【新潮社】
『春になったら莓を摘みに』

梨木香歩著 



 自身の青春時代のことが話題になったとき、本当に自身の体験談やそのとき思ったことなどを語るタイプと、自身の周囲にいた印象深い人のことなどを語るタイプとがいる。どちらが人間としてより優れているとか、より充実した青春を過ごしたとかいうことが、そんな安易なタイプ分けでわかるはずもないのは充分承知してはいるが、夢を実現させようとひたすら突き進み、周囲にいた人たちのことはおろか、自分自身の気持ちさえ振り返ろうとせず、いつもどこか切羽詰ったような状態にあった、そんな青春時代をおくってきた私としては、語ることが自分のことばかりという人間に対しては、まるでかつての自分の姿をまのあたりにしているかのような居心地の悪さを感じてしまう。

 ことあるごとに自分のことばかり語ろうとする、自分の存在をアピールしたがる傾向は、今も私のなかにある。それは積極的に物事にかかわっていこうとする態度だと言えば聞こえはいいが、私の場合はたんに、自己主張の激しい目立ちたがり屋なだけで、他人の気持ちなどほとんど考慮していないのだからタチが悪い。私にとって自分を前面に押し出すことは、自分以外の人たちの気持ちを考慮しないことと等しい。そして、だからこそ梨木香歩という作家が織り成す物語世界に、深く惹かれる。

 本書『春になったら莓を摘みに』は著者のエッセイ集であるが、そこに書かれていることは、自身のことというよりも、かつてイギリスに留学していたときに過ごし、現在もなお深い交流をたもっているS・ワーデンのウェスト夫人と、その下宿に集うさまざまな人たちのことや、そこから派生して起こったさまざまなことどもである。そして、本書を読み終えてまず驚いたのは、本書がエッセイであって、けっして物語ではない、という事実である。

 ともすると前科者やアラブ系、黒人といった異人種であっても、彼らが困っているという理由で部屋を貸し与えたり、ボランティアやストリートフェアといった無償の活動に誰よりも力をそそいだりする、徹底して無私でお人好しなウェスト夫人の下宿は、じつにさまざまな人たちに開かれた場所であり、著者もそこでいろいろな考えや習慣や価値観をもつ人たちと接する機会をもつ。もちろん、そうした人たちのあいだに横たわる価値観の相違は、いろいろなトラブルや衝突を生み、悩みの種を撒き散らす元となっているのだが、だからといってウェスト夫人はそうした人たちを選別し、排除するようなことをけっして行なわない。そしてそこに住まう人、訪れる人たちも、そうした事情をよく知ったうえで、他人を受け容れようとするあたたかい気配をもちながら、しかし必要以上に踏み込んだりしない適度な距離感をたもって暮らしている。

 けっして他人に無関心でも冷淡でもなく、かといって押しつけがましいほどのフレンドシップを振りまくわけでもない、その絶妙な距離のとりかたは、たしかにイギリスという国の洗練されたひとつの表情なのかもしれないが、それ以上に彼らの考え方が、ひとりの人間として洗練されているということなのだろう。たとえ、その人がもつ価値観やものの考えが理解できないとしても、ただそれだけの理由で拒絶したりせず、あくまで受け容れようという方向で接すること――それは、およそあらゆるの人間と接するときのもっとも根本的な姿勢であり、しかしともすると忘れてしまいがちな姿勢でもある。だが、そうした姿勢が維持されている空間の、なんと居心地のよさそうな雰囲気であろう。

 そういうふうに日々何かしら話題があり、食事時には誰かが何かを作り誰かがそれにプラスアルファし、誰かが皿を片づける。
 ――なんてピースフルで静かで思いやりに満ちた美しい生活。完璧なトライアングル。

 あるいは、これは著者が意識して行なっていることなのかもしれないが、本書には著者自身の両親や親族のことについては、いっさい記述されていない。それだけ、ウェスト夫人をはじめとするイギリスでの生活やそこに住む人々との交流が、著者の考え方に大きな影響をあたえたということなのだろう。じっさい、エッセイのなかでの著者は、けっして自分を前面に押し出すようなことはせず、必ず一歩引いた場所から物事を捉えていく、という姿勢を崩さないし、著者が訪れる場所も、たとえばクウェーカー教徒が運営している宿泊施設やアメリカのプライオリ・マナー(一般の館を下宿や宿泊場所として貸し与えている施設のこと)など、いずれもウェスト夫人の下宿先と雰囲気がよく似た場所が多い。なにより、本書のなかには『からくりからくさ』『西の魔女が死んだ』など、著者の小説の残滓があちこちにちりばめられており、本書に書かれた経験が、まさに今日の著者とその作品を生み出した原点なのだとあらためて思い知らされる。

 戦争のこと、人種差別のこと、宗教のこと、自閉症などの障害をかかえた人たちの問題など、けっこう重いテーマが取り上げられているところもあるが、そうした問題に対して発する著者の意見は、自己主張というよりは、むしろ祈りのようにひかえめで、そして静かなものである。普通の人であれば見過ごしてしまいそうな、ちょっとした気配や自然の姿、そしてときには、そうしたものを超越した、不思議なものの気配――本書はまさにそうしたものに気づかせてくれるエッセイであり、私が上で「物語ではない」ことに驚いたと書いたのも、そうした理由によるものである。

 私たち人間には想像力があり、想像力は他者との共感能力を生む。だが、相手の対場になって物事を考えることの、なんと難しいことか。自分のことをわかってほしい、相手のこともわかってあげたい、でもそれがどうしてもできない――そんな矛盾や葛藤をかかえながらも、それでもなお理屈ではなく他者を受け容れようとする姿勢、そんな人たちの心の強さが、本書のなかにはたしかにある。(2005.01.29)

ホームへ