【光文社】
『ifの迷宮』

柄刀一著 

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 時代とともに、科学技術の発展とともに、人々の常識や価値観も大きく変化してけっしてひとところにとどまっているようなことがない、というのは、人類がかかえた宿命のようなものであるが、ことミステリーというジャンルにかんして、こうした時代の変化はときに、顕著な変化をうながさずにはいられないものを持ち合わせてしまう。もっとも身近な例で言えば、携帯電話の普及がそうだろう。好きなときに、好きな場所から気軽に相手と通信することができるこの小型機器の今日のような普及は、私のような世代の人間にはちょっと前までは想像すらできないことだったのだが、待ち合わせなどのさいには非常に便利である反面、少し前まではミステリーの常套パターンのひとつだった「ある集団をひとつの場所に閉じ込める」という展開を困難なものにする。

 いわゆる「絶海の孤島」や「土砂災害で孤立した山荘」でおきる連続殺人というのは、まず人々の脱出経路、連絡手段をことごとくふさいでいくことが前提となる。以前なら、電話線を切断するという方法で容易にこのような状況を生み出すことができたが、携帯電話の普及がその前提をくつがえしてしまった。ミステリーに少しでもリアリティーをもたせようとする場合、今時の作者は常に「携帯電話」というツールを念頭に置かなければ、読者からその点を突っ込まれるという状況が、出来上がってしまっているのだ。

 はたして、科学技術の発達は、魅力的なミステリーを生み出す障害となりえるのか? 今回紹介する本書『ifの迷宮』でまず頭に入れておかなければならないのは、殺人事件の捜査の資料としてDNA鑑定の結果をもちいることを前提としているミステリーだ、という点である。現場に残された、犯人のものと思われる髪の毛一本から遺伝子レベルの情報を引き出し、個人を特定するというDNA鑑定――少なくともホワイダニットという点において、DNA鑑定という科学技術は、ともするとミステリーにおけるトリックや仕掛けのいっさいを無効にしかねない代物であることは誰しもが認めるところであるが、本書はそうした破壊兵器を前にしながら、それを封じる方向ではなく、むしろそれを積極的に取り込んで、なおその技術を逆手にとるかのようなトリックを違和感なく仕掛けることに成功した作品であり、そういう意味で本書は、ミステリーという分野においても常に時代の最先端をとらえ、進歩しつづけていることを証明してくれる作品だと言うことができる。

 本書は基本的に三つの事件が絡み合うようにして展開していくミステリーであり、それゆえにけっこう複雑怪奇な様相を呈することになる。ひとつは二年前に起きた二重殺人事件。同一のナイフによってひとりは自宅で、ひとりは見知らぬ車のトランクのなかで殺された、というのが当時の警察の見解であるが、犯人のものと思われる頭髪と被害者のものと思われる大量の血痕が発見され、それぞれDNA鑑定がかけられたものの、犯人はおろか、おそらく殺されたであろう被害者の遺体もその行方がわからなくなっていた。その後、被害者の死体を遺棄したという男が現われ、紆余曲折はあったものの最終的には供述どおり、白骨化した被害者の遺体が山梨県の山中で発見されるに到る。

 ふたつ目の事件はその遺体が埋められていた山中に館を構えている宗門家でおきた宗門亞美殺害事件。椅子の上に乗っていたところを背後からナイフで刺され、後頭部を強く打ちつけたことが死因となった宗門亞美の遺体は、暖炉の炎によって上半身と両手、そして足の裏が焼かれ、身元特定のためにはDNA鑑定が必要な状況になっていた。宗門一族のDNA情報が収集され、被害者は間違いなく宗門亞美であることが確定されたのだが、ここで奇妙な事実が浮上する。二十年ほど前に故人となっていた宗門継信の遺髪からとったDNAと、二年前に殺害され、山中に遺棄された二重殺人事件の被害者である男のDNAが、完全に一致したのである。

 はたして、このふたりは同一人物ということになるのだろうか。となれば、二十年前にその死亡が確認されていたはずの宗門継信はどういう経緯があって名前を変え、二度殺されることになったのか。それとも、一度死んだはずの人間が甦っていたとでもいうのだろうか。宗門一族は遺伝子治療や体細胞移植といった新しい医療の分野で、ここ数年注目を集めている企業グループの経営陣であり、胎児の遺伝子診断の促進やヒト胎児細胞利用の法制化運動などで成果を挙げている、という設定となっている。妊婦たちは胎児の遺伝子診断をおこなうのがあたり前、その結果胎児に先天的な異常があるとわかれば堕胎することも可能であり、そこからさらに「遺伝子偏差値」と呼ばれる、遺伝子情報の内容によってその人間の優劣を判断する傾向を強くしているというありうべき世情を本書では丁寧に描いている。言ってみれば遺伝子優位主義が蔓延しているのが本書の世界であり、それは警察陣であっても例外ではない。体外受精や精子バンクによる妊娠出産が宗門一族のなかでも普通に行われているなかにあって、登場人物たちの視点は常に遺伝子が個人情報であるという前提をもち、警察もその前提からはなかなか逃れられない。そしてそれゆえに、死者の甦りや細胞培養、さらにはクローンといったSF的な方向に思考が傾いていってしまうのだが、それがまさに読者にとっても大きな陥穽であることは言うまでもない。

 重要なのは、そうしたSF的なミスディレクションを引き起こさせるような要素を物語のなかにちりばめ、たくみにその方向へと誘導していく著者の力量にこそある。そして物語はさらに、完成間近だった宗門グループの研究所を襲った土砂災害を経て、そこから生み出された密室殺人――第三の事件へと発展する。殺された宗門静香は犯人ともみ合ったらしく、その爪に犯人のものと思われる皮膚片を残していたのだが、DNA鑑定の結果、殺されたはずの宗門亞美のそれと一致するという事態を招くことになる。

 遺伝子情報が個人を特定するための強力な武器であるという事実――だが、本書でおこった殺人事件にかんしてその情報を第一に考えると、死者の甦りといった奇怪な現象を認めなければならない状況になってしまう。そしてこうした遺伝子優位主義的な状況が、そのまま遺伝子情報がその個性や将来を特定するものではない、というアンチテーゼにもつながっている。本書では刑事として事件とかかわることになる朝岡百合絵と、生化学研究員としてDNA分析をおこなう朝岡真一の子どもである斗馬が先天的障害をもっているという設定となっており、また二人目の子どもが百合絵のなかに宿っている。障害を持つ人間が人として劣っているのか、その兆候が遺伝子診断で判明したという情報を、即座に胎児の命を奪うことの正当性へとつなげていいものなのか。生まれた後の性格や傾向さえ遺伝子情報によってある程度わかってしまうという近未来の世界において、本書で起こった事件とその事件が見せたひとつの顛末は、強いメッセージとなって読者の心に深く刻み込まれることになる。

 携帯電話の普及が、それまであったミステリーの形を成立させにくくしたのは事実だが、同時にミステリー作家は携帯電話のバッテリーや電波の受信範囲の限界、また電波を妨害する装置といったものをうまく活用することで、「ある集団をひとつの場所に閉じ込める」という状況を同じように生み出していけることに気がついている。携帯電話にしろ、DNA鑑定にしろ、便利ではあるがけっして万能ではない――そういう意味で本書は、人が人であることの本質について鋭い命題を投げかける作品としても完成していると言うことができる。(2007.09.29)

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