいえば、殺人が起きた理由そのものではなく、そもそも登場人物たちを閉じこめている「暗鬼館」そのものに――そのルールや、各人に配られた凶器といった、「暗鬼館」を司るさまざまなものが、物語の展開としてどのような意味をもつことになるのか、という点だ。いわば、本書のミステリーとしての面白さは、犯人あてそのものよりも、理久彦をはじめとする登場人物たちが、いかにもミステリー的な展開となっていくことをお膳立てした場において、それをどのようにして防ぎ、またその裏をかいていくか、という点にこそ集約されているのである。

 意図的に殺人事件を起こさせようというある種の悪意、という点では、本書は高見広春の『バトル・ロワイアル』を髣髴とさせるような面白さもある。そして前述したように、使い古されたクローズド・サークルという要素を逆に利用して、ミステリーとしてもあらたな展開をもちこむことにも成功した本書が、はたして読者にどんな謎と、その謎解きを見せてくれるのか、充分に期待していいものがたしかにある。(2008.06.22)

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