【集英社】
『漂泊の牙』

熊谷達也著 
第19回新田次郎文学賞受賞作 



 人間は人間である以前に動物であり、また自然の一部である、というのはまぎれもない事実ではあるが、そのいっぽうで、私たちは本当に今もなお自然の一部として生きているのだろうか、という疑問を捨てきれずにいることも事実である。

 私たちは、自分が他ならぬ自分自身であるという自我を自覚することができ、さらに他人のことを自分のことのように思いやる想像力を発達させてきた。それは、他の動物ではもちえない、人間独自の能力だ。だがそのいっぽうで、私たちは自分が自分であるという意識に縛られてしまった、とも言える。本来は自然の一部であるという、ある種の動物としての一体感、あるいは共通認識によるつながりから離れ、あくまで自分の主観でのみ世界を把握するしかない、という状況は、人間を自然のサイクルの外に追いやるだけでなく、人と人とのあいだのつながりでさえ、容易に保てなくしてしまった。言葉はある。コミュニケーションをとることもできる。想像力で欠けているものを補うことだってできる。だが、それでもなお私たちは、他の誰かの主観を共有することはできない。自分と他者とのあいだにある決定的な差異――ひとりではけっして生きられず、人間どうしで複雑な社会を築いて生きていくしかない私たちは、その差異ゆえにストレスをかかえ、反発し、ときにそれが大きな悲劇を生むことさえある。

 自我がなければ、そうした悩みとは無縁でいられる。だが自我があるからこそ、今の私という個性が存在する。そんなふうに考えたとき、人間が人間であるという事実は、なんと大きな矛盾をはらんでいるのだろうと思わずにはいられない。そして、そうした人間の矛盾をはっきりと象徴しているのが、本書『漂泊の牙』に登場する動物学者、城島郁夫である。

 雪深い東北の山奥、鬼首地区に住む女性が野犬らしき動物に襲われて死亡した。人の肉を食らったとされるその動物は、絶滅したはずのオオカミであるという噂が流れ、観光推進によって街の活性化をはかってきた地元に大きな打撃を与えた。はたして人を襲う謎の獣は、本当にニホンオオカミ――絶滅したとされる野生のオオカミなのか、という大きな謎が中心となって物語は進んでいくが、この謎の獣に対する、登場人物たちの思惑という点に目を向けたときに、読者はただひとり、城島の思惑だけが他の人たちのそれとは根本的に異なっていることに気づくことになる。

 城島以外の登場人物の心理はわかりやすく、良くも悪くも人間的なものだ。それは一様に、獣を「異物」として判断するという一点で共通している。たとえば事件のあった町の住人にとって、人を襲う獣の存在が恐怖であることは間違いないのだが、それ以上に、観光やレジャーといった産業に不利益であるがゆえに、邪魔なものとして排除したいという心理のほうが大きい。そしてその心理は、言うまでもなく人間側の勝手な都合でしかない。あるいは仙都テレビ所属の女性ディレクターである丹野恭子のように、今回の事件をドキュメンタリー番組としてまとめ、東都テレビへの返り咲きをもくろむ、という形でかかわっていく場合もあれば、鳴子警察署刑事の堀越のように、今回の一連の事件のなかに人間による犯行の匂いを感じとり、その獣とかかわっていくというパターンもあるが、それらにしてもその最初の動機は、間違いなく人間としての思惑によるものである。

 謎の獣の最初の犠牲者となった女性は、城島の妻だ。ゆえに、彼がその獣の行方を懸命に追い続けるのは、殺された妻への復讐という目的をあてはめるのが妥当であるし、それが読者にとってもすんなり納得できるものである。だが、本書を読み進めていくとわかるのだが、単純に「復讐」という目的だけでは、説明のつけられない何が、城島という人物のなかにはたしかにあるのだ。動物学者、とくに動物行動学を研究する非常勤講師という肩書からすれば、城島は半端な学者、およそ学会での出世や名誉といったものとは無縁の、さえない中年男性でしかない。だが、それはあくまで人間社会における彼の立場でしかない。自然のなかにおける城島は、姿の見えない野生動物を追跡するという点にかんしては、まさに動物のごとき嗅覚を発揮する。そういう意味において、城島という人物は他の人たちとくらべると、むしろ動物たちの側に近い人間だということになる。そして、だからこそ彼と獣との静かな、しかし息づまるような追跡劇は迫真のものとして、読者にせまってくることになる。

 妻の死によって、抑制されていた獣性が解発されてしまったのだ。身体の奥底から突き上げる衝動が、追跡し、追い詰めろと囁いていた。妻に苦痛を与えたものが許せなかった。

 城島が自分の心理を語る上述の引用において、「解発」という言葉を使った。これは、なんらかの要因によって動物のある特定の行動が誘発されることを指す言葉であり、オオカミの狩りにおける一連の行動についても同じ言葉で説明されている。こうした自然や動物に関する専門知識の豊富さもまた本書の大きな特長であり、それが物語にリアリティを与えていることはたしかであるが、妻を殺された城島の人間として激しい感情よりも、むしろより本能的な部分で獣を追い詰めようとするその様子は、少なくとも彼らを「異物」として見ているようには思えないのだ。むしろ、お互いに似たものどうしであるかのようでさえある。そのうえに、ニホンオオカミの絶滅の要因、そしてかつて日本ではオオカミは恐るべき獣ではなく、むしろ畑を荒らす動物を捕食する益獣として畏敬の念をもっていたという歴史が語られるにいたって、「人を襲うオオカミ」という矛盾がさらに浮き彫りになっていく。

 はたして獣の正体は何なのか、そして、城島はその追跡劇のなかで何を考え、どのような決着をつけようとしているのか――雪で閉ざされた厳しい自然のなかで、人間のちっぽけさと自然の雄大さ、そしてそこに生きる動物たちの強かさと力強さに打たれながらも、なおそこで展開していく人間ドラマの熱さは、きっと読者の物語の世界に引きずりこんでいくに違いない。大自然と隠された歴史へとつながる壮大なミステリーを、ぜひとも堪能してもらいたい。(2009.06.29)

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