【講談社】
『ICO−霧の城−』

宮部みゆき著 



 私はそもそもファミコンなどのゲーム好きな人間であり、それは今もかろうじてつづいている、けっこう年季のはいった趣味でもあるのだが、なかでもRPG(ロール・プレイング・ゲーム)と呼ばれるジャンルのゲームが好きなのは、自分が自分でない何者かを演じ、仲間とともに世界の命運をかけて戦う、というシチュエーション、そこに必然的に生まれてくる物語性に惹かれるところがあるからだろう。

 たとえば『ロードス島戦記』、あるいは『ドラゴンランス』といったファンタジー小説は、ひとりの作家によって生み出されたのではなく、「テーブルトークRPG」と呼ばれる、多人数で遊ぶ卓上ゲームのプレイから生まれてきたものである。プレイヤーたちが戦士や魔法使いといったキャラクターを設定し、ひとつのパーティーとして、マスターと呼ばれるゲーム管理者の設定した物語のなかを、自由に行動していくという形式のこのゲームは、RPGが家庭用ゲームの代名詞となるずっと以前から西洋で遊ばれてきたものであるが、数人の冒険者、それもそれぞれ職業も種族もことなる者たちが、ひとつのパーティーとして行動をともにするというパターンがRPGのなかで多いのは、そのようなメンバー構成であれば、マスターが仕掛けるさまざまな罠や困難の大半に対処することができるだろう、と考えられていたからである。

 戦士ばかりのパーティーであれば、もし誰かが洞窟の奥で怪我をしたときに対処できないし、魔法使いばかりでは魔法の力はすぐに尽きてしまう。ダンジョンのトラップをはずすことができるのは、手先の器用な盗賊の専売特許であるし、エルフであれば、人間には読めない文字を解読できる可能性がある――もともとは、ゲームをより効率的に進めていくための約束事であったはずのパーティーという概念は、しかしコンピュータ・ゲームとして取り入れられ、進化していくうちに、まったく別の意味合いを帯びることになる。仲間と協力して、大きなことを成し遂げること、それぞれ立場も考えも異なるもの同士が、ときに反発したり対立したりしながらも、そのちっぽけな力を結集させて冒険を成功させていく、という人間ドラマとしての要素である。

「かつて分かたれた知と勇の、ここに今再び相まみえる。貴方こそ我らの剣であり、貴方こそ我らの導きである」

 本書『ICO−霧の城−』は、もともとコンシューマ機であるプレイステーション2用のゲーム「ICO」のノベライズとして書かれたものである。とある村のしきたりによって、生贄として古い城に連れてこられた、角の生えた少年イコが、その城の中で偶然見つけたヨルダという少女とともに、城からの脱出を試みるという内容のこのゲームは、基本的に3Dパズルアクションともいうべきジャンルに属しており、イコにくらべてさまざまな行動の制限のあるヨルダのために、いかにして道をつくり、導いていくかに主眼が置かれている。それゆえに、このゲームにはあきらかにその背景に大きな何かが隠されていながら、その部分についてはほとんど何も語られることがない。

 なぜイコに角が生えているのか、なぜこの城が生贄を必要としているのか、ヨルダとは何者で、過去にこの城で何があったのか、そして城の主である「女王」の目的は何なのか――純粋にパズルゲームという要素で考えれば、そうした疑問点にとくに明確な回答を用意する必要はない。だが、もし「ICO」というゲームをノベライズという形で再構築するのであれば、当然のことながらゲーム内では語られることのなかった謎について触れないわけにはいかなくなる。そういう意味で本書は、ミステリ作家であり、今はゲームファンタジーの世界にも足を踏み出しつつある著者が、イコを一種の「探偵」と見立て、「ICO」というひとつの大きな謎に対して、それにふさわしい回答を提示するために書かれたものだと言うことができるだろう。そしてその結果、本書の中で起こったのは、ゲームのなかでは単なるシステム的な理由でしかなかった概念や部分までをも包括した、まったく新しい「ICO」世界の解釈である。

 イコは角の生えた少年であり、それゆえにふつうの人間の少年とくらべるとはるかに頑丈な体をしており、けっこう無茶なことをやってのけることができる。人より高く跳び、鎖を伝って上り下りをしたり、壁のちょっとした出っ張りに手をかけてよじ登ったり――だが、どれだけ頑健な体をもっていても、イコはまだ13歳の子どもでしかない。力づくではどうにもならない部分で、いかに知恵をしぼり、困難を克服していくか、という部分がゲームとしての醍醐味であり、逆に頭さえ使えば、さまざまな場面でゲームの難易度をさげることも可能だということでもあるのだ。それらの要素は言ってしまえば、パズルゲームの基礎である。だが、著者はその「知恵」の部分に独自の解釈をくわえた。村で友人だったトトが命がけで持ちかえった「光輝の書」――城の「女王」の力に唯一対抗できる「知恵」を象徴する御印を織り込んだ布をまとったイコは、何も知らないまま生贄にされる犠牲者としてではなく、成すべきことを果たすべく「霧の城」という異世界へと足を踏み入れた「選ばれし勇者」、特別な存在として、物語のなかで行動することになる。

 そう、本書はイコという少年を「選ばれし勇者」に見立てた、正統派ファンタジーなのだ。そして同時に、知恵を象徴する御印をかかげた「探偵」役として、この世界のさまざまな謎を解き明かしていく。だがこの世界において、主人公は「探偵」役だけでは成立しない。なぜなら、真実というものはときに残酷なものであり、それゆえに人の心を傷つけ、過ちを犯させるものでもあるからだ。イコが「霧の城」をめぐる冒険をなしとげるために必要なのは、「知恵」だけでなく、自らの運命を切り開き、一歩前へ進んでいくだけの「勇気」であり、それは過去に大きな過ちを犯すことになったヨルダもまた同様である。そういう意味では、本書にはか弱き少年少女がおのれの過酷な運命に立ち向かい、それを克服して大きく成長していく物語、という要素ももっている。

 そして、私は本書を読み終えてふと考えるのだ。宮部みゆきがミステリーというジャンルから離れつつあるのは、「知恵」だけを象徴する「探偵」という存在そのものに、ある種の限界を感じているからではないのか、と。たしかに「探偵」は、真犯人を探し出し、事件を解決させる役割を負っている。だが、たとえすべてが解決されたとしても、事件の犠牲者はけっして生き返ることはないし、自身もまたその事実に何の干渉もできない。あるいは、こんなふうに言い換えることもできるだろう。宮部みゆきが描き出す「勇者」とは、探偵がもっている「知恵」に、運命にあらがい、その流れを変えていく「勇気」を兼ね備えた者、探偵であることをも超えていく者なのではないか、と。

「霧の城」という箱庭的な小世界のなかで、パズルを解くかのように遊ぶゲームに、著者がその外に広がる背景世界と、城の歴史という時空間の広がりをもたせることで成立した本書は、あるいは著者が考えるミステリーのあらたな形を指し示すものであるのかもしれない。(2004.11.13)

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