【早川書房】
『ミレニアム1』
−ドラゴン・タトゥーの女−

スティーグ・ラーソン著/ヘレンハルメ美穂・岩澤雅利訳 

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 小説というのは多かれ少なかれ人と人との関係を描くものであるが、たんなる関係ではなく「人と人」という前提を置く以上、お互いがお互いを自分と同じ人間であると認めることが第一にあるべきなのは言うまでもない。それは、個々人としての得手不得手や、さまざまな身体的、能力的差異、あるいはそれぞれの価値観の違いといったものはあるものの、それを理由にどちらか一方が優れているとか、劣っているとかいったものの見方を人間関係のなかに持ち込まない、ということでもある。だが現実問題として、そうした大原則がかならずしも成立しているわけでないところが、人間関係の複雑怪奇なところでもある。

 たとえば男女の関係で言うなら、力の差という意味では男のほうが上であることが圧倒的に多い。他にも年齢の差や経験の有無、あるいは財力や社会的地位の差など、人はとかく自分と他者とを比較し、優劣をつけたがるところがあるし、誰しも弱い立場よりは、強い立場にいたいと望まずにはいられない。何かにつけて弱者を生み出し、相対的に自身の立場を上に置くことで安心したい、という人間の心理構造は、学校におけるいじめの問題をはじめ、私たちの社会がかかえる大きな問題のひとつでもある。そしてそうした人間関係は、ある意味で単純でわかりやすいものではあるが、それでは他の動物たちが築く関係となんら違いがなくなってしまう。人間がまぎれもない人間だからこそ築くことができる、人と人との関係――本書『ミレニアム1−ドラゴン・タトゥーの女−』において、語るべき要素は数多くあるが、本書を読み終えてとくに印象深く感じたのは、登場人物たちの織り成すじつに色とりどりで、またある意味で特異な人間関係である。

「ぼくが思うに、友情はふたつのものに基づいている」彼は唐突に語りはじめた。「敬意と信頼だ。どちらも欠けてはいけない。しかも双方がそれを持っていないといけない。たとえ敬意を抱いていても、信頼していなかったら、友情は壊れてしまう」

 雑誌「ミレニアム」の発行責任者であり、同時に経済ジャーナリストとして過去に多くの違法行為を暴露してきたミカエル・ブルムクヴィストは、窮地に陥っていた。とある大物企業家の違法行為を糾弾する記事を「ミレニアム」に掲載したところ、逆に名誉毀損の訴訟を起こされ、裁判の結果、有罪判決を受けてしまったのだ。これまで常に入念な調査のもと、産業界ににらみをきかせるモラルの番人としての立場を貫いてきた彼にしてはありえない失態であるが、そんな彼に興味を持ち、身辺調査を行なっている人物がいた。ヘンリック・ヴァンケル――かつてはスウェーデンを代表するほどの隆盛を誇った一大企業、ヴァンケル・グループの前会長は、調査の結果ミカエルがジャーナリストとして信頼に足る人物であると判断したうえで、「ミレニアム」から一時的に身を引く形となった彼との接触をはかる。その目的は、四十年近く前にヴァンケル一族が住むヘーデビー島から忽然と姿を消した一族のひとり、ハリエット・ヴァンケルの事件を調査してもらうことにあった。ヘンリックは、彼女が一族の誰かに殺されたという確信をいだいており、誰が犯人なのか、その真相を知ることに長い年月を費やしていた……。

 もし真相を解明することができれば、ミカエルをまんまと出し抜いた企業家、ヴェンネルストレムの詐欺行為を裏づける資料を提供するというヘンリックの申し出は、なんとも奇妙で、かつ常識はずれなものであったものの、「ミレニアム」の陥った窮地をなんとか打開したいという思いと、ヴァンケル一族の一筋ならではいかない入り組んだ人間関係、そして彼らが築いていった歴史そのものに興味を覚えたこともあり、彼はその申し出を受け入れることを決意する。はたして、ハリエット失踪の真相は解明できるのか、そして「ミレニアム」の命運は?

