【集英社】
『ホテルローヤル』

桜木紫乃著 

背景色設定:

 「ロイヤルホテル」という表記はなじみがあっても、今回紹介する本書のタイトル『ホテルローヤル』という表記は、よく見るようでじつはなかなかありえない、不思議な日本語である。そもそも「ロイヤル」とは英語の「royal」から来たもので、基本は形容詞表現だ。ゆえに「ロイヤルホテル」と言えば、「王族のホテル」あるいは「(王族にふさわしい)高貴なホテル」という意味合いになるのだが、これが「ホテルローヤル」となると、たんに「ローヤル」という名前のホテルとなり、「ローヤル」とはただの名詞表現となってしまう。なんとなく偽物の王族、まがい物の高貴さという印象を抱かせてしまう本書のタイトルであるが、それはある意味で正しい。なぜなら、本書に登場する「ホテルローヤル」とは、ホテルはホテルでもラブホテルの名前であるからだ。しかもその看板は、こんな感じである。

 青いバックに黄色で縁取った赤い文字。ロゴの端はすべてくるりと巻きが入っている。『ホテルローヤル』

(『シャッターチャンス』より)

 全部で七つの短編を収めた作品集であるが、ある一作を除いては何らかの形で登場人物たちが「ホテルローヤル」とのかかわりを持っている、という意味では、一軒のラブホテルを中心とする連作短編集という捉え方も可能である。そしてラブホテルと言えば、男女がしっぽりつながるための空間であるのだが、ここで肝となるのは、その男女の関係性において「愛し合う」という前提がかならずしも必要なわけではない、という点である。

 たとえば、『本日開店』における設楽幹子の夫は観楽寺の僧侶であるが、寺を維持するために必要な檀家からのお布施を、幹子の夜のご奉仕という形で集めることが習わしとなっている。また『シャッターチャンス』の加賀屋美幸は、恋人の「再出発」という名目で、素人投稿誌へ載せるためのヌード写真を撮られることになる。『えっち屋』の雅代がアダルトグッズ販売の営業担当と性行為におよぼうとしたのは、それまでずっと自分の生活の一部としてそこにあった「ホテルローヤル」との決別という意味合いが強いし、『バブルバス』において、法事で僧侶に渡すための金を使って「ホテルローヤル」へ行こうと夫を誘った恵は、たしかに夫への愛はあったかもしれないが、その行為の中心にあったのは「愛し合う」ということよりは、いつも金に汲々としている日常を忘れられるような「特別なこと」がしたいという心境によるものである。

 自分の欲望のために、恋人の女性に五キロの減量を要求したり、廃墟となった「ホテルローヤル」に連れ込んだりする『シャッターチャンス』をはじめ、全体をとおして男の女に対する身勝手さが目立つ作品の多い本書であるが、では女性側は純粋に、男に対して愛情をいだいているのかというと、必ずしもそう言い切れないところがある。そのあたりの心情について、本書のなかで明確に表現されているわけではないのだが、それでも本書を読み進めていくと、男が男の都合で動いているのと同じように、女のほうも女独自の都合を抱えているような部分が仄見えてくる。

 本書に登場する女性たちは、けっして容姿端麗な美人というわけではない。むしろ十人並み以下の容貌であることが多く、またそれゆえに自分にとって恋愛や情愛といった感情は縁遠いもの、という意識が強かったりする。彼女たちにとって性行為というのは、あくまで奉仕や労働の一部であり、それ以上でもそれ以下でもないものなのだ。

 だが、そこに思いがけず快楽という情念が生まれる瞬間が訪れる。そしてその不意打ちのような情念は、彼女たちを少なからず困惑させることになる。

 あれから今の今まで、セックスしたいと思ったことがなかった。それは客がするものであって自分とは無関係な行為になっていた。結果、粘膜を擦りあって何が気持ちいいのかわからないまま二十九だ。

(『えっち屋』より)

 女性にとっての性行為は、そこに相手との深いつながり、特別な思いの共有といったものがなければ、ただの苦痛をともなう行為でしかない。そして「ホテルローヤル」という名の、まがい物っぽいラブホテルが象徴するように、本書に登場する男女にとって、お互いの気持ちがたしかに通じ合うといった感情は、決定的にすれ違う運命にある。つながっているようでいて、つながっていない男女の関係――ほんの一瞬つながったと思ったら、次の瞬間にはもう距離を置かれてしまう。何より深刻なのは、それことを重々承知していたはずなのに、それでもなお本書の登場人物たちは、その幻想を捨てきれずにいるという事実だ。だからこそ本書で描かれる男女の関係は、どこかうら寂しい。まるで、かつてその部屋で行なわれた性行為のよすがをかすかに残したまま廃墟と化した「ホテルローヤル」のように。

 本書は一種の連作短編集ではあるが、作品の並び順がそのまま時間の経過とつながっているのではなく、むしろ後の作品になるほど時間を逆行することになる。ゆえに本書の最初の作品である『シャッターチャンス』では廃墟と化している「ホテルローヤル」も、『バブルバス』の時代ではまだラブホテルとして営業しているという状態である。そして最後に掲載されている『ギフト』では、田中大吉という男がまさに「ホテルローヤル」を建てようと決意する時代にまで時間が遡り、そこでこの作品集は完結することになる。そしてこの短編を読み終えたとき、まだ建てられていない「ホテルローヤル」の行く末をすでに知っている私たち読者は、まさに夢に溺れるこの男の運命に、そして多くの男女のすれ違いを見ていくことになるラブホテルに、言葉にできない思いを抱かずにはいられない。

 人と人との関係、とくに男と女の関係というのは、単純そうでありながらこのうえなく複雑で、理解できたと思った次の瞬間には、またわからなくなってしまうということの繰り返しでしかない。だが、それでもひとりでは生きられない私たち人間は、その愚かな希望にすがって生きていくしかない。はたしてあなたは、本書に登場する男女にどのような思いを抱くことになるのだろうか。(2013.09.16)

ホームへ