【岩波書店】
『サーカス放浪記』

宇根元由紀著 



「キグレサーカス」という名のサーカス団について、あるいは一度くらいはその名を聞いたことがあるのではないだろうか。昭和17年に設立された日本生まれのサーカスのひとつで、第2次世界大戦、テレビの普及による娯楽の変化といった苦境を乗り越え、日本の伝統芸能を織りまぜたりする斬新な企画で今もなお活動をつづけている一座である。最近では有名お笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史が、番組の企画でこのキグレサーカスに登場したり、タレントの遠藤久美子が空中ブランコに挑戦したりといった方面でその存在を知った、という方も多いかもしれない。

 大天幕という異空間でおこなわれる、きらびやかなパフォーマンスの数々――私たち観客にとってサーカスという場は間違いなく非日常であり、また他でもないその非日常を楽しむために、私たちはわざわざサーカスへと足を運ぶわけであるが、そんな非日常を提供してくれるサーカス団員の日頃の生活や、またサーカスというひとつの共同体がもつ独特の雰囲気や人間関係といったものは、たんに観客としてサーカスを見に行くだけでは、なかなかうかがうことのできない一面でもある。なぜなら、私たちは基本的にサーカスのパフォーマンスを楽しむのであって、それを演じている人個人に興味があるわけではないからだ。そういう意味では、演劇や映画といった娯楽よりも、さらにそれぞれの個性が希薄なのがサーカスであり、それは逆に言えば、それだけそれぞれが持つ技術が卓越していなければならない、ということでもあるのだ。

 本書『サーカス放浪記』は、そんな「キグレサーカス」のパレード要員(オープニングとフィナーレに登場するだけの人員)のバイトをきっかけに、サーカスの日常とそこに暮らす多くの人たち――まぎれもない人間としての彼らと触れ合う機会をもち、とうとう本当のサーカス団員として入団してしまった著者の体験記というべき作品であるが、たんに芸大からサーカスのピエロへと転身した著者の奮闘記、というだけでなく、その視点が常に自分以外のサーカス団員へと向けられていることに注目すべきだろう。そう、著者はたしかにサーカスのすべてをこのうえなく愛しているが、それは見た目の華麗さや派手さ、パフォーマンスのダイナミズムといったものだけでなく、サーカスという共同体で「同じ釜の飯を食い、家族のように助け合」って生きている人たちへの愛情でもあるのだ。

 サーカスのような囲われた環境内での人間関係は、時としてわずらわしいものだが、反面家族的な暖かさもある。落ち込んでいる当事者に対して、周囲の者達はチヤホヤ慰めたりはしない。――(中略)――だが、「今夜、ウチに飲みに来いよ」とさりげなく誘ってくれる優しさがある。

 キグレサーカスはれっきとした株式会社であるが、ひとつの場所に長くとどまることなく、街から街へと集団で渡り歩いていくという性格は今も健在だ。それゆえ、サーカス団員も公演地が変わるたびに大掛かりな引っ越しを繰り返すことになるのだが、この「場越し」のあわただしい様子や、公演地でできあがる「チロリン村」と呼ばれる小さな集落の、まるで異国の路地を思わせるような風景、象やチンパンジーといった動物たち、そして何よりサーカスを表と裏から支えている多くの個性溢れる人たちのエピソードは、私たち読者にたしかにもうひとつの別世界の姿を垣間見せてくれるものだ。とくに、サーカス内における男女の、恋愛や夫婦関係もふくめた人間関係には、そのままサーカス団員の増減につながる問題であるがゆえに、けっこうシビアなところがあったりする、という話は、なかなかに興味深いものがあった。

 ピエロとしての初舞台で、何重にも折り重なった黒い幕から抜け出すことができなかったという失敗談や、夜中に聞えてくる象のオナラの話といった笑いがある傍ら、本番中の事故で命を落とした団員の話といったシリアスが入り混じるサーカスでの生活は、ある意味私たちの普段の生活からは見えにくくなっている人間としての感情面が、より鮮明に表面に浮かびあがってくる場であるのかもしれない。そして、たとえつらいことがあったとしても、あくまで自分の持ち芸を磨き、サーカスを成功させるというひとつの目標のために、生まれた場所も経歴もまったく異なるいろいろな人たちが、ひとつの家族のように助け合って生きていく。サーカスが私たち観客に見せてくれる別世界は、まさにこうしたサーカス団員どおしの強い結びつきがあって、はじめて成立するものだということ、逆に、そうした生活面での助け合いがなければ、自らの芸を高めていくのに非常な困難をともなうだろうということを、本書はあらためて教えてくれる。人間ひとりの力には、しょせん限界があるのだ。

 人はけっしてひとりでは生きていけない。それはごくあたり前のことではあるが、私たちはともすると、毎日の生活の忙しさや倦怠といったものに犯されて、そうしたあたり前のことをついつい忘れてしまいがちである。著者が入団したキグレサーカスでの4年間で体験した、サーカス団員の素朴な陽気さは、あるいは自分が人に助けられ、また自身も誰かを助けている、というごくあたり前のことをたしかに感じているからこそ生まれてくるものなのではないだろうか。(2003.07.16)

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