【河出書房新社】
『ハローサマー、グッドバイ』

マイクル・コーニイ著/山岸真訳 



 SFを語るのに重要な要素のひとつである「センス・オブ・ワンダー」は、しばしば私たち人類の思い描く科学技術や知識、あるいは私たちの頭脳で想像しえる事象を大きく超えるものとして提示される。たとえば、SFの舞台として宇宙空間が選ばれるのは、私たちにとっての宇宙が未知の領域であり、ある種の「驚異」であるからに他ならない。むろん、だからこその「センス・オブ・ワンダー」と言えるのだが、それはあくまで私たち読者の基準であって、その世界で生き、そうした高度な技術を日常の一部として使っている者たちにとっては、ただのあたり前の環境であり、技術でしかない。

 私たちにとっての「あたり前」が、相手にとっての「あたり前」ではない。逆に、私たちにとっては不思議でならない出来事が、向こうの人たちにとっては不思議でもなんでもない、というギャップ――人間であるところの私たちの常識が通用しないという感覚を楽しむのがSFであるとするなら、今回紹介する本書『ハローサマー、グッドバイ』で展開される物語は、ずいぶんと私たち読者側に寄り添った形をとっている。言い換えれば、ごくふつうの人間たる私たちにとって、想像しやすい。地球とは異なる惑星であり、ゆえに登場するのはすべて異星人。だが、登場人物たちが人の姿かたちをしており、男女の性差をもち、そしてその舞台が多くの点で地球と似通っている、となれば、私たちはどうしたって自分の馴染みの世界観をそこにあてはめずにはいられない。

 じっさい、本書はそうしたSF的設定をほとんど意識することなく読み進めることができる。物語の主人公たるドローヴが、毎年夏の休暇を別荘で過ごすべく、両親とともに首都アリカから港町であるパラークシへとやってきて、去年ほんの少しだけ知り合った居酒屋の娘ブラウンアイズとの再会をはたす、という流れで、それだけを捉えるならば、典型的なボーイ・ミーツ・ガール的な物語である。そして、はたしてふたりの仲がどのような進展を遂げることになるのか、という点は、間違いなく本書のメインテーマではあるのだが、ここで重要になってくるのが、本書が地球を舞台とした物語ではないという要素である。

 思春期に手が届きそうな男の子がいて、女の子がいる。ふたりはお互いのことを少なからず想っているところがあり、そうなればふたりの関係がどうなるのか、そしてお互いの想いをつうじていかに成長していくか、というのが青春小説の醍醐味であり、また恋愛小説の読みどころでもある。だが、ふたりのそうした想いの妨げとなる要素もまた存在しており、まず気がつくのが、ふたりの身分的な違いという点である。

 ドローヴの父親は政府の高官、特権階級として存在する議会のなかで、広報大臣の事務局長という地位に就いている。母親はそんな高官の妻であることを何の疑問もなく受け入れており、自分の息子が一般市民と付き合うことにあまりいい顔をしない。さらに言うなら、現在その世界では敵国アスタと戦争状態にあり、食糧をはじめとする多くの物資が配給制となっているなか、ドローヴの家族は特権階級としての身分を利用して物資をある程度自由に購入できる立場にある。当然のことながら、我慢を強いられている一般市民はそんな議会側の人間に良い印象を抱いてはいない。このあたりの事情は、本書を少し読み進めていけば容易に察することができるようになっている。

 しかも今回のパラークシでの休暇は、じつのところ休暇ではなく、そこに新しく建てられた缶詰工場の調整という仕事を兼ねたものであった。その新缶詰工場は、政府のものだったのだ。政府や官僚というのは、いつの時代も、そしてどんな状況でもたいていは横暴なものであり、本書の世界においてもそれは変わらない。ブラウンアイズとの関係をつうじて一般市民側、パラークシで生活する人たちの側に寄り添いつつあったドローヴは、かねてから抱いていた両親への反抗心も相まって、高官の息子としてではなく、自分が自分であるための行動をとるようになる。

 ブラウンアイズとの恋愛要素にくわえて、ドローヴの自主独立の精神の確立といったテーマも見受けられる本書には、物語が進むにつれて、しだいに彼らの対峙すべき問題がより大きなものになっていくという構造が仕組まれている。たんにある少年少女の物語であったはずのところに、不審な事件が発生し、そこに父親が関与しているらしき政府の機密計画が絡み、さらにそれが敵国であるはずのアスタとの関係にまで及んでいく。本書の大きな特長となっている「ラストの怒涛の急展開」は、まさにそうした構造の積み重ねがあってはじめて成立するものであるが、それが「怒涛」であるために、じつは本書の世界が地球とは異なる惑星であるというSFとしての設定が生きてくることになる。

 よくよく注意深い読者でなくとも、本書がそうしたSF的要素を随所に盛り込んでおり、かつそれが物語の展開とけっして無関係でないことは容易に読み取ることができる。精神感応能力をもち、何度となくドローヴたちの危機を救ってくれた哺乳類ロリンをはじめ、一瞬で水を凍らせて獲物をとらえるおそろしい氷魔といった異星生物たち、星独自の自公転によって生じる「粘流(グルーム)」と呼ばれる自然現象、そして太陽フューと巨大惑星ラックスにまつわる神話――もし、本書がたんなる青春物語であり、恋愛物語でしかないというのであれば、こうした要素はかならずしも必要というわけではないし、そもそもSFである必要もない。さらに言うなら、ドローヴたちの本能として刻み込まれている、寒さに対する尋常でない恐怖心、それこそ冷たい、凍えるといった単語が罵倒語の代名詞となり、また寒さによって人が容易に狂気に陥る様子は、私たちには理解しがたい要素のひとつであり、いっそのこと登場人物を私たちと同じ「人間」にしてしまったほうがいいような気さえする。

 だが、それでは本書は完成された物語として成立しないことになる。くり返しになるが、こうしたさまざまな設定や要素がある種の伏線として、物語の最後に待ち構えている驚愕のラストに結びついている。まさに本書の冒頭で作者自身が書いているように、本書は「恋愛小説であり、戦争小説であり、SF小説」でもあるのだが、それ以上に、それら単独だけでは成り立たない、まさに『ハローサマー、グッドバイ』というタイトルの物語なのである。ボーイ・ミーツ・ガールで始まった小さな物語が、SFという要素を介してどこまでの広がりを見せてくれるのか、ぜひたしかめてもらいたい。(2014.12.03)

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