【集英社】
『ホテル カクタス』

江國香織著 



 少女漫画、とくに男女の恋愛を主眼にすえた少女漫画などで、のちにカップルとなりそうな男の子と女の子が、初対面から互いに好印象をもつようなことはほとんどない。たいていは曲がり角でぶつかったあげくにパンツを見られたり、風呂場でばったり鉢合わせしたりといった、最悪のタイミングで出会ってしまい、お互いが「嫌なヤツ」というレッテルをはってしまうのが定石であるが、これにはちゃんとした理由がある。第一印象が最悪であるということは、逆に言えばそれ以上ふたりの関係が悪化しようがない、ということでもあり、物語の展開上、ふたりがいっしょになる機会をはずせないとすれば、それだけふたりがお互いの知らなかった一面に触れる機会も多くなり、その親密度が徐々に増していく展開をスムーズに描くことができるのだ。

 もちろん、現実の世界において一度悪い印象をもたれてしまったりすると、その印象を払拭させるのは並大抵のことではないし、場合によっては二度と修復できないほど深い溝が生じてしまったりすることもあるが、ここでひとつ重要なのは、たとえその第一印象が最悪のものであったとしても、それがその人物のすべてであるわけではない、ということである。企業への就職活動において、第一印象は非常に重要な要素であるが、たとえある会社が自分を採用してくれなかったとしても、それをもって自分の全人格が否定されたと判断してしまうのは間違いである、というのと理屈としてはよく似ている。

 本書『ホテル カクタス』という作品は、ごくおおざっぱに言ってしまえば、同じアパートの住人である三人のあいだに芽生えた友情を書いたものであるが、じつは彼らは人間ではない。ひとりは帽子であり、ひとりはきゅうりであり、そしてもうひとりは数字の2という取り合わせなのだ。彼らはそれぞれ個性をもち、共通の言語で意思の疎通をはかり、そして人間と同じように物事を考え、人間と同じように生活している。

 こんなふうに本書のことを紹介してしまうと、あるいは面食らってしまう方も少なくないかと思うが、人間以外の何かが物語の中心をなしている作品は、たとえばトーマス・M・ディッシュの『いさましいちびのトースター』やリチャード・アダムズの『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』のような、SFやファンタジーの分野ではけっこうよく見られる設定である。だが、こうした作品の大半が、自分たちがトースターやうさぎであるという、いわば「人間」を比較対照とした存在であることを意識しており、またそれゆえに物語のどこかにかならず人間が登場してくるのに対し、本書の場合、たしかに帽子は「帽子」であり、きゅうりは「きゅうり」であるという意識はもっているが、そこには自分たちが比較対照とすべき「人間」の姿がまったくない、という大きな特徴をもっている。

 だが、では彼らが、たとえば少し前に流行した「動物占い」のように、あるタイプの人間の象徴であるというには、彼らの外見はあまりにもはっきりしすぎている。帽子はあくまで帽子の形をしているし、きゅうりはあくまできゅうりの形をしている――少なくとも、そんなふうに描写されている部分があるのだ。ようするに、きゅうりはきゅうりとして、2は数字の2として存在しながら、しかも人間と同じように歩いて喋り、あまつさえ飲み食いしたり働いたりするという事実を、私たち読者はそのまま受け入れるしかないのである。

 さて、そんなふうに定義したうえで、あらためて本書を読み返してみると、そこに見えてくるのはある意味、奇跡のような光景である。帽子ときゅうりと2――ふつうなら絶対に交わることのないこの三種類の存在が、友情というひとつの感情で結びついている様子を描いた本書は、同じ人間どおしでありながら、何かというと対立し、憎しみあい、そしてときには殺し合いまでしてしまう私たちの愚かさや醜さを、鏡のように映し出してしまうことになる。

 身のまわりのことに無頓着でウィスキーと博打好き、文学的素養が深く、ハードボイルドのようななにものにも縛られない生き方を好む帽子、なにより「割り切れない」ことが嫌いで、何をするにしても几帳面で優柔不断、基本的には独立独歩の生き方をしていく2、そして何事に対してもおおらかで、体を鍛えてばかりいて、まっすぐな心をもっているものの、それゆえにちょっと思慮に欠ける部分のあるきゅうり――彼らの性格は、基本的にそこから大きく外れるようなことがない、という意味では、私たち人間のように複雑でもないし、またそれぞれの社会的立場から生じる利害関係によって、その態度が大きく変化するわけでもない。だが、彼らのようなある種の典型的性格の単純さが前面に押し出されているがゆえに、かえって私たち自身の姿がよく見えてくる、ということを本書は如実に物語っているのだ。

 帽子は帽子であり、きゅうりはきゅうりであり、2は2である、ということを受け入れつつ、なおかつお互いの性質の違いを認め合ったうえで友人として接すること――物語のなかで、彼らがあたり前のようにして行なっていることが、なぜ同じ人間どおしであるはずの私たちにはできないのか。本書のどこか童話めいた物語のなかに、著者のそんなメッセージが込められているような気がしてならないのは、はたして私だけだろうか。

 本書のタイトルである「ホテル カクタス」とは、彼らが住んでいるアパートの名前である。アパートであるはずなのに「ホテル」という名が冠されているのは、そこが彼らにとっての定住地ではなく、あくまで仮の宿――いずれ別の場所へと移っていく存在としての自身を意識させると同時に、私たちの人生のなかで起こる多くの人との出会いと別れの、あくまでワンシーンでしかない、ということでもあるのだろう。いずれにしろ、それまでの著者の作品とくらべるとずいぶん風変わりなものであることはたしかだが、それでもなお著者が書こうとしているテーマは変わってはいない、という確信がある。(2005.03.24)

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