 ハリエット失踪当時の状況が、ヘーデビー島と本土とを結ぶ橋のうえで起きた交通事故のせいで一時的に孤島状態になっており、そういう意味で古典的ミステリーとしての流れを継承しているとも言える本書において、ミカエルはいわば探偵役としてその事件に挑むことになるわけだが、彼のスタンスはあくまで経済ジャーナリストであって、「名探偵カッレくん」という、業界内でなかば定着してしまっているあだ名で呼ばれることを快く思っていない。じっさい、彼が真相究明のために行なっていくのは、残された資料をひとつひとつ検証し、関係者から話を聞いて情報を収集しては、その内容を吟味していくという、ジャーナリストとしてきわめて正統的なものであり、探偵独自の鋭い洞察力や、真相を見抜く直観といったものに恵まれているわけではない。むしろ、ミカエルの身辺調査を請け負い、後には彼とともに事件の真相を探るパートナーとなる女性調査員、リスベット・サランデルのほうが、その奇抜な格好といい、人並みはずれた記憶力やコンピュータへのハッキング技術といい、探偵というキャラクターにふさわしい特質を備えていると言える。

 巨悪に立ち向かうジャーナリストというエンターテイメント性や北欧の国スウェーデンの自然環境、一大企業を担ってきた一族の歴史、上述したミステリーとしての魅力、あるいは今もなお改善されない女性への蔑視や差別、弱者への性的虐待といった社会問題等、じつにさまざまなテーマがふんだんに盛り込まれている本書で、それだけでも充分に読み応えのある作品であることは間違いないが、なによりも興味深いのは、本書の中心人物であるミカエルとリスベット、このふたりの人物を特徴づけているのが、既存の人間社会の常識に縛られることのない、ある種のアブノーマルさを備えた人間関係にあるという点だ。

 たとえばリスベットの場合、社会への適応という意味ではあきらかに大きな問題をかかえており、成人してもなお特別代理人によって管理されるという境遇をかかえている。本書のなかで、およそ他人と協調することができず、その人生において人間関係といえば、侮蔑されること、抑圧されることばかりだったという彼女の過去が語られるが、それはごく一部の人たちを除き、誰も彼女をまともな人間として扱ってこなかったということだ。リスベットが優秀なハッカーとして個人情報を暴き出し、それゆえに第一級の調査員たりえているのも、人より多くの情報を得ることで、自分の優位性を確立したいという自己防衛に基づくものだという見方もできる。

 いっぽうのミカエルの場合、「ミレニアム」の共同経営者でもあるエリカとの関係がある。二十年近く付き合っており、ときに夜のベットをともにするような関係をつづけながら、恋人というわけでもなく、また夫婦となることを望んでいるわけでもない。そもそもエリカには正式な夫がいるのだが、ではエリカにとってミカエルが愛人なのかと言えば、そういうわけでもない。その関係は、社会の常識と照らし合わせればけっして健全なものとは言えないものであるが、そうした常識などはなから問題としていない部分で、ふたりの関係はできあがっている。本書の構造として面白いのは、リスベットやミカエルなど、けっして健全とは言いがたい人間関係をもつ者たちが、いっけんするときわめて健全な人間関係を築いているように見える者たちの、その裏に隠された歪んだ欲望や負の感情を暴き立てていくという展開であり、そうした構造をとおして、真の人間関係――まぎれもない人と人との結びつきがどういうものであるのかを、私たち読者はあらためて考えずにはいられない。

 結婚して夫婦となった者たちであっても、お互いの心が通じ合っていないことがある。親子であっても憎みあい、いがみ合う関係などありふれたものであるのかもしれないが、既存の人間関係――「夫婦」「親子」といった言葉でひとくくりにされてしまうことで、本来の人間関係が見えなくなっていることが、現代を生きる私たちのかかえる大きな問題のひとつである。同じ事件の真相を追うという関係をつうじて、ミカエルとリスベットが築いていくことになる人間関係が、どのような色彩を帯びるようになるのかが、あるいは本書のもっとも注目すべき点であるのかもしれない。(2010.04.14)

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