【角川書店】
『誰も死なない世界』

ジェイムズ・L・ハルペリン著/内田昌之訳 



 幸いなことに、20世紀末にいろいろとささやかれていた世紀末思想――ノストラダムスの大予言やY2K問題をはじめとするさまざまな終末観にもかかわらず、世界は何事もなかったかのように21世紀を迎えた。そのことに希望を見出すか、それとも絶望するかは人それぞれだろうが、そうしたこととは無関係に、人類が前世紀と変わらずさまざまな問題をかかえ、また依然として盲信というべき因習や常識にとらわれて生きている、というのは確かなようだ。

 たとえば、男女の性の問題について、私たちは以前よりも、いわゆる世間一般における「男らしさ」「女らしさ」にこだわらなくなってきている。「同性愛」という単語も、今ではほぼ日常的な言葉として市民権を得ていると言ってもいいだろう。だが、それでもなお「出産は女だけのもの」という考えは、男女を問わず人々の心に深く根づいている。スタンリー・ポティンジャーの書いた『第四の母胎』という作品は、その常識を根底からくつがえす意欲的なミステリーなのだが、こうした人々の、なかば信仰にも近い思い込みの原因は、ひとえに科学技術への不信から生まれる無知に尽きるものなのだ。

 昔、結核という病気は不治の病であり、それゆえに人々を恐怖させる病気であったが、今では誰も結核を恐れたりはしない。なぜなら、現代の医学は結核がなぜ起こり、どのようにして治療すればいいのか、すっかり解明してしまったからだ。人間の絶え間ない努力が、不治の病を克服したという良い例だろう。ならば、人間の「死」について、まったく同じことが起こり得ないと、いったい誰にわかるだろうか? 本書『誰も死なない世界』という、非常に興味深いタイトルの作品は、この世に生を受けた以上、けっして逃れることのできないと思われていた「死」に対する挑戦をテーマとしている。人類の科学技術は、はたして「死」を超越することができるのか? それだけでも本書のテーマの大胆さ、ダイナミックさが伝わってこよう。

 本書の語り手はトリップ・クレイン。2006年生まれのナノテクノロジー技術者である。そして彼が語るのは、彼の曾祖父であるベン・スミスを中心とするスミス家の祖先が経てきた歴史である。1925年に生まれ、第二次世界大戦中に日本軍の捕虜として暮らした経験をもつベンは、「時間さえかければ、人生はかならずいいほうへ向かう」という信念のもと、人間の科学技術が遠い未来にあらゆる種類の「死」を克服することを期待して、死の直前に自らを冷凍睡眠させた人物である。

 冷凍睡眠――本書ではクライオニクスと呼ばれる技術は、おもに未来へのタイムスリップの手段として、ハインラインの『夏への扉』をはじめとする多くの作品のなかで用いられたものであり、けっして目新しいものではない。だが、そのことをもって本書をありがちなSFだと判断してしまうのは、大きな誤りだろう。なぜなら、本書において重要なのは「死」の超越という壮大なテーマであり、クライオニクスはあくまでそのための手段のひとつでしかないからだ。

「だれだって死にたくはないんだ。それなのに、死んでもかまわないというふりをしている。それは、ほかの人のためじゃないし、自分のためですらない。現時点では、あと六十年か八十年で死ぬのはほぼ確実なことだからだ。――」

 その現時点に生きる私たちにとって、死とはいまだ避けられない運命のようなものだ。だからこそ、人類はその過去の歴史において不老不死の夢にとりつかれ、あるいは死の恐怖を克服するためにさまざまな死生観を生み出し、それを信じることでなんとか折り合いをつけようとしてきた。「死にたくない」というベンの考えは、人としてごくあたりまえの、正直な感情であるが、ときとしてそうした正直さは潔くないもの、見苦しいものであり、また神を冒涜するがごとき考えだと世間から受け取られがちでもある。だが、そうした「死」に対する考え方――私たちが真実だと盲信してきた考え方が、はたして唯一絶対のものなのか、という疑問を、本書は読者に投げかける。

 じっさい、本書の中でクライオニクスを受けようと決意したベンに対して、彼の子どもたちはけっして良いイメージを持ったわけではなかった。そればかりか、ベンが万が一、未来で息を吹き返したときのためにわざわざ残しておいた信託基金をめぐって訴訟が起こり、あやうく検死解剖されそうになったりするのだが、本書の大きな特長は、こうした私たちの「死」に対する常識が、時とともに新たな常識にとって変わられていく様子が、圧倒的な知識にもとづいたリアリティーとともに描かれている、という点だろう。そして、本書のような常識の変化は、たとえば「脳死」に対する判断の変化をまのあたりにしている私たちにとっても、けっして突拍子なものではないはずなのだ。

 現在、私たち人類は多くの問題を抱えている。環境問題、人口爆発、ますます広がる貧富の差、そしてエスカレートしていく民族紛争や大規模なテロ――問題はあまりにも深刻で、未来はあまりにも暗澹としており、何の希望も見出せないように思える。だが、本書が指し示す未来像は、あくまで楽観的で、明るいものだ。ナノテクノロジーの飛躍的な進歩によって、あらゆる病気が駆逐され、半永久的な命を約束された人々が、それゆえに醜い感情にとらわれて人生を無駄にすることなく生きている未来――それは私たちの目から見れば、まさに理想郷、神の約束された楽園であるかのようだ。だが、ここでひとつだけはっきりさせておかなければならないのは、本書のテーマが「死」の克服であることは間違いないが、そのことによって人類が自らの手で究極の楽園を手に入れることができるわけではない、ということだ。人類が誰でもあたりまえのように不老不死を得られるようになったとしても、たとえば太陽は何億年後かにはその寿命を全うすることはわかっているし、宇宙そのものさえ、いずれはビッグクランチを迎えて消滅してしまうかもしれないのだ。

「われわれと永遠の生とのあいだに立ちはだかるのは恐怖と盲信だけだ。未知に対する不安は、不可知なものへの信仰を生み出す」

「時間さえかければ、人生はかならずいいほうへ向かう」というベンの信念にもとづけば、永遠に生きられるようになった人類の未来は「かならずいいほうへ向かう」はずである。なぜなら、永遠という時間は、どのような未知も、いずれは解明されるという約束手形のようなものであるからだ。そしてそれは、複雑な人間関係においてもけっして例外ではない、ということを、読者はベンの非常に長い――そしてこれからも長く続いていくであろう人生を垣間見て、確信することになるだろう。

 もし不老不死を手に入れることができたら、というテーマの作品は、これまでにも数多く存在してきたものだ。その大部分が、ほぼ間違いなく不幸な結果に終わってしまう最大の原因は、「不老不死」がある限られた人間だけの特権的な意味合いをもっていたからに他ならない。自分だけでなく、この地球に生きるすべての人間が「不老不死」を手に入れたとしたら――「死」が不可知なものではなくなった驚くべき人類の未来の姿が、本書の中にはある。(2002.12.16)

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