【角川書店】
『不登校・引きこもりから奇跡の大逆転』

池上公介著 



 日本の教育の現場において、不登校や引きこもりの問題がクローズアップされるようになって久しい。いや、何も教育の現場ばかりでなく、あまりマスコミから注目されてはいないようだが、じつは社会人の引きこもり現象、また引きこもりから抜け出すことのできないまま成人を迎えてしまうという、引きこもり長期化の問題など、事態はより広い範囲で、より深刻な状況に陥っている、というのが現状のようだ。

 いじめや暴力と同じように、不登校や引きこもり自体、おそらくずっと以前からあった問題のひとつだろうと私は思っている。だが、その頃はけっして今のような、社会現象とも言うべき問題にまで発展するようなものではなかったはずである。いったい、なぜこのような事態になってしまったのだろうか。戦後日本民主主義の歪み、学力重視の偏差値教育の弊害、家庭における家族間コミュニケーションの不在――多くの人たちが、この問題についてさまざまな持論を出し、お互いに議論してきているが、どのような方面からアプローチを試みても、最終的には私たちひとりひとりの、人間としての心の持ちようが問われているように思えてならない。

 なぜなら、この社会というものを構成する最小単位が私たち個人である以上、社会が抱える問題の原因は必然的に私たちの内に還元されてくるものであり、個人が個人の問題としてそれに真剣にとりくまないかぎり、問題はいつまで経っても解決しないからだ。とくに、最近マスコミの企画でよくおこなわれる議論の中で、まるで他人事のように「社会が悪い」「学校が悪い」「親が悪い」と無責任にまくしたてる人々の姿を見ていると、これからの日本を担う子どもたちばかりでなく、私も含めた今の多くの大人たちもまた、何か大切なものをどこかに置き忘れてきてしまっているのではないか、と考えてしまう。

 本書『不登校・引きこもりから奇跡の大逆転』は、北海道札幌市にある「池上オープンスクール」を経営する池上公介が著した本で、自らの学園で体験した出来事から、不登校や引きこもりの現状や、何がその原因となっているのか、といった独自の考えをまとめている第1部、実際に「池上オープンスクール」に入学して不登校を克服、社会復帰をはたすことのできた子どもたちや、その親たちの言葉を載せた第二部、そして著者自身の考え方の根底にある、祖父母や母たちがその身をもって教えてくれた古き良き日本の生活習慣や心構えについて述べている第三部と、大きく三つに分けることができる。

 ところで、「池上オープンスクール」あるいは「池上学園」とは何なのか、ということ語るにあたって、けっして忘れてはいけないことのひとつとして、「不登校児たちを対象にしたフリースクールとは異なる」という点がある。もう少し詳しく述べると、「今の日本の学校教育を拒否する者たちが、その目的のために不登校児たちを抱えこんでしまうたぐいのフリースクールとは異なる」ということになるだろうか。もともとこの学園の前身としてあったのは、中学浪人のための予備校であり、けっして学校教育や受験といった制度を否定しているわけではない。本書を読んだ人であれば、本書の主旨が学園の活動内容をPRすることではなく、私たちひとりひとりが、人間としてどのような意志を持ち、どのような心構えで生きていくべきなのか、というモラルの回復を第一に訴えかけていることに気づくことになるだろう。そして、個人のモラルをもう一度問いなおすことこそが、不登校や引きこもりをふくめた、今の日本が抱える問題を根底の部分から解決するもっとも近い道だという確信にも似た思いが、著者の内にはある。

 実は、その子にとって必要であるために不登校になっているのです。不登校になる子にはなんの責任もないのです。その環境を作った家庭や社会に原因があるのです。

 今、多くの日本人が自分自身に、そして日本という国そのものに自信を失っている。価値観が多様化していく一方で、確かなものなど何ひとつなく、不安定で閉塞した今の世の中で、個人としてどのように生きていくのが正しいことなのか、誰も自信をもって答えることができないでいる。そんななか、かつての日本人がたしかに持っていたはずの美徳――質素倹約をむねとし、自分に厳しく、他人にやさしく生きることこそが大切なのだと訴える著者の言葉には、胸に大きく響くものがある。かつて、日本人が昔からずっと守ってきた無形の財産、先祖から脈々と受け継がれてきたはずの知恵と精神――戦後に外から借りてきた民主主義が経済史上主義、拝金主義となって、こうした人間として大切なものを奪い、心の荒廃へとつながっていったという意味では、たしかに悪いのは社会全体、ということになるのだろう。
 だが、冒頭でも述べたように、こうした主張はけっきょくのところ、個人の責任逃れでしかないことに、いいかげん私たちは気づかなければならない時期に来ているのだ。

 本書の著者が、不登校児や引きこもりの子どもたちと接することで見えてきた、社会を構成する私たち大人ひとりひとりの問題――本書の中でもっとも輝いているのが、まるで向田邦子の『父の詫び状』に出てくるような、著者の祖父母たちのエピソードの部分であることを考えたとき、本書はたんなる学校教育について考える本であることを越えて、すべての若者、すべての親たちこそが手にとって読むべき本だと断言することができる。(2002.03.08)

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