【新潮社】
『イラクサ』

アリス・マンロー著/小竹由美子訳 



 人は誰でも幸せになりたいと思うものだが、どんなふうに生きるのがその人にとって幸せなことなのだろうかと考えたとき、そこにはけっして明確な答えなどないのだということに気づく。今が苦しければ、その苦しい今を変えたいと望む。何かを変えるためには、何らかの行動を起こさなければならない。だが、仮に行動を起こしたとしても、その行動がまっすぐその人の幸福につながっているかどうかはわからないし、もしかしたら、そのせいで自身をとりまく状況がもっと悪くなってしまう可能性だってある。良かれと思ってしたことが裏目に出てしまうというのは、人生において多々あることだし、そうなるたびに人生の皮肉に舌打ちしたくなるもなるのだが、ともするとそうした皮肉は、人を臆病にしてしまったりもする。

 やらないで後悔するよりは、やってから後悔するほうがいい、という考えがあるが、その背景にあるのは、ただ運命に流されるままになるよりは、自分の意思で何かを選択することのほうが大切だという思いである。だが、何かについて自分の思った事柄が、本当にまぎれもない自分自身の意思なのかどうか、じつのところ微妙なものがあるのではないか、と最近になって思うことがある。まぎれもない自分というものは、はたしてどこにあるのだろう。本当は誰もが、自分の意思の確かさに不安を感じているのではないだろうか。だが、それでも人はそんなあやふやなものを心の拠り所にして、何かひとつを選択し、それが自身の意思だと信じて行動する。もしかしたら、とふと思う。その人の意思というのは、選択や行動の後にこそついてくるものではないのか、と。

 まちがった印象を与えたくはないんですがね。楽観主義に流されないようにしなくては。ですが、どうやら思いがけない成り行きになっているようなんです。(『浮橋』より)

 けっして短くはない人生のなかで、思いがけない成り行きというのは誰もが何度か経験することだ。そこには、思いがけず良かったこともあれば、思いがけず悪かったこともある。ときには、これ以上ないほど最悪なことだってあるかもしれない。本書『イラクサ』は、表題作をふくめた九つの短編を収めた作品集であるが、これらの作品の本当の味わいを感じとることができるのは、そうした人生の酸いも甘いも噛みしめた、真の大人の読者だけと言えそうである。なぜなら、本書はけっして読者に対して親切ではないところがあるからだ。そこに書かれているのは、あくまでそのとき起きた事柄と、そのときの情景のみであって、登場人物の心理や起こった物事の背景にあるものなどは、極力省いていこうとする著者の意思が表われている。そして、だからこそ本書の短編は、短編でありながら、たとえばあるシーンを切り取ったかのような短編ではなく、ひとりの人間の――あるいは何人もの人の人生の流れを感じさせるようなボリュームをもつにいたっている。

 たとえば『恋占い』では、ジョアンナという女性が駅で家具の搬送をお願いする場面からはじまる。彼女はその後、婦人服店で上等の服を買うが、そのとき店員に、自分がもうすぐ結婚することを漏らしてしまう。相手は何度も手紙のやりとりをしているだけで、じっさいには会ったことのない男――彼女が家政婦をしていた屋敷に住むサビサの父親で、今は遠くの地にあるホテルで暮らしている――なのだが、手紙の文面から、結婚の申し込みが近いとジョアンナは感じ、ついに彼に会いに行く決心をしたのだ。だが、話が進むにつれて、その手紙の男が金のことでけっこう不義理をしていることや、そもそもジョアンナ宛てに書かれたラブレターそのものが、サビサとその友達のいたずらにすぎない、という事実が見えてくる。つまり、ジョアンナの思いはまったくの的外れなものだったのだ。

 おそらく、サビサたち当事者に罪の意識のようなものはない。それはただのいたずら、遊びにすぎないからなのだが、だからこそ感じずにはいられない人間の残酷さの一面――こうした要素は、じつはこの短編集の特長のひとつとなっていて、『浮橋』では化学療法で苦しんでいる妻をよそに、夫のほうは抗議運動やボランティアにのめり込んでおり、彼女の身のまわりの世話をする人として、劣悪な家庭環境にある子どもを迎えたりしているし、『ポスト・アンド・ビーム』のブレンダンは、妻のローナの心が自分のそれまでの家族のほうに向くことを快く思っていない。『記憶に残っていること』に登場する夫婦の仲は、けっして良好というわけではないし、『クマが山を越えてきた』のグラントは、やむを得ず老いた妻を老人養護施設に入れることにしたが、かつて大学の教授だった彼は、それまで何度も別の女性との逢瀬を重ねるような不貞をはたらいていたことがあったりする。

 こうした人々の側面について、本書のなかで何らかのレッテル付けがなされることはない。夫の不倫や、若い娘が窮屈な家を出て自由になりたいという気持ち、あるいは妻への嫉妬心などは、物語の要素としてはいかにもありがちなもののひとつではあるが、そのひとつひとつについて、私たちが理解しやすいような解釈をするのをこばむような事情がそこにはある。『クマが山を越えてきた』のグラントはたしかにいろいろな女性と逢瀬を重ねてはきたが、だからといって妻に愛情を抱いていないというわけではなく、また『ポスト・アンド・ビーム』のローナは、むしろそれまで自分が暮らしていた家族から離れたいという欲求をもちつづけ、だからこそ学者との結婚にこぎつけたふしさえある。何かを選択し、行動に移るときの人々の心は、けっして単純なものではない。それまでの自分を形成してきた過去の回顧、その行動の結果訪れる未来への期待と不安――そうした揺れ動く心の様子が、その行間からにじみ出てくる物語、それが本書の短編集である。

 何らかの行動を起こすこと、あるいは起こさないという選択もあるとして、いずれにしても人々はそれぞれの選択した人生を過ごしていく。ある人物の意外な一面を垣間見たり、思いがけない成り行きに翻弄されたり、あるいは衝撃的な出来事にぶつかったり――だが、時間を経てその人の頭によぎるのは、いずれにしてもありえなかった「if」なのかもしれない。もしかしたら、まったく違った結果になっていたかもしれない、自身の人生――流れの井戸掘削業者の息子とのつかのまの時間が、数十年後に思いがけない再会をはたすことで甦ってくる表題作『イラクサ』や、テニスに行っているあいだに自殺した夫が残した思いがけない遺言に衝撃を受ける『なぐさめ』などは、過去の回想を中心とした短編であるが、それでもなお登場人物は今という時間を生きるし、そして生きている以上、その道のりはけっして平坦というわけではない。過去と現在、そして未来を結ぶまっすぐな線が、これらの短編集のなかにはたしかにある。

 人と人との関係のなかで、どうしても起こってしまう衝突や摩擦――それは、そのときそのときを見たときには最悪のことだったり、あるいはどちらが悪いとかいった考えが前面に出てしまうものであるが、人生という長い目で見たときには、その人にとってプラスになっていたりすることもある。自分もふくめた人々の人生を、長い目で見つめることができる著者ならではの短編集を、ぜひとも楽しんでもらいたい。(2007.12.18)

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