【講談社】
『花腐し』

松浦寿輝著 
第123回芥川賞受賞作 



 例えば、知らないうちに擦り切れてしまっている靴のかかとのことを考える。人間の足と地面によって削られ、消しゴムのカスのように靴のかかとからちぎれていったそのかかとのなれの果ては、いったいどこに消えてしまったのだろう。

 自然から離れ、周囲の環境を自分たちにとってのみ快適な空間につくり変えることで生きてきた私たち人間は、ある意味、汚物を撒き散らす存在だと言えなくもない。そして、その人間が何人も寄り集まって集団をつくれば、その場所は確実に汚れていく。食べ物を食い散らし、ゴミを捨て、騒音を出し、排泄をする私たち人間が年々増えているのは間違いのない事実であり、増えつづける人間を収めきれなくなった今の都会のあちこちがゴミに溢れ、見た目にも汚く感じられるのは、けっして私だけではあるまい。だが、そもそも汚染する生き物である人間たちの住む街そのものが、消しカスとなった靴のかかとのようなゴミをため込んだ、ひとつの腐敗物のかたまりだと言えなくはないだろうか。

 本書のタイトルにもなっている「花腐し」とは、万葉集の和歌である「春されば卯の花腐し……」からとったもの。せっかく咲いたきれいな花をも腐らせてしまう、じっとりと降りしきる雨のことを表現しているという。そして、その和歌が示しているように、本書のなかには多くの水のイメージ――というよりも、絡みつくような湿ったイメージと、そこからわきあがる腐敗のイメージがある。

 栩谷は三十ではじめた小さなデザイン事務所の経営者だったが、彼の共同経営者だった大学時代の友人のずさんな経理のせいで、知らないうちに多重債務を抱え込むことになり、明日にも会社は倒産、妻の祥子を十数年前に水難事故でなくして以来、彼のすべてであったものを、彼はまさにうしなおうとしていた。そんな彼の債権者のひとりである小坂という男が、栩谷に妙な依頼をする。新宿の大久保にある古いアパートから出て行こうとしない男を立ち退かせてほしい――降りしきる雨の中、その水のイメージに思いがけず蘇ってきた死んだ祥子の思い出に戸惑いを覚えつつ、栩谷はひとり、そのアパートへと向かう。

 本書の中では、常に雨が降りつづいている。伊関という陰気な男が居座っている古びたアパート、春をひさぐ女たち、近代的な高層ビルや、その影の中にひっそりとたたずむ繁華街、そこに渦巻くさまざまな人間の情念、そして栩谷という名の、くたびれた中年男そのもの――そのすべてを腐らせようとするかのように。そこにあるのは徹底した負のイメージ、けっして何ものも生み出すことのない、自然からかけ離れた世界のイメージであるが、面白いことに、人工物によって築かれた世界のなかで、ただひとつ、降りしきる雨のみが自然の産物なのである。

 言葉を発明し、自分たちの文明を発展させていった人類は、じつにさまざまなものをつくり出し、そのことによって豊かな社会を築いてきたと信じているが、私たちが生み出したものは、何も目に見えるものばかりではない。目に見えないもの、実体のないもの――たとえば時間、感情、意識や無意識、心といったものにもわざわざ名前をつけ、あたかもそういったものが存在するかのように思い込んでいる。立ち退きを迫る栩谷をアパートの中に招き入れた伊関は、そうした人間が名づけたものを「怪異なお化け」と呼んでいる。

 これですよ。この新宿。天をつく高層ビルあり、ホームレスのダンボール小屋あり、ごちゃごちゃした地下街あり、官庁あり、キャバレーあり、床屋もあり花屋もあり蕎麦屋もあり、その他もろもろが集まって、無数のお化けが寄り集まって途方もない巨大お化けみたいなものになってるわけじゃない。

 本書のなかに溢れるさまざまな人工物をまのあたりにするにつけ、私たちは思わずにはいられない、私たち人間が生み出したものに、いったい如何程の価値があるのか、と。私たちは自然によって生み出されたものを真似て、造花をつくり、犬や猫そっくりのロボットペットをつくることはできるようになったが、それらはけっきょくのところ、本物を超えることのできない亜流でしかない。たったひとつ、私たちが生み出すことのできる生命の奇跡――自分たちの分身でもある子供は、しかしこの日本においては徐々に出生率が減少しており、それ以前に行なわれる性の営みさえ、人間は古くからひとつの商品、娯楽として切り売りすることを暗黙に了解していた。自然の中で生きることを拒否し、経済という目に見えない約束事、亡霊のような存在にがんじがらめにされてしまった私たちの姿は、たしかに伊関が言うとおり、すでに亡霊の仲間入りを果たしてしまった存在なのかもしれない。本書に治められているもうひとつの作品『ひたひたと』は、その亡霊の存在をより前面に押し出したもので、時間の概念から解放された人の記憶の残留――澱のように沈殿している影の部分がさまざまに変化しながら、何者でもないものとして物語を語る、という構成になっているのだ。

 ただ唯一の自然物である雨によって、なにもかもが腐ってゆく。私たちが長年にわたって築いてきた鉄筋コンクリートの町も、人間の文明そのものも、そして人間としての心までも……。そんな腐りゆく私たちは、いったい何者なのか、と問われれば、もはや何者でもない亡霊とでも答えるほかにあるまい。(2000.09.28)

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