【文藝春秋】
『一応の推定』

広川純著 
第13回松本清張賞受賞作 

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 以前、マンションの耐震強度偽装問題がマスメディアをにぎわせていたときに、今後このようなことが起こったときの被害者の救済措置をどうするのか、という問題について、そうしたことを補償するための保険をつくり、マンション購入のさいにはその保険への加入を義務づけるようにすればどうか、という意見が挙がっていたのを覚えている。それは、この問題の中核がけっきょくのところ、ずさんな構造計算によって作成された報告書の真偽を、行政の検査機関がきちんと見抜くことができなかったという点にあるとしたうえで、保険会社にその役割の一部を負担してもらうことで、チェックをより厳しいものにしていこう、という趣旨が込められていたように思う。

 保険というものが一種の相互扶助である、というのはよく言われることである。たしかに私たちは、自分や家族の身に万が一のことが起こったときのことを考えて保険の加入を考えるわけであるが、それは同時に、自分が払っている保険料が、同じ加入者の「万が一」をきちんと補償してくれていることを前提としているからこそのものである。そして、そこには当然のことながら、保険金目当ての殺人事件などのような、不当に保険金を受け取ろうとする案件について、きちんとした調査をおこなって契約内容に反したものでないかどうかを確認する意味もこめられている。先の耐震強度偽装問題でいえば、もし保険の対象となっているマンションに欠陥があれば、その補償金を出すのは保険会社であるのだから、必然的にその調査も厳しいものとなってくるだろう、という期待があったということになる。そんなふうに考えたとき、保険の調査員がおこなう諸々の仕事について、私たちはあるいはもっと注目すべきものがあるのかもしれない、とふと思うのである。

「私にとって保険会社が金を払おうが、払うまいが、そんなことはどうでも良いことなんです。私にとって大事なのは、何が真実で、何が真実でないか、ただそれだけが知りたいんです」

 本書『一応の推定』に登場する村瀬努は、長谷川保険調査事務所に所属する保険調査員のひとりで、まもなく定年を迎えることになっているベテランでもあった。そのせいもあって、調査に長くかかりそうな案件については他の調査員が担当していたが、新年早々に舞い込んできたグローバル損保の、とある死亡原因調査依頼は、契約者の自殺の可能性もふくまれているということで、長く経験を積んできた村瀬が担当することになった。

 調査の案件は、去年の十二月二十四日、JR東海道線膳所駅でおこった死亡事故である。原田勇治という男がその駅構内で線路に転落、そこを通過しようとしていた新快速電車にはねられて即死したのだが、現状手元にある情報だけでは、彼が自殺だったのか事故だったのかがはっきりとしない。ただ、彼が保険契約したのが三ヶ月前と期間が短いこと、また被保険者の妻が保険金の支払いを急いでいること、そしてその原因が、難病に冒されている幼い孫の早期治療の資金づくりにあることなどから、損保側では保険金目当ての自殺をもくろんでいたのではないか、という疑いをもったのである。

 本書のタイトルにもなっている「一応の推定」とは、保険の契約者が遺書を残さずに自殺した場合でも、典型的な自殺の状況が証明されれば裁判官によって自殺と認定される、という判例のこと。村瀬が調査を進めるにつれて、原田の周囲には彼が自殺するに足る状況が次々と浮かび上がり、まさに「一応の推定」理論が成り立ちそうな結果となるのだが、ただ一点においてのみ、自殺と断定するのをためらわせる事実が村瀬を悩ませることになる。はたして、その事実とは何なのか、そして原田の死は事故か自殺か、あるいは事件性のある他殺なのか。

 物語自体は非常に抑制のきいたものであり、華々しく感情に訴えるような表現があるわけでも、また劇的な展開や激しいアクションシーンが待っているというわけでもない。その事件の関係者を洗い出し、ひとりひとりの元に訪れて聞き込み調査を繰り返すという、ある意味地味な展開がつづく本書であるが、そのなかにあってはたして村瀬が、事件についてどのような感情をもっているかという点について、作中では直接言葉で表現されることはほとんどない。そうしたある種ハードボイルド的な文体が、いかにも感情に流されることなく事実のみを突き止めていくベテラン保険調査員の、プロとしての矜持を表現しているわけであるが、そんななかでも、たとえば今回の調査を自殺にもっていこうとする若手の損保担当者を同行させることによって、村瀬の契約者家族に対する同情的な心理を相対的に浮かび上がるような構造など、なかなか味のある演出を心がけているような部分がある。

 保険調査にかんする専門知識や、調査員ならではの聞き込みの仕方などをところどころに挿入しつつ、ともすると先入観によって流されてしまいがちな自身の判断と戦いながら、真実はどのようなものだったのかを模索していく村瀬の姿は、たしか地味なものではあるが、そこに幼い子どもの命という大きなものを背負わせることによって、たんに保険会社が保険金を払うかどうかの調査が大きな意味をもつことになる。保険金が下りなければ、ひとりの子どもの助かる確率が大きく減少してしまう――そこに自殺するに足る要素が多数浮上しながら、村瀬はけっして安易な結論を出そうとはしない。そして私たち読者は、そんな彼の真摯な態度から、そのまま「一応の推定」という、ある意味状況証拠の積み重ねをもってひとつの事実を結論づけてしまうこと、さらには誰かの今後の人生の方向を決定づけてしまうことに対する、深い危惧感を読みとることになる。

「だけど原田さんの行動の軌跡の中で、たった一つだけ理屈で説明できても、心で考えると納得できないことがある。心で計算すると、間尺の合わない答えが一つだけあるんです」

 上述の引用は、おそらく村瀬の唯一といっていい真情の吐露を書いたものであるが、このセリフの内容が、本書最大のテーマをそのまま言い表していると言っていいだろう。本書はたしかにひとつの真実を求めるミステリーとしての要素が強い作品ではあるが、それ以上にひとりの人間としての心が、いかに真実から人を遠ざけるか、同時にその人の心が、いかに真実へと人を導いていくのか、という点をこれ以上なく描き出した作品でもある。そういう意味では、何より相互扶助という人の心によって支えられている保険というテーマを書いた本書は、このうえなく人間ドラマとしての要素をふくんだ作品であるのかもしれない。(2006.08.12)

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