【祥伝社】
『LOVE』

古川日出男著 



 ここに一冊の地図帳がある。私が上京してまず買ってきた東京都の地図だ。地図というのは、はじめての土地を訪れるときや、目的地を探すには便利な道具であるが、ある場所の情報を平面上に記号化した地図は、完成した瞬間から古びていく運命にある。とうぜん、その地図帳には恵比寿ガーデンプレイスは載っていないし、地下鉄大江戸線の路線もまるごと抜け落ちている。街には大勢の人々の生活があり、それゆえに街は日々変化していくものである。クラッシュ・アンド・ビルド。それは、まぎれもない人間の営みの象徴だ。そして、一度完成してしまった地図は、その人々の営みを反映することはない。私の手元にある古い地図帳と、今現在の東京の街並みの差には、そんな人々の生活にともなう喜劇と悲劇の歳月がたしかに含まれている。

 移り変わっていく人間模様――それは、ひとつひとつの出来事を取り出してみれば、しょせんはひとりの人間がちっぽけなものであるのと同様に、ほんのささいなことでしかないのかもしれない。だが、それらが積もり積もっていくことで、ときに地図の表記に大きな変更を迫るほどの出来事へとつながっていく。ましてや無尽蔵にも思える人々の生活を抱え込んだ都会であれば、その積もりゆくエネルギーはいかばかりのものだろうと思わずにはいられない。大勢の人々で溢れかえっていながら、お互いに過度な干渉をすることなくすぎていく、冷たくてやさしい都会――本書『LOVE』という作品を読み終えて私がまず思ったのは、東京という街の、けっして地図で固定されることのないクラッシュ・アンド・ビルドをとらえ、それをそのまま物語にした、という印象である。

 目黒駅は品川区にあるんだよ、目黒区じゃない。そして品川駅は港区にある、品川区じゃない。それ、ウンチク、頭に入れたろ?
 そうだった。僕が地図で調べたんだった。これも東京の隠しごとだなあって、思ったんだった。

(『ブルー/ブルース』より)

 本書の構成について語るなら、それは四つの短編と、同じく四つの幕間とも言うべきガイドによって成り立っている。物語の舞台となるのは、現代の東京の目黒区、品川区、そして港区。いずれの短編においても、一人称の語り手が、物語の登場人物のひとりを二人称として語りかける、という体裁をとっている。そして、二人称の対象が誰なのかというのは、物語の比較的早い段階でわかってくるのだが、同じく登場人物のひとりである一人称が誰なのかという点については、物語の最後になるまでわからない。二人称による物語の進行、という点では、前作の『ベルカ、吠えないのか?』を髣髴とさせるものがあり、また登場人物に対する思い入れが深くなく、それらの登場人物があくまで物語の要素として、さながら群集劇のごとくひとつの物語を展開していくという特長も似通ったものがある。これら四つの短編は完全に独立したものではなく、より深いところでひとつにつながってはいるが、そのつながりはけっして強固なものではない。そういう意味では連作短編集という側面ももっていると言えるのだが、本書において本当に重要なのは、本書の短編において二人称で語られる人物、および四つの短編にまたがって登場する人物たちが共通してもっている、ある資質なのだ。

 それは、彼らがいずれも何かを探し求める者、つまり探究者としての資質をもっている、という共通点である。

 たとえば、『ハート/ハーツ』のなかで二人称として語られるカナシーは、ユウタという少年に「目の資質」のことを指摘される。物事を正しく見ることのできる目――彼女はその資質に導かれるように、誰にも気づかれないはずの場所にいるミュージシャンとの邂逅をはたす。『ブルー/ブルース』の小学生ジャキは、都バスの路線に詳しいある女の子からクイズを出題され、その解答をもとめて品川区を愛用の自転車とともにさすらうことになる。『ワード/ワーズ』の会社員で、ホモセクシャルであることを隠しているボーイは、それゆえに自分が素直になることのできる「愛の部屋」を探し求めているし、『キャッター/キャッターズ』のオリエンタは、社員に解雇を言い渡すという仕事へのストレスから、五反田界隈に住み着いているあらゆる猫を探し出してはデータベースに登録するという作業に没頭する。

 いずれの短編においても、番地まで特定してしまうほどの細かい住所や建物の固有名詞を満載し、さながらガイドマップのごときリアリティをかもし出している本書であるが、にもかかわらず、一連の出来事を介して語られるそこは、読者にとってまるで別世界のような雰囲気を漂わせるものである。そして同時に、だからこそ「古川日出男」的なものを感じさせる。なんの変哲もない、誰もが日常的に接しているはずの現実――だが著者の手にかかると、たちまちそこに魅力的な物語が立ち現われてくることになる。私はこの書評の冒頭で地図の話をしたが、ただ漫然と地図を眺めるだけではけっして見えてこない何かが、本書のなかにはたしかにあるのだ。そして、そもそも地図とは、宝物のありかを示したりするように、何かを探し求める人たちにとっては、その目的のものを指し示す象徴でもある。

 そうした探究者としての要素をもっとも如実に表現しているが、本書の最後に収められた短編『キャッター/キャッターズ』だ。

 たまたま猫に会う人間は、キャット・ウォッチャーにすぎない。ただの野猫観察者だ。しかし、タンビョウシャは――猫を探すと書いて、探猫の、探猫者は、もはやキャット・ウォッチャーではない。キャッターだ。

 本書における猫の役割は、その存在もさることながら、自分たちを探究する者たちの存在を浮き上がらせるという点で、非常に重要なものだ。そして、彼らを含める探究者たちがいなければ、あるいは本書のなかで展開した物語は、誰の目にも触れることなく消えてしまっていたかもしれない。そういう意味では、本書は猫の視点によって書かれた探究者たちの物語であり、まさに拡散していく物語の断片をとらえていこうとする作品だと言うことができる。そして、『沈黙』『アビシニアン』が対になっているように、『ベルカ、吠えないのか?』と本書は、たしかに対になる作品である。

 短編に登場する人たちは、あるいは何かを――ときには自身の命さえも失い、あるいは何かを手に入れている。それは、人間関係におけるクラッシュ・アンド・ビルド、喪失と再生の物語でもある。はたして本書は、探究者たちの姿を描くことで何を再生させようとしているのだろうか。(2006.10.22)

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