【文藝春秋】
『秘密』

東野圭吾著 
第52回日本推理作家協会賞受賞作 



 謎があれば解いてみたくなる。秘密があれば明らかにしてみたくなる。それは人が人である以上、避けることのできない衝動のひとつであるが、謎を解明し、秘密を突きとめて、その真実の姿をはっきりさせることが、必ずしもその人の幸福と結びつくわけではない。これと似たようなことを、以前に紹介したスティーヴン・ドビンズの『死せる少女たちの家』の書評でも書いているが、よくよく考えてみれば、ミステリーと呼ばれるジャンルの大半において、これと同じような真理があてはまると言うことができる。つまり、探偵にしろ警察にしろ、謎を解明する役の人物が動き出すのはすでに不幸な事件が起きたあとであり、その時点で失われたものが戻ってくるという保証はどこにもなく、とくに殺人事件となれば、殺された人物はけっして生き返ることはない、ということである。

 もちろん、犯罪に巻き込まれた人たちがときに見せる、事件の真相究明へのこだわりはわからないわけではない。それは、理不尽な事件によって自身の人生を大きく狂わされてしまった人たちが、その不幸に自分なりの決着をつけるための、ひとつの儀式である。いや、あるいは決着など生涯つけることはできないのかもしれないが、それでもなお、その人のなかで止まってしまった時間をふたたび動かすのに必要だと認識されたのであれば、事件の真相究明は――たとえ、その結果がどれだけ残酷なものであったとしても――それはやはり「救い」のひとつの形となりえるものである。人はいつまでも過去にとらわれたまま生きていくわけにはいかないのだ。

 たとえば、行方不明になったままその生死もわからない状態であるのならともかく、どのような形であれ「死」という決着が与えられているのであれば、あとは残された者たちの心の問題である。そういう意味で本書『秘密』において、登場人物のひとりである杉田平介とその家族がおちいった状況は、かなり特殊なものであり、そしてその特殊性ゆえに、ひとつの明確なテーマが浮かび上がってくることになる。

 自動車部品メーカーの生産工場で働いている平介は、今年40歳になろうとしているごく普通のサラリーマン。妻の直子と、ひとり娘で今度小学六年生になる藻奈美の家族三人で、平凡ではあるがたしかな幸福のなかで日々の生活をおくっていた。だが、そんなささやかな平和を打ち壊す事態が生じる。従兄の告別式に出席するために、長野県の実家に向かっていた直子と藻奈美の乗っていたバスが、その途中で転落事故を起こしたのだ。急いで病院に駆けつけたものの、直子のほうは怪我がひどくてまもなく死亡、藻奈美のほうは外傷こそないものの、いまだ意識が戻らないという事態が平介を待ち受けていた。だが、平介の衝撃はそこで終わらない。直子の死と時を同じくして、奇跡的に意識を取り戻した藻奈美が、自分は直子だと主張したのである。

 人間という一個の存在が、身体と精神のふたつに厳密に区別できるものとして、理由はわからないものの、藻奈美の体に直子の意識が入り込んでしまったことを知った平介は、そして直子は、これからどうしたらいいのか? こうした人格転移や憑依といったものをテーマとした作品は、たとえば赤川次郎の『ふたり』や、浅倉卓弥の『四日間の奇蹟』など数多いが、本書の場合、『ふたり』のように両方の意識が同時に存在しているわけではなく、また『四日間の奇蹟』のように時間が限定されているわけでもない。体は小学生なのに、心は平介の主婦であるというギャップをかかえたまま、それでもとりあえずは日常生活をつづけなければならなくなったときに、はたしてどのような困った事態が生じ、その事態にたいしてふたりはどのようにして切り抜けていくのか――そのあたりの部分をあくまでリアルに書いているのが本書の大きな特長であり、それゆえに物語はときに滑稽な展開になったりもするのだが、こと本書において重要なのは、本来であれば直子か藻奈美のどちらか、あるいは両方とも死ぬか、もしくは両方とも生きているか、といった想定の範囲外のことが起こってしまったために、平介が直子と藻奈美に対して生死のはっきりとした区別をつけられずにいる、という点である。

 自分の妻や娘に対して、生死の区別を厳密につけることができないということは、言葉を変えれば妻や娘の身にふりかかった事件についても、いつまでも決着をつけられないまま時間だけが過ぎてしまうことを意味する。じっさい、彼は自分が本当に失ったのが妻なのか、あるいは娘のほうなのか、ということを悩みつづけているし、また事故をおこした運転手が必要以上に超過勤務の状態であったことを知った平介は、一時期その理由を知ろうと動き回ったりしており、そういう意味ではミステリーの要素も見受けられる作品ではあるが、じつのところ事件の真相などは、本書においてはたいして大きな問題ではない。むしろ、時間の経過とともに平介と直子のあいだで、徐々にお互いの状況に対する認識にズレが生じていくことのほうが深刻である。つまり、平介は今でも直子は生きていると考えており、いっぽうの直子のほうは、もちろん自分が直子であるという自意識はあるものの、宿っている藻奈美としての体が、だんだん直子の意識にも影響をもたらしつつあることを自覚している。そして、ふたりとも次第に悟るようになるのだ。こんな曖昧な状態を長くつづけていくことはできない。どんな形にせよ何らかの決着をつけてしまわなければ、最後にはにっちもさっちもいかなくなってしまうと。

 藻奈美の体のなかに宿り、藻奈美としてふるまっているのが、じつは妻の直子であるという現実は、平介と直子のふたりだけしか知らない秘密である。本書のタイトルである『秘密』とは、もちろんこの主題への含みがあるのは間違いなく、またこの秘密があるゆえに、ふたりは真の意味で自身にふりかかってきた事故に決着をつけ、前に進むことができずにいたわけであるが、本書を最後まで読んだ方であれば、この『秘密』という言葉に込められた、もうひとつの意味に気がつくはずである。そしてそれは、読者の不意をついてあっと思わせるのに充分なものがあることを、ここに断言しておく。(2005.08.07)

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