【新潮社】
『瞳の中の大河』

沢村凜著 



 たとえば、誰もが自由で平等な社会を築くことができれば、これほど素晴らしいことはないに違いない。だが、それはあくまで理想であって、現実の社会において人々はけっして平等ではないし、また私たちは思った以上に多くの事柄によって縛られて生きている。もし誰もが博愛精神にあふれ、お互いに助け合って生きていくことができれば、世の中はもっと平和で、人々は今よりもずっと幸福になるだろうが、じっさいの私たちは多分に利己的で、自分中心のものの考え方をするし、いざというときは他人のことよりも、自分や自分の家族のことのほうがずっと大切だと思ってしまう。誰もが聖人君子になれるわけではない。私たちは多かれ少なかれ自分が可愛いし、できることなら自分にとって損になるようなことはしたくない。

 そうした利己的な姿は、ある意味で人間の本質だと言うことができるし、じっさいに人間味があるものだ。理想はあくまで理想であって、現実ではない――もし仮に、かぎりなく理想的な人間が目の前に現われたとしたら、私たちはきっとその人物を前にして、気軽に付き合いたいなどと思うことはないだろう。なぜなら理想的な彼の姿は、否応なく不完全で俗物である自分自身の存在を意識させられるからである。人は誰もが、理想像を追い求めつづけられるほど強いわけではないのだ。

「カーミラ、この世に理想どおりのものは、何一つない。軍も、国家も、小さな村も、おまえたちの組織も、必ずどこかに歪みがあり、すべきことがそのとおりに進まず、してはならないことをする者がいる――(中略)――だから、信じられるのは幻の、あるべき姿――理想像だけだ」

 本書『瞳の中の大河』は、四方を山脈にかこまれた、戦の絶えない小さな国で起こった新しい時代の流れ、その変化を描いたファンタジーであり、また奇しくもその変化の中心に立つことになったある男、後に「大佐」と呼ばれる英雄的人物、アマヨク・テミズの物語でもある。彼は間違いなくこの物語の中心人物のひとりではあるが、同時に歴史の流れという軸をはずれないような構成を徹底しており、それゆえにアマヨクをはじめとするさまざまな人物がそのとき、どのような言動をとったかという点を意図して書き出しているところがある。

 登場人物の感情や心理に深入りぜす、あくまで彼らと一定の距離を置いたうえで綴られる物語は、それゆえに人の死や非人道的行為についてもさらりと書かれていることが多いのだが、その抑制の効いた筆致が逆に、私たち読者に登場人物たちの内面を想像させるテクニックとして効いている。登場人物それぞれが思惑や打算、あるいは信念や信条といったものをかかえ、行動していった結果が紡ぎだすさまざまな悲喜劇が、最終的に大きな時代の流れとなってひとつの方向へと彼らを導いていくさまは、その背景世界のリアリティも相まって壮大な歴史小説として読むこともできるのだが、そのなかでもやはり大きな存在感を示しているのがアマヨク・テミズであり、彼の心の内でもある。

 本書のなかにおけるアマヨク・テミズは、理想の信奉者という立場にある。平民階級にありながら、同時に貴族、それもこの国を実質的に仕切っている最高貴族(ドールフェンディ)の血族につらなる者でもあり、南域将軍オルタディシャル閣下の庇護を受けているアマヨクは、言ってみれば平民と貴族という、その世界では絶対的に異なる身分にあるはずの世界のどちらにも属している。そのきわめて特殊な立場は、それだけでそうした階級を超越する、あるいは破壊するものの象徴となるに充分なものを持っているわけだが、なにより彼というキャラクターを印象づけているのは、頑固なまでに理想を追い求めていくという姿勢だ。絶縁されているとはいえ、オルタディシャルの甥にあたるアマヨクは、彼の援助で軍学校を経て軍人となるが、他の軍隊がなかば略奪行為を黙認しているなか、軍規を重んじ、国を守ることへの誇りを忘れない理想の軍人、理想の軍隊たることを自分にも、自分の配下にも厳しく要求する人物へと成長していく。

 理想というものは、その内容が高潔であればあるほど、その実現への情熱をもちつづけていくのが困難になる。それは言ってみれば、ゴールの見えないマラソンのようなものであって、いずれ人は疲弊し、どこかでその理想を放棄するか、妥協することへと流れてしまう。それが人間というものであり、本書に登場する人物や組織も多かれ少なかれそうした理想の成れの果てとして存続しているところがある。本書の世界では、旧弊な秩序を維持しようとする国と、その秩序を破壊して新しい秩序を築こうとする野賊たちとの内戦状態にある。どちらの組織も、もともとは高い理想をもって成立していたはずであるのだが、長い戦争状態が、いつしか理想の実現のための戦いではなく、戦いのための戦いをつづけるという状況を生み出してしまっている。

 そんな状態のなかに、理想の信奉者たるアマヨク――軍事の才を開花させ、いろいろな意味でその世界への影響力をもつようになっていく彼の存在が、はたしてどのような化学反応を引き起こすことになるのか、という点こそが本書最大の読みどころであり、だからこそアマヨクという人物が生きてくることになる。それは、彼自身がどのような人物であるかというよりも、アマヨクという光を当てられた、彼の周囲にいる人たちが、彼に何を感じ、またどんな姿を見ることになるか、ということでもある。

「あいつは、軍と正義の両方を信奉していた。両立するわけがない――(中略)――だけど、あいつは信じられないほど欲張りだ。強情に両方を握り締めたまま、どちらも手放そうとしない。そういう欲張りは、死ななきゃならないと思わないかい」

 ある者は彼に現実を突きつけようとし、ある者はその理想の高さに惚れ込んで彼についていく決意をする。ある者は彼を陥れようとし、ある者は彼を慕い、そしてある者はその高潔さを怖れる。アマヨクという人物を中心に織り成される物語は、たんなる組織と組織が敵と味方になって戦うという単純な構造ではなく、そのなかで生きる人たちの姿を描き出すことにも成功している。だが、そのなかにあってアマヨク自身がこのうえなく孤独に映る――少なくとも親しい友人がいるように見えないのは、彼がある意味で人々の理想そのものだからに他ならない。彼を尊敬する者はいる。あるいは不倶戴天の敵ととらえる者もいる。だが、本書においてアマヨクと対等な者は、じつは誰ひとりとしていないのだ。そんな孤高のアマヨクが、物語の最後にどのような結末を迎えることになるのか――その理想の果てに何が待ち構えているのか、ぜひともたしかめてもらいたい。(2011.04.03)

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