【東京創元社】
『ハルさん』

藤野恵美著 



 ある人がなぜ今そのようにあるのか、という命題は、よくよく考えれば相当にラディカルな要素を含んでいる。たとえばある犯罪が発生したときに、私たちが犯人に対して追及するのは大抵、そうした犯罪を起こしてしまった動機の部分であるが、この「動機」というものを突きつめていくと、かならずその人の人生における生き様へとたどり着くことになる。同じ人間でありながら、犯罪行為に走ってしまう人間とそうでない人間がいる。その違いがいったいどこから来るのか、ということを考えるためには、たんに起こった事件の表層をなぞるだけでは見えてこない部分があるからだ。

 ミステリーにおいて、その「動機」に重点が置かれる作品の面白さは、まさにその人物の人間性に触れることの面白さだと言うことができる。ただの「犯人」という記号ではなく、私たちと同じ血の通った人間として相手をとらえ、理解しようと努めること――そこには、あるいは相手に対する嫌悪感がますます募るだけであるかもしれないし、あるいは相手への同情がかきたてられる場合もあるが、そうした感情面の変質は、ミステリーの謎解きに求められる客観性とはまた異なる意味で、私たち読者がおおいに求めているもののひとつである。

 今回紹介する本書『ハルさん』は、ひとり娘の結婚式に向かう父親の物語である。それだけをとらえるなら、いかにもどこにでもありえそうな、ごくありふれた情景のひとつを書いたものでしかない。しかしながら、そこに以下のような疑問を提示することで、他ならぬ春日部晴彦にとって深い意味をもつ、「動機」探しのミステリーとして本書は成立することになる。

 それでも……、ハルさんは胸の奥に、釈然としない気持ちを抱えていた。
(どうして、ふうちゃんは、結婚を……)

 この春日部晴彦という人物は、ビスクドールなどを製作する人形作家という職業に従事している。特定の会社に属しているわけではなく、フリーの立場にいて、仕事場も自宅にあるのだが、そこにはもともと人形作りが好きだという意思はもちろんあるものの、人づきあいがあまり得意ではなく、自分というものをあまり強く押し出すことができないという奥手な性格も大きく影響している。上述の引用部分にしても、本来であれば愚問でしかないはずなのだ。そんなのは、相手のことを愛しているからに決まっているし、本人もそれは頭のなかではわかっている。だが、それでもこうした疑問が浮かんでしまうのはどういうことなのか、というのが、言ってみれば本書におけるメインテーマ、ミステリーでいうところの「謎」の部分にあたる。そう、ひとり娘のふうちゃんこと風里がなぜ結婚するのかという疑問は、そのまま晴彦がどのように彼女を育ててきたのか、彼が娘のことをどんなふうに思っているのかという疑問につながっていくものでもある。

 本書の冒頭において、晴彦が墓参りをしてから結婚式場へ向かうという流れからもわかるように、彼の配偶者たる瑠璃子は、風里がまだ幼いころに他界してしまっている。以来、晴彦は男手ひとつで娘を育ててきたことになるのだが、その過程がけっして順風満帆というわけでないことは、その性格からして想像に難くない。じっさい、全部で五つの章で構成されている本書では、晴彦が過去を回想するという形で、風里の成長過程において起こったちょっとした「事件」のことに触れているが、それらの「事件」はじつのところ、とかく娘のことになると冷静さを失い、取り乱してしまう晴彦が事を大きくしているのが大半だったりする。

 父親という意味では少しばかり頼りない晴彦の立場を、まるで象徴しているかのような要素として、本書のタイトルにもなっている「ハルさん」という呼び方がある。これは言うまでもなく晴彦を指す呼び名であり、彼の人形をプロデュースしている浪漫堂のオーナーや瑠璃子など、彼をよく知る人たちのあいだではよく使われているのだが、幼い頃の風里もまた、父親の晴彦を「ハルさん」と呼んでいるのだ。そして晴彦のほうもまた、娘のそうした呼び方について無理に変えさせようという気はなさそうである。娘の自主性を尊重すると言えば聞こえはいいが、見方を変えれば、晴彦の父親としての自覚、娘の父親でありつづけるという一種の覚悟について、もう一歩踏み込むことができずにいる男性像を浮き彫りにしていると言える。

 とはいえ、それは晴彦の娘に対する愛情が薄いということを意味するわけではない。むしろその愛情が深すぎて、空回りしてしまうことが大半だったりする彼に、娘が絡む「事件」を解決する探偵役を担うのは荷が重い。言うまでもなく、探偵は事件とは何のかかわりもない第三者の立場にいるべきであるのだが、こと本書にかんしては、そうした常識がうまく当てはまるわけでないという事情があるからだ。風里の気質についてよく知っているという前提でありながら、かつ娘のことをふくめたそのときの状況を客観視できるだけの距離を保つことができる人――死んだはずの瑠璃子の声が、まるで手助けしてくれるかのように晴彦を「事件」の解決に導いていくという本書の大きな特長は、ともすると荒唐無稽な話のように思われるかもしれないのだが、じつは上述の条件を満たすという意味では、このうえない適任者でもあるのだ。そしてそうであるがゆえに、本書はひとつの物語としてきちんと成立している。

(瑠璃子さんは、信じてるんだね)
(信じてるっていうか……、ちょっと頭を使って考えれば、わかることよ)
(僕には無理だよ。僕はぼんやりしていて、瑠璃子さんみたいに頭が切れるわけじゃないから)

 大切な娘であるがゆえに、晴彦の心配の種は尽きない。ちゃんと良い子に育っているかどうか、学校でいじめに遭ってないか、突然家からいなくなったりしないかどうか――それこそ自分がつくる人形のように、部屋のなかに閉じ込めて、手の届くところに置いておけるならいいのかもしれない。だが言うまでもないことだが、子どもというのは成長していくものであり、それにともなって、親の手からは離れていってしまうものでもある。だが、他ならぬ親子として過ごした時間そのものはけっしてなくなるわけではないし、また良くも悪くも子どもの生き方にも影響をおよぼしていく。本書をつうじて、私たち読者は晴彦がどのようにして風里を育てていったのか、そして風里がどんなふうに成長していったのかを追うことができる。そしてその過程は、必然的に本書の大きな「謎」である彼女の結婚へとつながっている。まさに「家族」であるからこそ成立するミステリーを、ぜひ楽しんでもらいたい。(2014.03.03)

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