【河出書房新社】
『生贄』

佐藤亜有子著 

背景色設定:

 たとえば、「売春」という行為について考えてみる。その本質は、自分の体をひとつの商品としてとり扱うことだと言うことができるだろう。そこには当然のことながら、買い手がどのような種類の人間であるか、という要素も、また、そうした買い手に対して、売り手である自分がどのような感情を持つか、といった要素もまったく無視される。男たちに春をひさぐ娼婦という職業が、「世界最古の仕事」と言われるほど古くから人間社会のなかで成立しつづけてきた、歴史あるものであるにもかかわらず、その一方で娼婦たちを心のどこかで蔑まずにいられない、という心理は、自分たちが、遺伝子を後世に伝え、種の存続をはたすという生物としての本能を超えた、「個人」という、けっして身体的な特徴だけではない、たとえば性格や特技、趣味といった精神的な要素を尊ぶ人間である、という自負があるからに他ならない。極論すれば、体ひとつあれば成立する「売春」は、無個性であることを自分にも、相手にも認識させずにはいられない行為なのだ。

 そうした点から本書『生贄』という作品をとらえたとき、そこに徹底されている無個性――およそ人間としての個性をまったくといっていいほど排除したところで成り立っているこの物語は、いったい何を意味し、読者に何を伝えようとしているのだろうか。

 本書は大きくふたつの物語の流れによって構成されている。ひとつの物語は、何者かに追われている女性が主体であり、ある男に言われるままに七つの鍵を手にし、屋敷の中へと足を踏み入れていくというストーリー、もうひとつは男性が主体となっているもので、19歳で娼婦という、どこか不思議な印象をもつ女性と何度か会ううちに、彼女のことが好きになっていくという、ある意味ではありふれた出会いと別れのストーリーである。

 前者の物語が、とかく非現実的な儀式めいた雰囲気を終始漂わせているのに対し、後者の物語は少なくとも私たちに馴染みの深い現代を思わせる背景があり、また後者の男性が、夢の中で誰かに追われている女性の夢をみる、というシーンからはじまることもあって、読者はつい前者が夢か幻の世界であり、後者が現実の世界だと思いこんでしまいがちであるが、じつはこうした区分はまったく意味のないことであり、どちらもその時代や場所が曖昧であり、登場人物たちに固有の名前がない、という点では同質のものである。いや、むしろ七つの鍵や女性の体につけられた痣、謎の人物Sといった、両方の物語をつなぐ符号が、まるで前者の物語世界が後者のそれを浸蝕するかのように広がっていくことを考えると、前者の物語のほうが強い影響力をもっていると考えてもいいだろう。そうしてふたつの物語の境目そのものがかぎりなく薄れていくなか、女は文字どおり生贄に捧げられる。

 登場人物に個人を識別する名前がない、というのは、ある意味で彼らが人間として扱われていないことを意味する。後者の物語の女性は、自分のことを娼婦だと語るが、その具体的な内容は、薬で眠らされているあいだ、自分の体を無条件に誰かに貸し与える、というものだった。こうした、自分の体そのものをモノ=商品として扱うことに積極的な女性を描いたものとして、著者の処女作『ボディ・レンタル』があるが、本書では、たとえば前者の物語の女性のように、けっして露骨ではないものの、自分の意思とは関係なく、誰かのなすがままに髪をなでられたり、抱きかかえられたりされる。その違いはただ積極的であるか消極的であるかの違いでしかない。そして重要なのは、どちらの女性もただひとつ、自分の体を自分以外の誰かに「生贄」として差し出すことで、金ではなく、誰かの絶対的な愛を得たいと望んでいる、ということである。

 誰かを愛すること、誰かに愛されたいと思うこと――そうした感情と、生物としての本能である性欲とを区別する最大の要素は、異性という集合体を欲するか、ある特定の個人を欲するか、という一点に尽きる。だからこそ恋愛という感情は人間独自のものであり、その愛を勝ち取る者が、かならずしも容姿の美しい人間であるとはかぎらない、という現象が起こることになる。だが、人間以外の生物の世界では、個性=身体的特徴であり、それ以外に固体を識別するすべはない。鳥類などではとくに顕著だが、雄が雌を獲得できるかどうかは、自分の身体的特徴が他者より優れているかどうかでのみ決定される。色彩、鳴き声、大きさ、強さ――そうした要素はすべて、身体的特徴に回帰するものだ。

 知恵を手に入れ、意識の領域に目覚めた人間は、容姿だけではない精神的要素を加えた「個性」を他人のなかに見出し、性欲を恋愛にまで昇華させた。だが、名前という名の個性をもたない本書の登場人物たちは、それゆえに自分がただひとつ持っている体を差し出してでも、誰かに愛してほしいと願う。そういう意味では、本書はかなり屈折した形ではあるが、人間がまぎれもない個性を取り戻そうとする作品だと言えなくもない。実際、後者の娼婦は、Sとは違い、自分を個性のあるひとりの人間として愛そうとする男性の存在に徐々に惹かれていくのだが、そうした感情は、商品としては許しがたい背信行為に他ならず、また彼女自身、自分の考えで行動するひとりの人間となることをどこか恐れているところがある。個性があるからこそ芽生える愛――たが、それは逆説的に、個性のないところに愛は存在し得ない、ということだ。結果、名のない男女の恋愛は破綻し、買い手を裏切った女性は、罰として体だけでなく命をも差し出すことになる。その無個性ぶり、感覚の麻痺ぶりは、まさに本書のタイトル『生贄』にふさわしいものだと言えよう。

 盲目的に何かを信じつづけることは、一面では美しいが、そこにしっかりとした意思がないと、自分では何ひとつ考えず、何かを決定しなくてもよい立場に甘え、個性的であること自体に怠惰になっていく。本書はあるいは、そうして無個性になっていった人たちへの皮肉をこめた、ひとつの童話なのかもしれない。(2001.12.09)

ホームへ