【早川書房】
『女王陛下のユリシーズ号』

アリステア・マクリーン著/村上博基訳 

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 以前紹介した堀越二郎の『零戦−その誕生と栄光の記録−』を読むと、当時の日本の零戦が戦闘機としていかに並はずれた性能を有していたかを知ることができるが、同時にその戦闘機のパイロットに焦点を当てた百田尚樹の『永遠の0』を読むと、その性能を引き出すのが生身の人間であることを実感させられる。武装、航続力、空戦性能、いずれの能力も他の機体を圧倒するものを持ち合わせていた零戦だが、その性能を最大限引き出すために、その操縦者にどけだけ大きな負担をかけることになるのかという視点が、零戦には決定的に欠けていた。それは言い換えるなら、搭乗者の命はいくらでも替えがきく消耗品にすぎないということを、言外に宣言しているようなものでもある。

 人の命を消耗品にしてしまうということ――おそらくこれが戦争というものの本質であり、だからこそ避けなければならない行為だと言うことができるのだが、今回紹介する本書『女王陛下のユリシーズ号』にも、似たようなコンセプトを見いだすことができる。イギリスの巡洋艦の名前をそのタイトルに冠している本書であるが、じっさいにその焦点を当てられているのは、ユリシーズ号そのものというよりは、むしろその巡洋艦に搭乗している乗組員たちである。

 さて、これがユリシーズである。――(中略)――科学と蛮性を結合して破壊の具をうみださんとする人間のくわだての、これは目下のところ究極のものだった。完璧の戦闘機械――ただし、人間が乗り込み、それも、一糸みだれぬ円滑無比のチームワークによって操縦されるかぎりにおいてである。

 第二次世界大戦中の北大西洋を舞台とする本書において、巡洋艦ユリシーズに与えられた任務は、ドイツと交戦中のソ連を援助する物資――ここでは戦車や飛行機、およびその燃料を指している――を運ぶ輸送船団の護衛である。当時の戦局については「訳者あとがき」にくわしいが、当時のドイツ海軍は北大西洋を拠点に、Uボートをもちいたイギリス−アメリカの海上輸送網の切断を狙っており、連合国にとって北大西洋航路は大きな脅威となっていた。さらに陸上ではドイツ軍によるソ連侵攻も始まっており、ソ連に物資を届けることも喫緊の課題として挙げられていた。その一環としての今回の護衛任務であるが、艦長であるリチャード・ヴァレリーをはじめ、乗組員たちの士気はけっして高いとは言えない状態にあった。その理由は、北大西洋航路が非常な危険をともなうことももちろんだが、それ以上に今回の輸送船団の頭に「第三次」とつくことにその要因がある。そう、イギリスは過去に二度、海路によるソ連への援助物資を輸送しているのだが、その二度とも護衛艦としてユリシーズが使われていたのだ。そして今回の「第三次」輸送船団についても、引き続きユリシーズとそのクルーがあてがわれることになっていた。

 本書の冒頭では、ユリシーズの主要なメンバーが海軍本部から今回の任務を受け、それに対してクルーのひとりであるブルックルス軍医中佐が昂然と反発するシーンがある。彼の口から語られたのは、北極海という極寒の海を、いつ敵と遭遇するかもわからないという極度の緊張を持続しながら、航海をしつづけなければならないという状況が、どれだけ人を肉体的にも精神的にも疲弊させ、追いつめていくかということである。それは今回の任務に三度ユリシーズをあてがうことが、もはや正気の沙汰ではないということの表明でもあり、ある意味では上司に対する公然の反乱とさえ言えるものだ。およそ軍隊という組織のなかにおいて、この行為がどれほど重篤なものであるかを想像することは難しくはないが、本書を読み進めていくと、ブルックルスの反発もむべなるかなと納得せずにはいられないことが見えてくる。

 けっきょくのところ、ユリシーズは休むまもなく第三次援ソ高速輸送船団、FR77護衛の任に就く。そしてその道中については、とにかく「壮絶」のひと言に尽きる。ただ、ここで言う「壮絶」とは、敵であるドイツ軍との戦闘のことばかりを指しているわけではない。どんなに重装備で臨んでもものの三分も外にいられず、波飛沫が瞬時に凍って人に致命的なダメージを与えてしまうという極悪な環境はもちろん、乗組員たちのあいだでくすぶっている不満や慢性的な疲労、さらには乗組員の支柱たる艦長自身のかかえる重度の病など、ありとあらゆるものが彼らの意志をくじかんと待ち構えている状態なのだ。じっさい、ユリシーズの航海は苦難の連続であるのだが、その半分以上が北極海の大時化やちょっとした判断ミスによる事故、あるいはクルーの一部が引き起こした人災によるものであり、もしこれが万全の体制であったなら、おそらくユリシーズの運命も変わっていたのではないかと思わずにいられないほどである。

 航海が進めば進むほど絶望的な状況へと向かっていくストーリーはもちろんのこと、荒れ狂う北極海の苛酷な環境や、そんななかで長時間の激烈な任務をこなすクルーたちの心境、あるいは艦隊戦における精緻な描写など、きわめてリアルを求めたその文章の力強さにも圧倒される本書であるが、何より心打たれ、かつ大きな命題にもなってくるのは、そんな劣悪な状況において、なお任務をまっとうせんと突き進んでいくユリシーズ乗組員たちの心のうちである。戦争というのは、しばしば人間の忍耐や精神の限界を超えるような試練を強要するものであり、とくに本書におけるユリシーズではその点が顕著なのだが、文字どおり身を削り、満身創痍になりながらも、それでも任務を放棄せずにいつづける彼らを突き動かしているものは何なのか――これこそが、本書の主役が巡洋艦ではなく、そこに搭乗する人々であるという今回の書評の焦点でもある。

 言うまでもないことかもしれないが、私は戦争を経験したわけではない。それゆえに、戦争状態が日常だった頃の「常識」がどういうものなのかは、記録されたものから想像するほかないのだが、ひとつだけ言えるのは、本書で示そうとしているのは、たとえば祖国愛や家族への愛情といった、私たちの「常識」で無理やり集約させてしまってはけっして見えてこない――むしろ、そうすることでこぼれてしまう「なにか」だ。そしてその「なにか」は、彼らの置かれた状況が苛烈であればあるほど際立つものでもある。

 もし私が、この「なにか」にあえて言葉をあてるとすれば、こんな感じになるだろう。「男の矜持」――そう、本書はこのうえなく男臭い戦記小説であり、おそらく多くの現代に生きる人たちにとっては、とくに物事を損得勘定でしかとらえることのできない人たちにとっては、まったくもってと無価値なものである。だが同時に、私たちはこうした無価値なものに憧れ、またそのために命を張ることのできる生き物であることを思い知ることになる。本書はそうした作品だと言うことができる。

 死への恐怖や生への執着は、生物としての根源的な本能だ。だが本書を読むかぎりにおいて、ユリシーズの乗組員たちはすでにそうした本能的な部分さえも超越してしまっているように思える。それははたして意志の放棄であるのか、あるいは極度な訓練による反射的なものなのか――それを判断できるのは、本書を読んだものだけであり、たとえ本書を読んだとしても、私のようにそれを表現する言葉をもてないもどかしさを感じるだけかもしれない。だが、そうした言葉にできない壮絶さは、きっと読み手の心に何かの変化をもたらすに違いない。(2014.04.27)

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