【ハーレクイン】
『侵入者』

サンドラ・ブラウン著/松村和紀子訳 



 男女の恋愛をテーマとする作品――とくに、私の主観的な感覚としては、少女コミックあたりがあてはまるひとつのパターンとして、カップルとなる男女の最初の出会いは大抵、お互いに最悪の印象をいだいてしまう、というものがある。出会い頭に正面衝突したあげく、女の子の胸に触っていたり、パンツを見てしまったりというのは、もはやネタ化しているほどベタなものであるが、それは男女の恋愛を描くさいに、その起点を一番下に設定しておけば、あとは上にあがっていくしかない、というのが理由のひとつにある。テーマが恋愛であり、そのためにふたりの男女が物語の主要人物として用意されている以上、お互いがどれだけ反発し、悪い印象をもっていたとしても、物語の展開上、ふたりは何らかの形で関係せずにはいられない。そして関係するたびに、相手の意外な側面が垣間見えるようになれば、最初の出会いが最悪であったがゆえに、お互いがお互いについて容易に上方修正することができるのだ。

 このような理屈でいえば、男女の最初の出会いがろくでもないものであればあるほど、恋愛小説の展開としてはやりやすい、ということになってしまうのだが、今回紹介する本書『侵入者』ほどのものとなると、お互いの第一印象をどこまで上方修正できるのか、そしてその要素をどこに求めるのか、という点がひとつの読みどころとなってくる。なにしろ、本書に登場するエスリン・アンドリュースが家に帰ってくると、ひとりの男が家のなかに侵入しており、彼女を脅迫して人質にしたあげく、自身の逃亡の手助けを強要するという、およそ思いつくかぎり最悪の出会いをはたしてしまっているのだ。その男の名はルーカス・アンドリューズ。アメリカ・インディアンの血を引くナバホ族の男であり、つい先日、刑務所から脱獄したことがニュースで報道されていた、きわめて危険視されている男でもあった。

 こんな災難にどう立ち向かってよいかわからない。深窓育ちの彼女には、生死が背中合わせの状況など、遙か遠い世界の出来事だった。彼女はいたせり尽くせりの環境で、我が子に“最良のものを”と望む両親に大切に育まれたのだった。

 ごくふつうに考えれば、他人の家に押し入って脅してきた無法者と、その家の持ち主である女との関係が、より親密なものとして進展することなどありえそうもないことである。ありえるとすれば、犯人と人質が長時間非日常的時間を共有することで、ある種の依存的感情を有してしまうという「ストックホルム症候群」による、あくまでかりそめの結びつきくらいのものなのだが、本書の場合、ふたりの相手に対する感情がいくつもの誤解や思い込みによって歪められたものであり、そうしたものをひとつずつ解いていくという場を用意することで、お互いの印象――とくに、エスリンのルーカスに対する印象をまずはやわらげていこうとする。

 まずルーカスについてであるが、彼はけっして考えなしの無法者ではないし、また頭が悪いわけでもない。陸上競技の奨学金を得て大学に入り、猛勉強の末にロースクールにも進んで弁護士の資格を取れるだけの明晰な頭脳をもっていた。そして弁護士としても弁が立ち、インディアンの社会的地位の向上に貢献するだけの熱意と情熱もあった。ただ、インディアンの混血児であるという彼の複雑な立場が、必要以上の気性の荒さと頑固さで心を硬直させてしまっているところがある。

 純粋なインディアンではなく、白人とインディアンのハーフであるというルーカスの設定は、おそらくビジュアル的なものも考慮してのものであろうが、性格的な部分に暗い陰を落とさせるという意味でも充分に活用されている。自身の生きる社会における有色人種への偏見が、やがて彼をもっと過激な活動――デモや集会といった活動へと引き寄せ、結果としてそこで起こった乱闘の首謀者として逮捕され、有罪判決を受けたときも、それが有色人種への偏見がもたらしたものだと思いこむ。法も、人々も、あらゆるものが自分を不当に扱い、貶めようとしているという鬱々とした敵愾心は、ルーカスの場合、「裕福な白人」という抽象的なものへの憎悪という形をとることになるのだが、それは同時に、自分のなかにたしかに混じっているはずの白人の部分を否定することになるという矛盾を抱えてもいるのだ。

 こうした複雑な心の持ち主であるルーカスにとって、エスリンはまさに彼の憎悪の象徴ともいうべき立場にあるわけだが、いっぽうのエスリンのほうもけっして単純ではない事情をかかえている。上述の引用において「最良のものを」という語句をダブルコーテーションでくくっているのは、それがあくまでエスリンの両親が望むものであって、けっしてエスリン自身にとっての「最良のもの」ではないという意味を含んでいるからである。ジャーナリズムの学位をとり、報道カメラマンとしての将来を渇望していた彼女の望みは、両親が思い描いていた青写真とはかけ離れたものであり、その点でエスリンもまた鬱々としたものを抱えていたのである。

 服を脱ぐように強制されたり、無理やり恋人のふりをさせられたり、警察の検問をなんとかやりすごすよう脅されたりと、エスリンにとっては文字どおり大きな試練の連続であるいっぽう、たとえばルーカスがあえて脱獄した理由が、死の床にある祖父に会いたい一心でのことであるという、誇り高い一面を垣間見て、エスリンの心は大きく揺れ動く。だが何より、お互いに惹かれあうものを感じ、その欲望を満たしたいという強い想いが本書の中心にあるのは言うまでもない。そうした感情は、けっして理性や教養といったものでどうことできるものではないのだが、エスリンもルーカスも、けっして頭が悪いわけではなく、それゆえにふたりとも自身の内にある恋愛感情に対して、なんとか理由づけをして否定しよう、忘れようとするところが意地らしくもある。

「ねえ、ルーカス」エスリンは囁いた。「たとえあなたがそのことを認めなくても、あなたを愛している人はたくさんいるのよ」

 人種や身分の違い、人々の偏見など、ただでさえさまざまな問題をはらんだうえに、そもそもの出会いが最悪であり、また自身の心になかなか素直になれないふたり――これほどまでに負の要素がありながら、それでも最終的にはお互いを結びつけてしまう恋愛感情、人が人を想う力というのは、もしかしたらとてつもない力を秘めているのかもしれない。そんなふうに信じさせてしまうものが、本書のなかにはたしかにある。(2009.12.04)

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