【新潮社】
『ふたり』

赤川次郎著 



 人が成長することの意味について、ふと思いをめぐらせることがある。

 人は生きているうちに、いろいろな経験をする。それが楽しいことであれ、悲しいことであれ、自分の身に降りかかってきたさまざまな体験を吸収し、そこから何がしかの教訓を獲得し、生きていくのに必要な、自分なりの答えを見出していく。人生とはその思考錯誤の繰り返しであり、他の誰でもない、自分自身の人生である以上、そこには万人に通用するようなセオリーなど存在しない。あらゆる行動、あらゆる選択の全責任が、自分自身にはねかえってくること――人間として成長するとは、自分がひとりであることを自覚することだと言うことができるだろう。

 だが同時に、私たちはひとりではけっして生きていけない。人間ひとりの力でできることなど、たかが知れているのだ。それゆえに、人と人との関係が、人生において大きな意味を持ってくることになる。自分がひとりであることを自覚すると同時に、他人の存在を意識し、他人の心を思いやることのできる想像力を養うこと――社会生活を営む種族として、このふたつの矛盾した、しかし底辺ではつながっているはずの事柄を知ることこそが、人間としての成長ではないだろうか。そしてそのためには、自分というものを客観的に見てくれる他者の目が、どうしても必要になってくる。

「どんなに落ち込んでも、落ち込んでる自分を見てるもう一人の自分がいるの。あんたはそういうタイプ」

 本書『ふたり』のなかで、姉の北尾千津子は妹の実加について、こんなふうに評価する。だが同時に、その実加自身を客観的な立場から眺め、彼女が思い悩んだときに適切なアドバイスをするのは、誰でもない、千津子自身でもあるのだ。成績優秀、スポーツ万能、何をやらせても器用にこなしてしまううえに、人を惹きつける明るさをも持ち合わせていた姉の、突然の死――しかし、物語は姉の死があって、はじめて動きはじめることになる。常に目立つ立場にいた姉の陰に隠れてしまってはいるが、人には見えない底のほうに素晴らしい光を持っている実加の成長を助ける「客観的な目」という役割を、千津子は死んだのちに実加の内部に住みつく、という形で実現させることになるからだ。

 ここでひとつ疑問となることがあるとすれば、それは「なぜ千津子は死ななければならなかったのか」ということであるのだが、本書が「実加の成長物語」であることを考えれば、話はずいぶんと単純になる。千津子が生きているかぎり、千津子もまたひとりの人間であり、そうである以上、まず第一に考えるべきなのは千津子自身の成長であり、幸せである。たとえ、彼女がどれだけ器用で、妹の隠れた才能を見出したいと思っていたとしても、千津子が生に束縛されている限り、それは中途半端な形でしか実現しない。実加という、とかく姉に依存しがちな性格の少女を成長させるために、千津子は死ぬ必要があったのだ。

 そういう意味で、赤川次郎の書く作品は、非常にドライな部分がある。登場人物は最初から成すべき役割が決められており、物語は必ずしかるべき流れを行き、落ち着くべき結末へと読者をいざなう。それは、けっして登場人物たちを軽んじていることを意味するわけではない。ただ、著者がもっとも重要視するのが物語という名のエンターテイメントである、というそれだけのことなのだ。著者の描く物語の中では、登場人物はまぎれもない人間というリアリティーを持つ存在としてではなく、しかるべき物語を成立させるために役割を演じている役者として存在することが、何より大切なことなのである。

 今、赤川次郎ほど数多くの小説を、さまざまな題材で生み出すことのできる作家を、私は知らない。だが、その底辺にあるのは徹底した「物語至上主義」であり、そういう意味ではミステリー作家の綾辻行人と似たようなところがあると言えるだろう。その処女作『幽霊列車』という作品でオール読物推理小説新人賞を受賞していることからもわかるように、著者はもともとミステリー作家としてスタートしている。綾辻行人があくまでミステリーのトリックにこだわるように、著者はエンターテイメント的な物語――読者をしばらくの間、物語という仮想世界で楽しませる舞台づくりのほうにこだわりを持つ。

 ピアノの発表会、クラス対抗の駅伝大会、かつて姉が入っていた高校の演劇部での上下関係、父の転勤、母の病気――姉が死んでから、さまざまな問題が実加の身に振りかかってくるが、そのたびに姉の言葉に励まされ、ひとつひとつ困難を乗り越えていく。しかし、問題は後になるほど大きくなり、ついには北尾家の命運を左右しかねない大問題へと発展してしまう。実加と同じように、どことなく頼りない人物として、母の治子の存在があるが、死んだ姉が母親にではなく、妹にとりついてしまう、というのは、若さと成長という意味で、非常に重要である。

 実加以外の人にはけっして聞こえない、姉の声――かつて、自分の姉として生きた千津子の存在は、まぎれもない現実であったかもしれないが、それが妹の中で生きはじめた瞬間、彼女が千津子の意識である、という保証は、当の実加以外に確かめるすべはない。極端な話、千津子の声は、実加が一人前の大人になるのに不足している部分を補うための「擬似人格」であったと考えられなくもないのだ。そしてそう考えたとき、本書は実加の成長物語である以上に、妹が姉と同一化する物語、自己補完の物語へと変貌する。

 人はひとりでは生きられない。だから、「人間」という言葉は人の間――つまり、ふたり以上の人のことを指すのである。最高のエンターテイナーが描いた『ふたり』の物語を、ぜひとも楽しんでもらいたい。(2001.05.06)

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