【朝日新聞社】
『ドーナッツをくれる郵便局と消えゆくダイナー』

ビル・ブライソン著/高橋佳奈子訳 



 先日、ネット上で知りあったある方のホームページに立ち寄って、カウンターのキリ番をゲットした。インターネットをよくお使いの方ならおわかりかと思うが、カウンターとは、誰かがそのホームページを訪れるたびに数字をカウントしてくれる――たいていは「あなたは○○○○○人目の訪問者です」とかいう言葉とともに、トップページに置いてある絵数字のことであり、キリ番とは「キリのいい番号」、つまり「30000」とか「77777」とかいった、見た目にも美しい数字の並びを指す。私がそのホームページを訪れたとき、カウンターは40000を表示していた。つまりその瞬間、私はキリ番をゲットしていたことになるのだ。

 キリ番というと、理由はよくわからないが、なんだか得した気分になるものだ。もしかしたら、アミューズメントパークやデパートなどが、思い出したかのように行なう「来客○○○○○人記念」的なイベントと似たようなものなのかもしれない。さて、キリ番ゲットした私がその後どうなったかといえば、とくに大きなくす玉の下で写真撮影といった、気恥ずかしいイベントに引っ張り出されるようなことはなかった。たいへん嬉しいことに、その方は読書好きな私のために、二冊の本を進呈してくれたのである。ひとつは池澤夏樹の『南の島のティオ』、そしてもうひとつが、本書『ドーナッツをくれる郵便局と消えゆくダイナー』という、妙に長いタイトルの本だった。

 例によって本書のことを褒める前にぜひとも説明させてもらいたいのだが、どうしてこの話を持ち出したかと言えば、私が本書を手に入れるさいに、その本に関する予備知識をほとんど――それこそ、タイトルと著者くらいしか――持ち得なかったことを、読書のみなさんにわかってほしかったからだ。おわかりと思うが、親しい方に何かをプレゼントするというのは、なかなかに神経を使う作業でもある。とくに本の場合、よほどその人の好みを熟知していなければ、せっかくのプレゼントもかえって相手の負担になりかねないのだ。昔、学校が夏休みの宿題として生徒たちに課した「読書感想文」のことを思い出していただければ、本を贈ることの困難さが想像できるかと思う。

 結論から先に言えば、本書は面白かった。それは私の予想以上の面白さだったのだ。思わずオフ会の席で、本書のネタを披露してしまったくらいである。世の中には、およそ誰が読んでも――もちろん、当人に読む意欲があることが前提だが――広く万人に喜ばれる本というものがある。そして本書もまた、その数少ない本のなかのひとつだと断言できる。

 著者ビル・ブライソンは、イギリスで長く暮らしていたアメリカ人ジャーナリストであり、本書はそんな著者が、20年ぶりに母国アメリカに戻ってきたときの身のまわりの出来事を描いた、いわばコラム集である。だが、この「身のまわりの出来事」というのが曲者なのだ。なにせ、そこに書かれていること――つまりは著者が生活しているアメリカのことなのだが――が、あまりにも仰天すべきことだらけで、にわかにそれが真実のことなのか、判断がつきかねるところがあるからだ。

 たとえば、アメリカでは誰もが歩いて数分の場所に行くのにも車を使い、あまりに歩行者が少なすぎるため、ハイウェイをはさんだ向こう側にある店に、徒歩ではどうしてもたどり着けないという。また、理髪店で主導権をにぎっているのは理容師であり、客の言い分が反映されたためしがないそうだ。またある統計資料によれば、アメリカでは毎年40万人以上の人が椅子やソファで怪我を負い、14万人の人が自分の洋服のせいで救急車で運ばれたらしい。ほかにも、アメリカの自動車産業において、車内にカップホルダーがあるかないかでどれだけその売り上げに影響が出るかとか、所得税申告書の書式がいかに複雑怪奇であるかとか、アメリカに住んでいるとダイエットがいかに困難な道であるかとかいったことが、おおいなる皮肉と毒舌によってつづられている。

 勘違いしないでいただきたいのだが、著者はけっしてアメリカという国をけなしているわけではない。本書を読めばわかってくることだが、まるで、ただ紙を切るのにチェーンソーを持ち出してくるかのような、何をするにしても大袈裟で過剰なのに、その根本のところでお粗末なところのあるアメリカを、むしろ困った子どもを眺めているようなところがあるのだ。じっさい、アメリカは他の国にくらべれば歴史も浅く、まさに子どものような国ではあるのだが、そんな、どこかちぐはぐな――たとえば、年に一度「お客様感謝デー」と称してお客にコーヒーやドーナッツをふるまうというサービスを行なっていながら、その基本である配達の能力がお粗末極まりない郵便局のような、巨大な国への親近感に溢れていると言っていい。それは、何にしてもスマートで洗練されており、しかしどこか人情味の少ないイギリスとの対比によって、よりいっそう際立ってくることになる。

 もちろん、著者自身も最初にことわっていることだが、本書に書かれたものが、すなわちアメリカのすべてだというわけではない。本書は「アメリカを理路整然と描写する本ではない」のだ。ただ、少なくともアメリカという国がもつ一種の性質については、読者にも伝わるのではないだろうか。それは、先の郵便局の例のように、何につけ熱心で意欲的なのだが、次第にその意欲が本筋からはずれた部分で発揮されていく結果、肝心のところがお粗末になり、しかも面白いことに、誰もそのことに気がつかなくなってしまう、ということである。それは、たしかに長年外国暮らしをしていた著者だからこそ――母国を外から眺める目をもつ著者だからこそ――気づくことのできた点なのだろう。だが、それはそれで認めたうえで、私は、あくまで個人的な意見として、こんなふうにも思うのだ。おそらく、著者は漫才で言うところの「ツッコミ」役であり、アメリカに帰郷することで、あらためてアメリカという「ボケ」役の存在に気がついたのだ、と。

 ところで、本書のなかにある「日常生活のルール」というコラムでは、「今後、著者の著作についての書評は、公表される前に著者に訂正と助言を求めること」とある。私もさっそくこの書評を著者に送り、その助言を仰ぎたいところであるが、きっと転送途中で消失してしまうか、ペンタゴンが勝手に開示したあげく、再生不能にしてしまうか、あるいは著者の中途半端に賢いメーラーが自動的に削除してしまう可能性が大きいと言わなければならない。そもそも、著者が日本語に堪能だとは思えないし、私も英語には堪能ではないので、それが書評であると気づくかどうかも疑問である。そんなわけで、この書評は著者に断りもなく公開されたものであることを、この場を借りてお詫びしておく。

 最後に、もし本書に興味をもたれた方がいらっしゃれば、ぜひともこのページの下にあるボタンをクリックしてbk1か楽天ブックスの画面を呼び出し、そこで購入してもらいたい。そうすれば、私のふところもほんのわずかながら潤うことになる。(2004.07.14)

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