【講談社】
『密やかな結晶』

小川洋子著 

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 たとえば、私が小さいころによく遊んでいた小さな公園――そこは草ぼうぼうで遊具も申し訳程度にしか置かれていない、公園というよりは空き地に近いような場所だったが、もうずいぶん前に駐車場に変わってしまっている。不思議なもので、いったん公園が駐車場に変わってしまうと、しだいにそこが駐車場であるという圧倒的な事実がまぎれもないリアルとして浸透してしまい、過去にかつてあったはずの公園の面影を思い出すことすら難しくなってくるのだが、それでも私の過去の記憶のなかには、その場所がかつて公園であり、友だちと一緒に遊んだ場所であるというかすかな残滓を今も感じ取ることができるのだ。

 自分のこれまでの人生を振り返ってみたときに、たしかに手に入れたものもあるが、どちらかといえば多くのものが私の目の前から消え去っていくことのほうが多いように思ってしまうのは、私という人間がそれなりの年月を生き抜いてきた、ということでもあるのだろう。それでなくとも、世のなかは常に変化することを要求し、ほんの数刻も同じままではいてくれないし、私たちにしても、ずっと同じ場所に立ち止まっているわけにもいかない。無くなったものや消えてしまったものに、いつまでもこだわっていては、前に進むことはできない。だが、そうした過去の残滓をあくまで「過去のもの」として放り出してしまうことは、まぎれもない今とつながっている過去の自分を否定することにつながってしまう。

 小川洋子という作家は、そんなふうにして消え去っていくものや無くなっていくもの、今はもう人々の記憶のなかにしか存在しない物や場所といったものを慈しみ、愛でるような物語を書いていく方である。著書の中ではポジティヴなものに入る『博士の愛した数式』ですら、80分しか記憶を保てない数学博士の過去の記憶が大きなテーマとなっているのだが、今回紹介する本書『密やかな結晶』は、その著者のテーマがもっとも美しく結実した作品だと言うことができる。

 わたしも含めて、みんな実に簡単にいろいろなことを忘れることができる。まるでここは、広がってゆく空白の海の上でしか、浮かんでいることのできない島のようだ。

 本書の舞台となる島――語り手の女性によってただ「島」とだけ呼ばれるその場所では、「消滅」と言われる現象がしばしば発生する。「消滅」といっても、ある事物が文字どおりこの世界から消えてしまうわけではなく、ある事物がその世界において「ある事物」であるための関連性が断たれてしまう、と説明したほうがより正確だ。たとえば「香水」が消滅すると、人々にとってかつて「香水」だったモノは、ただの匂いのついた水以上の意味合いを見出すことができなくなる。つまり、人々の心から「香水」という言葉によって了解されていたさまざまな共通認識――そこに付随する個人的な思い出もふくめて、そのいっさいが消え去ってしまうという現象を指して「消滅」と呼んでいるのである。

 世界というものは、とくに私たち人間が固有の名前をつけ、そこにあると認識するというはたらきに関係なく、そこにありつづけるものであるが、人間の認識の外にあるもの、という意味では、名づけられないものは何物でもない混沌とした、形容しようのないものへと成り下がってしまう。そして私たちは、そんな混沌としたものをそのまま受け入れることができるほど心が強いわけではない。それゆえに、人々は一度「消滅」したものを、手元に置いておくことに強い抵抗を感じ、ほとんど自主的にそれを手放してしまうことになる。ある朝に目覚めると、島のなかの何かが「消滅」し、そのことで島は一時的にざわめきたつ。とくに、「消滅」したものと個人的に深い関係をもっていた人ほど、その心の変化に戸惑いを見せたりするが、「消滅」の効果は完璧であり、やがて人々はそれがない状態を静かに受け入れ、以前と同じように生きていくようになる。

 私たちの意思とは関係のないところで、まるで自然現象であるかのように発生する「消滅」――小説家としてひっそりと暮らしている語り手の「わたし」もまた、その影響から逃れられない運命にあるわけだが、ごく例外的に、「消滅」の後も心からその記憶を失くさないでいられる人たちがいることを知っている。ひとりは彼女の母親。彫刻家だった彼女は、「消滅」によって手放すべきものたちをこっそりと隠し持っていて、まだ幼かった「わたし」にそれらにまつわる物語を語って聞かせてくれたのだが、ある日、「消滅」を完全なものとするために活動している秘密警察に連行され、そのまま帰らぬ人となってしまった。そしてもうひとりが、「わたし」の担当編集者となっているR氏である。

 それまでの記憶をことごとくおぼえていることが、もし秘密警察に知られれば危険分子として連行されてしまう。彼らの「記憶狩り」からR氏を守るため、元フェリーの整備士だった老人と協力して、R氏を「わたし」の家にある隠し部屋にかくまう決意をする、というふうに物語は進んでいくのだが、本書を読み進めていくかぎりにおいて、この物語におよそ都合の良いハッピーエンドは待っていないだろうと容易に読み解くことができる。なにせ「消滅」は秘密警察が引き起こしているものではなく、自然現象に近いものであり、たとえ秘密警察の目をあざむくことはできたとしても、「消滅」という現象そのものをどうにかすることは、本書のなかで誰ひとりとしてできないことである。そして、語り手の住む島において、何かが消滅するスピードは、新しい何かが生まれてくるスピードよりも、はるかに早い。

 「消滅」の影響を受けて、少しずつその濃度が薄くなっていくような世界に属している語り手と、「消滅」の影響を受けず、しなやかで強固な記憶を保ち続けているR氏とのあいだには、大きな隔たりがある。それは、お互いのことを理解したいと望みながらも、決定的な部分で何かを共有することができないという諦念にも似た気持ちから生じる境目である。そして、そんなふたりの状態を象徴するかのように、島の世界では徐々に何かが消滅して空白が多くなっていくいっぽうで、R氏が匿われている小さな隠し部屋の空気はどんどん濃密になっていく。ふたりの関係は、言ってみればその浸透圧によってお互いの世界に多少の影響をおよぼすかもしれないが、それはあくまでふたりが関わりあっているときだけのことであり、離れてしまえばすぐにお互いが属する世界に染まってしまうという、じつにはかないものでしかない。

 「消滅」という、どうあがいても変えられない運命に対して、それでも何かが変わるかもしれないというわずかな可能性を頼みに、自身の属する世界を変えていこうとする密やかな努力が、本書のなかにはたしかに書かれている。物語の途中で小説が「消滅」したときも、語り手はR氏の励ましによって、なんとか書きかけの小説を完成させようと努力する。もっとも、それらの努力が大きな形となって立ち現れてくることはないし、語り手も――そしておそらくは、R氏もまた――そんな奇跡を期待してはいない。しかしながら、それはすべての努力がむなしいということではなく、だからこそそうしたささやかな努力のありようが美しいのだと本書は雄弁に物語るのである。

 なにもかもがただ消えていくだけの世界というのは、非常にわかりやすい比喩の世界であり、その比喩の形容元には私たちの生きる世界がつながっている。そう、本書はけっしておとぎ話などではないのだ。そしてそんな不条理極まりない世界のなかで、語り手の「わたし」とR氏とのあいだに、いったい何を残すことができるのか、その密やかな関係のなかで生み出された結晶の形をぜひたしかめてもらいたい。(2012.09.18)

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