【東京創元社】
『アルアル島の大事件』

クリストファー・ムーア著/吉本純子訳 



 人はともすると、自分をより大きく見せたい、本来もっている能力以上の存在だと周囲の人々に思わせたいという欲望をもつ、なんとも厄介な生き物だったりする。要するに見栄っ張り、ということであるが、この見栄という代物、うかつに張ろうとすると大抵ろくなことにならないと相場が決まっていて、なんだかんだでけっきょくは分相応なところにおさまったり、馬脚を現わしてかえって恥ずかしい思いをしたりすることになる。この書評をお読みの皆様も、一度や二度はそうした経験をなされたことがあるだろうと思うのだが、自分が何者で、どういうたぐいの人間であるかを把握しないままに、自分のもつ能力以上のことをやろうとすれば、どこかで無理が生じるのは自明のことなのだ。だが、肝心の「自分」とは何なのかという問題に目を向けたときに、そこにはかならず等身大の自分自身との比較対照となる他者の存在があるという事実に思い至ることになる。

 人が主観の生き物である以上、まぎれもない自分を知るには、自分以外の誰かとの比較を繰り返し、その違いを把握していくほかにない。自分とは異なる価値観をもつ他者の存在は、そういう意味では重要なことだ。いろいろな価値観が集まれば、それだけトラブルや争いも増えていくが、そのぶん比較対照も増え、自己同一化もより確固としたものとなっていく。たとえば、誰かが大言壮語を吐いたとしても、その言葉と人物との格差に敏感な人間がいればそのことを指摘され、その人物がたんに見栄を張ったにすぎないことが暴露される確率も高くなる、ということである。だが、異なる価値観をもつ他者はおろか、世の中の情報すらまともに届かないような場所、たとえば絶海の孤島といった場所などでは、たとえ誰かが見栄を張ったとしても、そもそもそれが見栄であると見破るだけの比較対照が存在せず、そのぶん大言壮語ばかりがひとり歩きしていく可能性がぐっと高くなってしまう。

 見栄が見栄と悟られてしまうのは、たしかに恥ずかしいことではあるが、別の面ではごく健全なことでもある。むしろ、見栄を見栄と見破れず、何者かの虚言がひたすら間違った方向に人々を暴走させていくことのほうが、よほど恐ろしいことではないか――本書『アルアル島の大事件』を読み終えて、私がまず思ったのはそうした感慨だった。

 酒と女に目がなく、けっこうクールな外見をしているくせに、肝心なときに不甲斐ないドジを踏んでしまう、どこか小物めいたところのあるタッカー・ケース(通称タック)は、とある化粧品会社のお抱えパイロットだったが、例によってしこたま酒を飲んだあげく、酒場で拾ってきた娼婦とフライト中に性行為をするという、なんともお馬鹿な真似をしていたせいで着陸に失敗、飛行機を大破させてしまう。幸い、タックは股間を怪我するだけで済んだが、女社長のメアリはスキャンダルを恐れ、彼をしばらく軟禁しておくことに。パイロットとしては最悪な状況に追い込まれたタックだったが、そんな彼のもとに、南の島に住む伝道医師からパイロットとしての求人が舞い込んでくる。免許停止となったタックの起こした事故には目をつぶり、また給与も今勤めているところ以上に出す、という破格の申し出は、いかにも何かウラがありそうな感じだったが、友人のジェイクになかばせかされるようにして、けっきょくタックはその島へと向かうことになる。島の名前は、アルアル島、太平洋上に広がるミクロネシアの端にある孤島……。

 本書を読んでいくとわかるように、主役であるタックはけっして大人物というわけではない。たしかに飛行機の運転はできるが、彼がパイロットになったのも高尚な理由があってのことではないし、アルアル島に行くはずの船に乗り遅れたり、声をかけた女がじつはオカマで、彼のチャーターした船に乗ったのもつかの間、たまたまやってきた台風に巻き込まれたあげく、人食い族に捕まって木から吊り下げられたりする。やることなすことヘマばかり、というなんとも冴えない人物がタックなのだが、じつのところ、彼以外の登場人物にしても、似たり寄ったりのところがあったりする。そしてそれは、本書のなかでは悪者扱いとなっている伝道医師やその妻にしても、けっして例外ではない。ひとクセもふたクセもある登場人物たちが、どこか間の抜けた言動を差し挟みつつ展開していく本書は、基本的にはコメディーに属する作品だと言うことができるのだが、重要なのは、そんな冴えない人物――本書の言葉を借りるなら「負け犬」であるはずの人物が、アルアル島という隔離された世界において、まさに身の毛のよだつような犯罪行為に手を染めているという事実である。より正確に言うなら、たいした人物でもないのに、大それた犯罪行為が成立してしまう、という事実だ。

 島民は今でも空から船がやって来て、自分たちを救ってくれると信じているってわけさ。その神話にきまって登場するのが、フランス軍とかイギリス軍とかいったここいらの島を掌握していた帝国政府を駆逐すべく、大軍団を送りこむ任務に就いていた独身パイロットでね。――(中略)――島民ときたら、十字架に小さなプロペラを取りつけ、飛行帽をかぶったキリスト像を描く始末さ。

 カーゴ・カルトという言葉が、本書のなかではしばしば登場する。アルアル島では、第二次大戦中に不時着したアメリカ軍パイロットのヴィンセントが土着の宗教と結びつき、彼こそが救世主だという信仰が今も生きている。彼がただの人間でしかないということを知っている私たちにすれば、彼らの物質的富への信仰というのは滑稽きわまりないものでしかないのだが、そんな彼らの信仰を利用して、いかにも胡散臭い演出で神をきどっている者たちも、考えようによっては相当に滑稽なものだ。だが、ただ滑稽だと済ますにはあまりにブラックな秘密が、今回の事件のなかにはある。

 はたして、伝道医師たちはなぜタックのようなパイロットを必要としているのか。そしてアルアル島で、彼らはいったい何をたくらんでいるのか。幽霊やしゃべるコウモリなども登場して、荒唐無稽なストーリーが展開する本書のなかで、はからずも救世主を演じることになるタックが、やはり冴えない人間であるという事実は、カーゴ・カルトがたやすく信じられてしまうというアルアル島を舞台とする物語全体を象徴している。

 ただの人間が神様に祭り上げられてしまうという、見ようによっては滑稽な状況のなかで、本来の自分自身をもちつづけるというのは、私たちが思う以上に難しいことなのかもしれない。ともあれ、運命に導かれるようにしてアルアル島にやってくることになったタックが、そこで何を目撃し、どのような行動に出ることになるのか、そしてそこに、何者の意思が介入されていたのか、ぜひともたしかめてもらいたい。(2008.01.22)

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