【角川書店】
『幻の船』

阿刀田高著 



 魔性の美を秘めた幻の絵、見るもの、また追い求める者に死をもたらすわざわいの絵――とこう書くと、何かホラー小説の紹介をしているような感じだが、本書『幻の船』は、そういったホラーものとは少しばかり趣きが異なっている。

 本書で中心となる絵とは、屏風絵のことである。時の戦国武将だった織田信長が、当時最高の絵師だった狩野永徳に描かせたという「安土屏風」は、その芸術的価値はもちろんのこと、おそらく安土城の全景を描いた唯一の写実画として歴史的価値も高い作品だとされているが、本書の中にその絵はただの一度として登場しない。ただ、永徳が天正八年に屏風絵を完成させ、後日、信長がイエズス会の巡察師にその屏風を贈り、巡察師がローマ教皇に献上してから行方知れずになった、という記録が残されているだけだ。物語では、フランス旅行で知り合った人物に頼まれて、語り手である「私」とその妻が「安土屏風」の謎について調べることになるのだが、調べていくうちに、信長もローマ教皇も屏風絵とかかわってからしばらくもしないうちに死んでいるという事実に突きあたる。しかし、それはたんに歴史的出来事にはとどまらず、現代に生きる登場人物たちの上にもしだいにその影を落としつつあったのだ……。
 二つに折れる屏風が二枚で一組になる二曲一双の形、永徳の絵がもつ妖気、そしてそこに描かれている、四人の人を乗せた船――断片的な事柄はわかってくるものの、「安土屏風」にどんな絵が描かれていたのか、いや、そもそも屏風そのものが現存しているのかどうかすら、依然として謎のままである。そんな絵が次々と人に死をもたらす――考えてみれば奇妙な話なのだが、「安土屏風」や安土城に関する数多くの資料の裏打ちによって、絵の存在が不思議なことにアピールされているのである。また、安土城跡や信長の館などといった観光案内的文章も豊富で、まるで歴史ミステリー番組を見ているような気分になる。冒頭で私は本書がホラーとは趣が違う、と書いたが、ホラーというよりも歴史ミステリーに位置付けされるべき作品なのかもしれない。

 それにしても、この『幻の船』であるが、もともとは『安土城幻記』という題名だったらしい。おそらく角川書店が文庫化するにあたって前者の題名のほうが売れると踏んだのではないかと邪推するのだが、本書の歴史ミステリーという一面を強調する意味においても成功しているのではないだろうか。私はあまり積極的に本を買う人間ではないのだが、できれば今年は「買いたい」と思わせるような本に多く出会いたいものである。(1999.01.03)

ホームへ