【中央公論新社】
『法と社会』

碧海純一著 

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 私たちが生きるこの社会にはさまざまな法律があって、私たちはその社会のなかで生きる構成員のひとりとして、当然のごとくそれらの法律を守ることを期待されているわけであるが、そもそも「法」とは何なのか、という命題に目を向けたときに、この日本においてもいわゆる「六法」をはじめとするさまざまな法律ができあがったその背景には、そのときの社会がそうした決まりごとを必要としていたという事情について考える必要があるはずであり、それはひるがえれば、その社会のなかで生きる私たちひとりひとりのためのものでもあったはずだということである。だが、そのいっぽうで、たとえば現在、保護機関を著者の死後50年から70年に延長しようとしていることで一部問題となっている「著作権法」など、その法律の存在がかえって多くの人の自由を――ひるがえれば社会的な活動を束縛する形として機能しているように思えることもしばしばあるのも事実である。

 サブタイトルに「新しい法学入門」とあるとおり、本書『法と社会』は、常に変化していく人間社会の実情にあわせて、法というものがどのような役目を負い、合理的な発展をうながし、あるいは抑制していくべきなのかを追及する法学の入門書である。大きく五つの章によって成り立っている本書は、第一章では法を文化の一部、つまり人の手によって生み出されたもののひとつとしてとらえると同時に、道徳や政治、経済といったものとの関係について述べ、第二章ではその法が成り立つ土壌たる「社会」の成り立ちについて、第三章では社会の発展にともなって、法がどのような変化・発達を遂げるにいたったかの遍歴を、第四章ではおもに資本主義・民主主義という概念によって複雑化していった現代社会における、法のあり方や、その期待される役割について、そして第五章では第四章をふまえて、法のあり方を考えていく「法学」の歴史について、それぞれ述べている。

 よく「法治国家」という言葉を耳にする。それは、ある特定の血族に連なる一族によって支配される専制君主的国家ではなく、またある特定の団体や組織がすべてを決定するという独占的な統治でもなく、すべての人間の上に、私たちが遵守すべきものとして規定されている法律があり、政治も行政も司法も、すべてこの法によって運用されていくとされる国家のあり方である。法という厳格な決まりごとがあらかじめ定められており、それに従って国が運営されていくのであれば、そこに私的な思惑や個人的感情の入り込む余地はなく、それゆえにより理想的な社会へと発展していく、というのが法治国家の考え方であるが、言うまでもなくその法もまた、かつて何者かの思惑によって制定されたものであり、そうである以上、法の下の平等というのがけっきょくのところただの理想論にすぎない、というのもまた、まぎれもない事実である。

 本書はそうした法というものについて、ただたんにその原典を紹介しその解釈を説明する、というものではなく、その法を生み出すにいたった社会のさまざまな側面から、その関係性についてとらえていこうという意図のもとに書かれたものである。とくに、法と言語との関係については非常に興味深いものがあり、私たち人間が獲得した複雑な言語体系――とくに、言語の抽象の能力が、かならずしも人間だけのものではない「文化」というものを、他の動物たちのそれとは比べものにならないくらいに高度なものに発展させていった、という論は、法律というものの複雑さ、やっかいさの原因を鋭く指摘するものでもある。複雑で、そして常に新しい価値観が生み出されていく社会――それはまさに、複雑な思考をめぐらせる私たち人間の複雑さを反映したものであり、そんな社会を統制するための法もまた、合わせ鏡のように複雑にならざるを得なかったという事情が、本書を読み進めていくと次第に見えてくることになる。

 私は法律のことについてはけっして明るいわけではないし、そもそも法学についてはまるっきり何も勉強してこなかったに等しいのだが、そもそも発生的には権力側による、社会を統制するためのものであるはずの法が、そのいっぽうで逆に法が権力の抑制機能としての役割を課されることになったり、ローマ法における「擬制」や「衡平」といった法改正のやり方をもって、なんとか法そのものを変えることなく、時代の変化に対応していこうとした歴史などに触れていくうちに、きわめて論理的な世界にあるはずの法というものが、きわめて人間臭い、しかしそれゆえに多くのドラマを内包したものであることがわかってくる。そう、私たち人間が完璧でないのと同じように、法もまた完璧ではなく、そうである以上、移り変わっていく社会に即した形へと変化していくべきものであり、その方法を探り、社会をよりよい方向に導いていこうとする学問が法学というのであるなら、そこにはあくまで理想を追い求める人間たちの熱い思いがたしかに存在するのである。

 あくまで教養書という体裁のもと、多少の専門用語もふまえた固い文章でつづられている本書であるが、じつは本書の最後にある「まとめ」という短い章のなかに、著者の法学に対する並々ならぬ思いの片鱗を感じとることができる。そしてそこにあるのは、本書のなかで繰り返し説かれてきたこと――法は社会の発展のために存在し、それはひるがえって私たち人間ひとりひとりのためのものでもあるということ、そして社会の構成員として、私たちひとりひとりが法改革に意識的でなければならない、という思いである。

 先日読んだ伊坂幸太郎の『魔王』のなかで、日本国憲法の改正というテーマが取り上げられていたが、たった99条しかない、その気になればいかようにも解釈することのできる憲法改正の問題点をいみじくも浮き彫りにした作品でもあった。心理学や社会人類学と同じく、比較的新しい学問に属する法学は、まさにこうした問題点をいかにして解決していくかを模索するための学問であることを、本書は何よりも伝えたかったのではないだろうか。(2006.08.26)

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