【文藝春秋】
『クライマーズ・ハイ』

横山秀夫著 



 たとえ、どれだけ好きではじめたことであっても、それを長くつづけていけるというわけではない。趣味にしろ、仕事にしろ、何かをつづけていくと、必ずどこかでその進退を決定しなければならない場面に遭遇することになる。止めるべきなのか、それともあくまで自分の信じる道を進んでいくべきなのか――そうした重要な転換期が、はたしていつ、どのような形でやってくるのか、それは誰にもわからない。そして、いざそうした重要な岐路に立たされたときに、誰もがきっちりとどちらか一方を選びとることができるというわけでもないのだ。むしろ、自分の純粋な気持ち以外のさまざまなしがらみに振り回され、あるいは自分の素直な心がわからなくなって、けりをつけるべき時期を逸してしまい、どっちつかずの気持ちのままずるずると現状を引きずってしまう人のほうが、この世には多いのではないだろうか。きっちりと何かにけりをつけることのできる潔さは、日本人がいかにも好む美徳のひとつであるが、人は誰もが強い心をもっているわけではないのだ。

 そういう意味では、本書『クライマーズ・ハイ』に登場する悠木和雅もまた、新聞記者という自身の立場について、退くことも進むこともできずに、なかば無為の日々をおくっていた人物である。物語は、57歳になった悠木が、地元山岳会の若きエース、安西燐太郎とともに一ノ倉の「衝立岩」を登りながら、17年前のある事件のことを回想するという形で進んでいく。17年前――この群馬の地に日航ジャンボ機が墜落し、520人もの死者を出したとき、悠木は地方紙を刊行する「北関東新聞」の本社で、この未曾有の事件の全権デスクとして奮闘をつづけていたが、その事件が発覚したまさにその当日、悠木は販売局に所属する安西耿一郎と、今彼が攻めようとしている「衝立岩」に行く約束をしていたのだ。

 結果としてジャンボ機は群馬県に落ちたことが判明し、悠木は約束をはたすことができなかった。だが、いかにして日航機墜落事故の記事を報道していくかで会社内のあちこちと衝突し、なかば修羅場と化したデスクで忙殺されていた悠木の耳に、その安西が意識不明の重態で病院にはこばれたという話が入る。てっきりひとりで一ノ倉に向かったとばかり思っていた安西が、深夜の2時という時間に歓楽街で倒れた――いったいなぜ安西は、そんな場所にいたのか。そして、そこで酒も飲まずに何をしていたというのか?

 衝撃的な事件と対面しているという緊張感、事故現場を踏んだ記者から送られてくる生々しい記事、組織内の微妙な力関係ときな臭い派閥抗争、そして「抜きネタ」への興奮――なにより新聞社という場に対する知識の量が半端ではなく、その豊富な知識が圧倒的な臨場感をリアルに描き出している。その部分をとってみても読み応えがあり、また安西の不可解な行動の謎を追う、という意味ではミステリーとしての要素も強い本書であるが、それ以上に注目すべきなのは、奇しくも悠木が探偵役となることで少しずつ見えてくる安西耿一郎の隠れた人物像と、それによって少しずつつながっていく、悠木と安西というふたりの人間の共通点である。

 悠木が新聞記者、とくに「事件屋」としてどっちつかずの態度に甘んじている、と上述したが、そこにはかつて、新米記者として彼の下についていた望月亮太を一人前の記者に育てられなかったばかりか、結果として自殺に近い形に追い込んでしまった、という苦い経験があった。悠木が40歳にもなって、なおデスク席をもたず、部下をもたない遊軍記者のような立場にいるのもその表われであるが、病院で意識不明のまま、生きているとも死んでいるともいえないような状態にいる安西のことを調べていくにつれて、彼がかつて将来を有望されたクライマーであったこと、そして彼もまた、クライミング中の事故でパートナーを死なせてしまった経験があることを知る。

 安西はその事故以来、山に登ることから足を洗い、北関東新聞の販売局に中途入社した。そんな彼が、かつてパートナーを失った「衝立岩」登攀に悠木を誘った――本書はなにより、日航ジャンボ機墜落事故で思いがけず引き受けることになった全権デスクの任をつうじて、そして徐々にあきらかになっていく安西の、けっして答えが返ってくることのない問いかけをつうじて、ひとりの中年記者が、それまでずっと中途半端なまま逃げていた問題に真正面から向き合い、自分なりの結論を見出すまでを描いた人間ドラマなのだ。だが、それと同時に本書は、ある組織の一員として生きることと、まぎれもない個人として生きることとのあいだに生じる摩擦や軋轢、妥協や保身といった、人間の心の奥にある暗い部分にもしっかりと視線を向けている。

 人間はひとりひとりでは弱い生き物だ。だからこそ私たちは集団を組み、お互いに足りない部分をおぎないあって、大きなことをなしとげていく。しかし、どこかの組織に属するということは、同時にその組織のために個人の何かを少なからず犠牲にしなければならない、ということでもある。悠木は本書のなかで、はじめて「全権デスク」という、人の上に立って指揮をとるという役割を負うことになるが、地方紙としての本分をつくそうとするあまり、しょっちゅう我を通そうとしては周囲と衝突し、その結果として大きな失敗をしたり、意にそまない決定に妥協しては、部下たちを失望させたりしてしまう。明日の地方紙をつくるという仕事、それも、これまでに例を見ない悲惨な事故を地方紙として載せていくという、自分ひとりではけっしてなしとげることのできない仕事――だが、そのために悠木は「北関東新聞」という組織に巣食う腐敗の兆候にも、正面から向き合わなければならなくなる。そして、こうした物語の流れと、それと同時進行で展開していく安西に関する謎が、最後にひとつに結びつき、同時に悠木の過去の回想が、現在の「衝立山」登攀へとつながっていく。こうした物語構成の妙もさることながら、それ以上にうまいと思うのは、ちょっとした情景描写に人間の微妙な心理を反映させる表現であろう。それは何より、著者の描く物語が、基本的に人間の気持ちや心のありようをテーマとしていることを意味しているのだ。

 本書のタイトルにある「クライマーズ・ハイ」とは、クライミングの最中に興奮状態が極限まで達した結果、恐怖感が麻痺してしまった状態のことを指している。脇目もふらず、一心に登り続けていくクライマーたち――もちろん、私たちはその姿に自身の人生そのものを重ね合わせるわけだが、いざその興奮状態が醒めてしまうと、そこから一歩も上れなくなってしまうことさえあるという。立ち止まることなく進んでいければ、それはそれですばらしいことだ。だが、「クライマーズ・ハイ」から醒めたときにように、進めなくなってしまうことも、人生のなかにはあるだろう。本書のなかで懸命に生きる悠木の姿は、きっと多くの読者にささやかな希望と自信をもたらしてくれるに違いない。(2004.09.14)

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