【幻冬舎】
『火の粉』

雫井脩介著 



 私は世の中にはびこる犯罪者、とくに、自分勝手な価値観を無理やり他人に押しつけ、その人に本来保障されるべき自由を侵害し、奪い去っていくことに何の痛痒も感じない犯罪者が大嫌いであるし、また大いに憎んでもいるが、同時に私は警察という組織そのものもあまり好きではないし、できれば一生かかわりたくはない、とも思っている。これは別に、つまらない違反ばかり取り締まり、もっと深刻な犯罪にはまったく盲目な昨今の警察の無能ぶり、不祥事続きの体たらくを皮肉っているわけではない。犯罪加害者にも、犯罪被害者にもなりたくない、というのは、おそらく私にかぎらず、誰もが心の中では感じていることだろうと思うのだが、その理由を考えてみると、けっきょくのところ加害者にしろ被害者にしろ、犯罪というものにかかわった人間にとって、得になることなどほとんど何もない、仮にあったとしても、その代償として失われるものがあまりにも大きすぎる、という点に尽きることになる。

 警察は法の番人であり、犯罪者を捕らえることに特化した集団である。基本的に物事を疑ってかかっているし、犯人をつかまえるという大きな目的のために、ときに犯罪に巻き込まれた人たちの自由を踏みにじるような、強引な行動も辞さないところがあるのは事実であるが、それは警察が何より「法」を遵守する組織であることから来るものである。では、その警察が最終的に捕まえた犯罪者を引き渡す「裁判所」という組織はどうだろう。

 弁護士や検察官の陳述を聞き、法律に基づいて犯罪者を裁く立場にある裁判官もまた、基本的には法の番人であることに違いはない。だが、人間が引き起こす数々の犯罪ケースを、単純に法だけをあてはめて裁くことは不可能だ。法治国家が三権分立によって成り立っていることからもわかるように、司法の世界は法と、そして裁判官の良心、あるいは正義といった、言ってしまえば当人の人間としての信念のようなものが判断のすべてであり、それ以外の権力の介入が許されていない。そして法律というものもまた、かつて誰かの手によってつくられたものであるとすれば、けっきょくのところ裁判官も「法の番人」とはいうものの、人が人を裁く、という構図にならざるを得ないことになる。人間の判断が完全でないのと同様、警察も司法も完全ではないのだ。だからこそ、ときにひとりの人間の生死を決定しなければならない裁判官という職業は、重い。

 ここまで前振りをした内容から、もうおわかりだとは思うが、本書『火の粉』は、裁判官という職業がメインとなっている作品である。物語は、50代半ばに達した裁判官、梶間勲が、とある裁判の判決公判に出向くところから始まる。裁判の焦点は、幼い子どもを含む一家三人を被害者宅で殺害し、あまつさえ自身も被害者のひとりとして偽証したとされる被告、武内真伍が本当に犯人なのか、という点に絞られていたが、被告の背中につけられた殴打痕が自傷では難しい、ということを鑑みた梶間は、被告に無罪をの判決をくだす。

 判決公判の緊張した雰囲気や司法の現実、裁判官の人間としての複雑な心情や、死刑宣告に対する内なる苦悩など、ひとりの人間としての視点から語られる、たしかな知識によって裏打ちされた司法の現場の緻密な描写は、読者を作品世界に引き込むのに充分な力をもっているが、物語が進むと舞台は一変、司法の現場を引退した梶間の家族に焦点が当てられる。老いた義母の介護で疲れきっている勲の妻、司法試験に挑戦しているひとり息子とその嫁、そして自分になつこうとしない孫の三世代が同居している一軒家は、とある新興住宅地の一角にあるが、その隣に空いていた家に、かつて自分が無罪の判決をくだした武内真伍が引っ越してきていることに気づく。

 はたして、これはただの偶然なのか。物語はその後、老人介護に焦点をあてたかのような、しかしどこかにはありそうな平凡な家族の日常が淡々と描かれていくが、ただの隣人としては、ちょっと過剰なまでに梶間家に対して親切に尽くそうとする武内真伍の存在が、少しずつ黒い違和感となって読者に迫ってくることになる。そしてその親切が大きくなるにつれて、それまでバランスを保っていた梶間家の関係に、徐々に亀裂が生じていく。

 梶間家のなかで不意に起こり始めた人間関係の不和、それを助長するかのような数々の小さな出来事、そして、そもそも武内真伍の引っ越しという偶然――偶然で済ませるにはあまりにも出来過ぎたそれらの符丁は、本当にただの偶然なのか、それとも、すべては武内真伍の巧妙な企みなのか? 企みだとしたら、その目的は何なのか。本書が示す謎はまさにこの一点につきるのだが、そもそも彼を無罪にした元裁判官の家が対象となっていることによって、この単純な謎がひどく複雑で、そして大きな興味となって読者を取り込んでいくことになる。なぜなら、もし勲の無罪判決がミスジャッジだったとするなら、彼はまさに自分のミスのせいで殺人鬼を隣人に招き寄せてしまったことになるのだから。そして、その殺人鬼はおそろしく狡猾で、なかなかその本性を表に出そうとはしない。だが、もしそうなったら、すべては手遅れとなってしまう。何気ない日常から少しずつ高まっていく危機感と緊迫感、この緩急のつけ方は見事と言うほかにない。

 犯罪者を厳しく罰せよと言うのは簡単だ。
 しかし、人を裁くのは、言うほど簡単なことではない。裁判官は量刑を一年プラスマイナスするのにも煩悶を繰り返しているのが実情なのだ。

 司法を司る職業も人間がおこなうものである以上、そこに誤りがないというわけにはいかない。無罪であるはずの人間が有罪になってしまう冤罪問題は、まさにそこから起こってくるものであるが、本書はその逆のケースをとりあつかった作品である。有罪であるはずの人間が無罪放免となったとき、その責任は誰がとってくれるのか――本書のタイトルである「火の粉」は、まさにそんな意味合いを含んでいるが、裁判官としてではなく、ひとりの人間として、はたして勲がどのような決着をつけるのか、その結末におおいに注目してもらいたい。(2005.01.10)

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