【文藝春秋】
『葉桜の季節に君を想うということ』

歌野晶午著 



 名前そのものがもつイメージと、その名前をつけられた対象とのあいだに大きなギャップが生じると、その対象がもつ能力や資質といったものが名前のイメージに払拭されてしまい、そのことによってさまざまな悲喜劇が起こることがある。たとえばペットの猫に、そのときの体格が小さいからといって「チビ」なんて名前をつけてしまうと、その後とんでもなく大きく成長したときに、デカいのに「チビ」というギャップが生じてしまうというものだ。

 人間の価値はけっして見た目で決まるものではない。しかし、そんな理屈とは無関係に、私たちはどうしても出会ったときの第一印象や、その外見に目を奪われてしまうところがある。同じように人の名前にも、それぞれがもつ歴史的、世間的なイメージというものがあって、もしある人物について、その名前しかわかっていないような場合、私たちはどうしてもその名前がもつイメージに影響されてしまうものである。「泰造」や「庄吉」という名前には古臭いイメージがあるし、「フネ」や「トキ」ともなれば、明治か大正生まれの女性を思い浮かべてしまう。「吾作」なんて名前の人が、たとえば大蔵省のキャリアであるとはとうてい想像できないし、「政重」という名前の人が田植えをしている姿はどうにも想像しにくいものがある。私自身、いまだに「雅美」というと女性の名前というイメージがあり、じっさいに本人とお会いしたときにゴツい男の人だったりすると、やはりそのギャップに戸惑うことがあるくらいである。
 ゲートボールは老人のスポーツで、バンドを結成するのはチャラチャラした若者、ゴルフは金持ちのスポーツで、喫茶店でパフェを食べるのは若い女の子――このように、私たちはとかく先行する一般的なイメージというものに思考を束縛され、それゆえに騙されがちな生き物であるが、本書『葉桜の季節に君を想うということ』という作品ほど、そうした人間心理の危険性について思い知らされる作品は他にないと言っていいだろう。

 欲望のおもむくままに女とのセックスに励む成瀬将虎は、かつて探偵だった経験をもつなんでも屋であるが、ある日友人のキヨシが想いを寄せる女性、久高愛子から「蓬莱倶楽部」なる販売会社の調査を依頼される。先日交通事故で亡くなった久高隆一郎が、以前からこの「蓬莱倶楽部」のインチキ商品に熱を入れていたことがあり、彼の死がじつはその会社によって仕組まれた保険金狙いの殺人だったのではないか、と彼女は疑っているのだ。いっぽう、成瀬将虎は地下鉄で自殺を図ろうとした女性、麻宮さくらを助けるが、それが縁で付き合うようになってから、彼の心にはこれまでにない彼女への恋心が芽生えようとしていた……。

 本書の面白さをネタバレなしに紹介するのは、じつは非常に難しい。なぜなら、極端なことを言ってしまえば、本書の面白さはその巧妙に張り巡らされた叙述トリックこそがすべてであり、およそミステリー好きな読者の疑り深いその思考のはるか上を行く仕掛けで読者をまんまと騙し、かつその謎解きで大いに納得させ、満足させることを目的としているからである。じっさい、素直な私などはすっかり「してやられた」組に入るわけであるが、ひとつだけ述べることがあるとすれば、「蓬莱倶楽部」なる詐欺集団の存在が、本書のもつ叙述トリックの、いわば裏返し的な象徴であり、またカモフラージュとしても機能している、という点である。

 健康に関する講演会とか、健康商品の無料体験会と称して、おもに健康に危機感をもつお年寄りをひとつの場所に集め、集団催眠的なトークと雰囲気で詐欺まがいの商品を高額で売りつけるばかりでなく、そこで目をつけた客にとことん食い下がり、有り金すべてをむしりとっていく「蓬莱倶楽部」は、間違いなく本書のなかでは「悪役」に位置しており、その悪役たる「蓬莱倶楽部」の犯罪を、元探偵である成瀬将虎があばいていく。それが本書の表向きの筋書きであり、それに付随して、たとえば麻宮さくらとの純愛や、そこから派生した、将虎がまだ駆け出しの探偵だった頃のエピソードなどが添えられることで、本書の全体像が成り立っている。このとき、本書における「悪役」とは「詐欺師」、つまり嘘をついて人を騙す輩のことであり、それは「蓬莱倶楽部」を指していると私たちは信じて疑わない。だが、その悪事をあばく物語であるとしたら、「蓬莱倶楽部」の手口は詐欺の手法としてはあまりにもストレートすぎるものだ。そして、そもそもミステリーという読み物自体が、いかに読者を騙していくか、という部分に特化した物語であるとすれば、詐欺師がそのさわやかなトークの裏に悪意を隠し持っているのと同様、「蓬莱倶楽部」のわかりやすい詐欺集団の裏に、本書のミステリーとして真の謎が隠されていたとしても、不思議なことではない。

 もちろん、こうした考察は本書を読み終え、その謎を知ったからこそできることであるが、私が本書の筋を夢中で追っている様子は、あたかも「蓬莱倶楽部」の無料体験会の熱にあてられて、ついついローンの申し込み用紙にサインしてしまっている様子によく似ている。本書の叙述トリックと「蓬莱倶楽部」の存在は、そういう意味で「裏返し的な象徴」なのだ。そして本書を読み終えた読者は、同時に本書の主となる物語が、じつは「蓬莱倶楽部」の悪事をあばくということではなく、それまで派生的なものだと思われていた部分こそが主であったことに気づき、そこではじめて本書のタイトルの意味をも知ることになる。本書のミステリーとしての素晴らしさは、まさにその主従の逆転へとつながる巧妙な流れであると言えよう。

 最後に、ミステリーで騙されるのは大いに結構であるが、現実のさまざまな手口による詐欺には、本当に注意してもらいたい。「無料」という言葉は非常に魅力的であるが、およそ無料を謳うところが無料で済んだためしなど皆無である。言葉そのものがもつイメージを利用した騙しのテクニックは、ミステリーの仕掛けだけでなく、現実の世界においても充分有効なものなのだから。(2004.10.16)

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