【新潮社】
『海峡の光』

辻仁成著 
第116回芥川賞受賞作 



 あたり前のことのように思うかもしれないが、人が人に対して関心を寄せるとき、そこには必ず何らかの感情がめばえる。そしてそこから物語が生まれてくる。そのいちばん典型的な例が恋愛感情、ということになるのだろうが、逆に誰かに憎しみの感情をいだいたとしても、ベクトルは同じ方向を示していると言える。そして愛するにしろ憎むにしろ、関心を寄せた人の行動や考え方に影響を受けることから、逃れることはできない。

 本書『海峡の光』のなかで、函館少年刑務所の看守である斎藤は、かつて小学校の同級生である花井修と出会うことになる。一受刑者として刑務所に送られてきた花井は、小学校の頃、優等生だった外見とはうらはらに、狡猾なやり方で斎藤を孤立させ、執拗にいじめの対象としてきたのである。花井のその陰湿な底意地の悪さを知っている斎藤は、自分の正体を悟られないようにしながら、刑務所内でも模範囚を演じつづける花井がいつかボロを出すことを期待して観察することを決める。

 十八年という歳月は、社会的立場からも、また肉体の面においても、二人の上下関係を逆転させるには充分な時間だった。その気になれば斎藤は、看守というその権限を使ってあの頃のいじめの仕返しをすることもできたはずである。だが、斎藤はただ観察するだけである。もちろん、いまさら昔のことを持ちあげても仕方がない、という気持ちもあっただろう。だが、それだけでは片づけられない複雑な感情が斎藤のなかに見え隠れする。
 その感情の出所をさかのぼってみると、ちょうど小学校のときの、花井の急な転校のときの記憶にたどり着く。そのとき斎藤は「まるで自らの意思とは違う別の磁力」に突き動かされて、花井の乗る青函連絡船を見送るために桟橋へと出向いていた。

 花井はサラリーマンをしている彼の両親に温かく囲まれ、真新しいスーツに身を包んでは、まるで小さな英雄を気取り胸を張っていた。漁師の家で育った私とは見るからに風趣の違う過程の香りが花井家の周辺からは漂っていた。その清清しい雰囲気を見るだけでも自分の今日がいかに惨めなものかが思い知らされ、彼への反発がただの時代錯誤の嫉妬による、身分不相応の叛乱のような気がして、困惑が底無しに錯綜した。

 自分にはないものをすべて持っている花井、そして自分が一度も出たことのない土地を軽々と飛び出していける花井――そこには憎しみ以上に羨望の感情があったのを見逃すことはできない。恵まれた環境に育ち、輝かしい将来を約束されているように思えたはずの花井が、受刑者として戻ってくる事実。あるいは、と私は思う。斎藤はただ、尋ねてみたかったのではないだろうか、と。新しい世界へ向かった花井が何を手に入れ、そして何を失うことになったのかを。
 変わりたくても変われない者、そして変わることを拒否した者――ものすごい勢いで変化しつづけていく世の中に見捨てられ、あるいは見捨てた者の想いが、廃航となる青函連絡船の姿とオーバーラップする。純文学を演出しすぎている、という批判を本書の感想としてよく聞くが、登場人物たちに自分の気持ちや考えを簡単にしゃべらせてしまう小説が横行する現状において、小説全体の雰囲気からそれらを悟らせようと努めている点において、本書は評価してもいいのではないかと私は考える。

 はたして花井の目に、海峡が放つ光はどんなふうに映ったのだろう。(1999.03.19)

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